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読書 「神聖ローマ帝国」 菊池良生_神聖ローマ帝国の始祖はフランク王カールかそれとも東フランク王のオットーか?

f0090954_13395912.jpgナチス・ドイツが、ドイツ民族による3度目の帝国として国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)統治下のドイツのことを第三帝国と呼んだことは有名ですが、その前のビスマルクの帝政ドイツが第二帝国で、第一帝国となるのがこの本の題名となっている神聖ローマ帝国です。

神聖ローマ帝国が消滅したのは、ラストエンペラーであるフランツ2世が帝国解散勅書を読み上げた1806年8月6日とされています。フランツ2世は、ハプスブルク=ロートリンゲン家の君主で、全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンです。

そして、1871年、ドイツはプロイセン王国主導(北ドイツのプロイセン・ホーエンツォレルン家が、神聖ローマ皇帝位を歴代約700年にわたって世襲したハプスブルク家をドイツから叩き出し、ドイツ帝国と名乗ります。これが神聖ローマ帝国に次ぐ第二帝国です。第一帝国から第二帝国に引継がれるまで約65年の空白期間があります。

その期間は、ナポレオンが皇帝を自称してヨーロッパを侵略しまくっていた混乱期です。ハプスブルク家のマリー・ルイーゼがナポレオンの皇妃になっていましたね。マリー・ルイーゼはフランツ2世の娘です。ナポレオンも自称の皇帝の名に箔をつけるためハプスブルク家と姻戚関係を結びたかったのでしょう。

1273年にハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国王に選出されて以来、1806年の神聖ローマ帝国消滅まで約530年に渡って、ほぼハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝の座を独占しました。神聖ローマ帝国が解散された後も、ハプスブルク家に統治されたオーストリア(・ハンガリー)帝国は1918年まで存続しました。

神聖ローマ帝国の終演が1806年としてそれではその第1帝国はいつから始まったのでしょうか、

日本の世界史教育では、962年のオットー1世戴冠を神聖ローマ帝国の始まりと見なしているようですが、ドイツの歴史学界では西暦800年のカール大帝戴冠を神聖ローマ帝国の始まりとするのが一般的なようです。

菊池良生版「神聖ローマ帝国」も第1章は西ローマ帝国の復活(=フランク王カールの戴冠)から始まって、オットー大帝の即位は第2章になっていました。

カール大帝戴冠から始まる1000年に渡る帝国史は3つの時期に区分されます。

すなわち、フランク王カールの皇帝戴冠から中世盛期に至る「ローマ帝国」期(800年-10世紀)、そしてオットー大帝の戴冠からシュタウフェン朝の断絶に至る「帝国」期(962年-1254年)、最後に中世後期から1806年にいたる「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」期です。

分類された最後の区分が、神聖ローマ帝国皇帝の座をほぼハプスブルク家が手中にしていた時代です。

この3つの時期の重要人物について述べていきたいと思います。

今回は記事の量の関係で、今回は「ローマ帝国」期(800年-10世紀)のフランク王カールと「帝国」期の始祖オットー大帝だけに絞ります。

1)フランク王カールの皇帝戴冠

ヨーロッパ人は大きく3つの民族、ラテン人(ギリシア・ローマ人)、ゲルマン人(西ゴート、東ゴート、ヴァンダル、フルクンド、ランコバルド、アングル、サクソン、フランク、ノルマン等)、スラブ人(フン族等、英語の奴隷_slaveの語源となっています)

モンゴル系匈奴の一派とされるアッティラ王率いるフン人のヨーロッパ侵入(草原地帯の地域的気候変動が遊牧経済に打撃を与えたことが誘因となった侵入)に押し出されるようにして、主にバルト海沿岸に住んでいたゲルマン人が大移動を始めました。

3世紀のことで、地球の寒冷化に触発された東方からの蛮族の侵入という治安問題、統治能力の分裂からの東西ローマ帝国の分割統治、それに神学論争までもが加わり、コンスタンチヌス帝は、新首都をバルカン半島に造営し遷都をしてしまいます。コンスタンチノープル(新しいローマ)と名付けられた首都を設けたビザンツ帝国(東ローマ帝国)に比べ、取り残された西ローマ帝国は衰微しローマは見捨てられた旧都に成り下がってしまいました。

ローマ帝国が東西分割したのは395年ですが、この頃ゲルマン族の多くがビザンツ帝国に従属していました。そして旧西ローマ帝国内にゲルマン諸国を建国する動きが活発になってきます。そんな動きの中、476年にゲルマン人傭兵(西ローマ帝国の傭兵です)のオドアケルに攻撃され西ローマ帝国は滅亡してしまいます。 オドアケルは、東ローマ帝国の皇帝からイタリア支配とイタリア王の地位を承認され、東ゴート王国を成立させました。

ビザンツ(東ローマ)帝国は1453年まで存続しました。東西分裂から1000年以上存続したことになります。

一方の西ローマ帝国は東西分裂から100年も経たないうちに崩壊します。

ローマ教会は細々存続します。ローマ教会は存続を賭けて蛮族であるゲルマン人への布教に注力します。一方、東ローマ帝国の国教はキリスト教ですが、ローマ教会に対して上から目線です。後に東方正教会と名乗るコンスタンチノープルの教会はラテン語を解さないゲルマン人への布教にローマ教会が活用していた聖像等のイコンを禁じてしまいます。

西ローマ帝国が崩壊後はゲルマン人の活動が活発になってきますが、そんなゲルマン諸国の中でフランク族のクローヴィス王がローマ教皇と提携協調を決意します。

ローマ教皇は大規模な信者の確保と強大なビザンツ(東ローマ)帝国に対抗するための後ろ盾が必要でした。

一方、フランク王国は他のゲルマン諸族への統治のため箔をつけるため王位に対するローマ教皇の承認が欲しかったのです。

そんな中、イスラム・ウマイヤ朝を撃破し、またイタリアのゲルマン勢力のランゴバルド王国を討伐した後、ラヴェンナ地方をローマ教会に寄進したことから、ゲルマン・フランクの力が認められ、800年にローマ教皇レオ3世からカール大帝が320年もの間空位だった(正確には西ローマ帝国滅亡が476年でカール大帝の戴冠が800年なので空位の期間は324年)ローマ皇帝の冠を受けたのです。

教皇はビザンツ(東ローマ)帝国への対抗意識から、西ローマ帝国の復活としましたが、もはやラテン人を中心とした帝国ではなく、教皇(ラテン人)と皇帝(ゲルマン人)が協調する帝国でした。

それでも800年以降は西ヨーロッパ世界とビザンツ帝国の東ヨーロッパ世界の二極化が明確になります。

ちなみにカール大帝が治めたフランク王国は今の、ドイツ、フランス、北イタリア(南イタリアはビザンツ帝国の所領)がすっぽり入るという広大さでした。この頃のスペインはイスラム・ウマイヤ朝が治めていました。

しかしカール大帝の後、分割相続が進み、フランク王国は西フランク王国(フランス)、中部フランク王国(北イタリア)、東フランク王国(ドイツ)に分かれてしまいます。

余談ですが、ドイツ名のカール大帝はフランスではシャルルマーニュ(大帝)と呼ばれました。

世界の辛口白ワインの名酒といえばブルゴーニュになりますが、その中でもシャブリの特級(火打石の堅さ)、ムルソーの一級(藁の柔らかさ)、モンラッシェ(鋼の鋭さ)が有名です。ところが畑が狭いので生産量は多くありませんが、もう一つそれらに比肩できるワインがあります。コルトン・シャルルマーニュ(はしばみの実)です。

コート・ドール地方の真ん中あたり、コート・ド・ボーヌ地区が始まるところに孤丘がありその南斜面にコルトン・シャルルマーニュの畑があります。周りは赤ワインの畑ですが、この区画畑だけ傑出した白ワインを生みます。その畑を大帝が所有していたことを確認させる古文書が残っていることから、その名がつけられています。

ワイン愛好家たる者、ヨーロッパを統一し西ローマ帝国を復活させた英雄王の姿を思い浮かべながら、一度は飲む価値のある傑出したワインだと思います。

2)オットー大帝の戴冠

カール大帝のカロリング朝の血筋は、9世紀末から10世紀末にかけて、西、中、東フランク王国のそれぞれで断絶してしまいます。

ドイツ(東フランク王国)では911年にカロリング朝の血統が絶えました。そこでドイツの有力諸侯は選挙で国王を決めました。フランケン公コンラート1世が最初に選ばれ、次いでザクセン公ハインリヒ1世が選ばれます。オットー1世は、ハインリヒ1世の子供です。

オットー1世は世襲によって王位を継いだことになりますが、東方から侵入したマジャール人(ハンガリーの主要構成民族でフン族の後裔です。フン族が定住したのでフンガリアと呼ばれそれが地名のハンガリアの語源となりました)をアウスブルク近郊のレフィフェルトの戦い(955年)で撃退します。

民族移動が盛んな中世にあっては、戦闘に強い、戦時の指導者が選挙にしろ世襲にしろ歓迎されるようです。

オットー1世はさらに、ローマ教皇の求めに応じて混乱のイタリアに遠征し、カール大帝に倣い、ローマ皇帝ヨハネス12世からローマ皇帝の冠を受けます。962年のことです。

それで王権は強化できましたがカール大帝の版図のうちのイタリア・ローマ奪還は失敗してしまいます。フランスもカペー朝以降王制が固まり手を出すことはできませんでした。

歴史上、西ローマ帝国と呼ばれるものは3つあります。1つめは、テオドシウス帝時代の395年発足のもの、2つめはカール大帝の帝国、3つめがオットー1世の帝国です。

オットー1世の帝国は「神聖ローマ帝国」とも呼ばれましたが、その壮大な名前とは裏腹にドイツ1国だけの帝国でした。

ただ、教皇から承認されたはずのオットーは教皇選挙にも口出すなどして、皇帝の方が教皇よりも上の立場だということを力づくで示しました。

ヨハネス12世を廃して、新教皇レオ8世の登位を決め、ついでにベレンがリオ2世をイタリア王の座から引き下ろす荒業をやってのけました。イタリア支配のため、諸侯に権限をばらまきまがりなりにもイタリア王国を接収しオットー1世はドイツ王であると同時にイタリア王にもなりました。

ただ後々の皇帝対教皇の主導権争いのタネを蒔いてしまいました。

1024年には、オットー1世の血筋のザクセン朝が断絶し、選挙の結果、ザリエリ朝のコンラート2世がドイツ王に選出されます。コンラートは西フランクと中フランクにまたがっていたものの独立したブルゴーニュ王国の王家断絶の機に乗じてブルゴーニュ王になったため、コンラート2世はドイツ王国、イタリア王国、ブルゴーニュ王国を支配することになりました。カール大帝の復活西ローマ帝国に比べるとまだ小ぶりですが、「ローマ帝国」と名乗ってもなのれなくはない版図を持ちました。

オットー1世のザクセン朝から、ザリエリ朝、そしてシュタウフェン朝と世襲の王朝が約290年続きます。これを帝国の三王朝時代と呼びます。

この間、一貫して取られた政策が、帝国協会政策とイタリア政策です。帝国協会政策は教会組織を帝国政治機構に取り入れるもので、帝国の権力と教会の権力の血みどろの戦いを招く結果となりました。ローマ法王は軍事力を持ちませんが「聖務禁止」と「破門」という武器を持っていました。

ドイツ王で神聖ローマ帝国の皇帝でもあったハインリッヒ四世が三日三晩降りしきる雪の中に立ち尽くして法王に破門解除を乞うた「カノッサの屈辱」(1076年~1077年)という有名な事件がありました。

オットー1世の頃は、皇帝にとって都合がよかったはずの政策でしたが、「聖務禁止」と「破門」という武器で教皇が復権を遂げた後、第176代ローマ教皇イノセント三世(イノケンティウス三世、在位:1198年 - 1216年)は、その武器を駆使し西欧諸国に対して王権より教皇権が優位である事を証明するに至りました。教皇の最盛期とも言われ、「法王は太陽、皇帝は月」と言われました。

このイノセント三世が後見した少年が後にシュタウフェン朝最後のフリードリッヒ二世となります。

彼は35年に渡る治政の間、ドイツにいたのがわずか8年という神聖ローマ皇帝でした。イタリア政策の極端な例となりますが、ドイツ王がイタリア王を兼ねて、教皇による戴冠を取りつける必要から帝国必須の政策でした。そのためドイツは自然、不在統治となり、ドイツ諸侯の発言権が高まったことはやむを得ない結果でした。

1250年にフリードリッヒ二世が亡くなった後、ドイツの所領国家が割拠し、彼らが皇帝を選ぶ諸侯(選帝侯)となり、一時大空位時代と呼ばれる群雄割拠の対立時代を迎えます。こうした中で、1273年の有力諸侯にとって利害関係の小さいと思われた当時はマイナーだったハプスブルク家からルドルフ・フォン・ハプスブルクが1273年にドイツ王に選ばれ、大空位時代は終焉となります。

ただ、それですぐにハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の世襲体制が確立したわけではありません。まだしばらく、ドイツ王位はハプスブルク家、ルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家の持ち回りが続き、内戦が絶えませんでした。

そうした状況に終止符を打ったのが、カール四世(1316~78)が発した「金印勅書」でした。

中世後期から1806年にいたる「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」期は、ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝の座についていましたので、続きは「ハプスブルク家」の中で記述することになるかもしれません。

by zoompac | 2018-10-15 08:56 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「下町ロケット」ヤタガラス_いろいろな具材を盛り込み過ぎた感のある原作を、ドラマはどのようにすっきりした味わいに仕上げてくれるのか楽しみです!

f0090954_13394166.jpg半沢直樹シリーズですっかりお馴染みの勧善懲悪のドラマがこの下町ロケットにも脈々と流れていますね。「空飛ぶタイヤ」で暴かれていた一般常識の枠に収まらない「大企業の傲慢さ」もしっかり描かれていました。

大企業風を下請けに吹かせる嫌~な性格の帝国重工の的場俊一が次期社長候補として登場します。

映画「空飛ぶタイヤ」で、岸部一徳が演じていたホープ自動車常務取締役の狩野威のようなヤな人物なのですが、10月14日(日)の9時から始まるTBS日曜劇場のTVドラマでは神田正輝が演じることになっています。ちょっと迫力といやらしさに欠ける神田正輝だと思うのですがどうでしょう。ご本人は「一癖も二癖もあるこういう人物こそ演技のし甲斐がある。」と言っていましたが。原作では本当に嫌な奴でしたよ。

帝国重工で農業プロジェクトを立案するのは佃航平と仲の良い財前道生(吉川晃司)なのですが、的場俊一が上司風を吹かせて横からその企画を取ってしまいます。部下の手柄は俺のもの、プロジェクトの失敗は部下のせいって、典型的な嫌な奴です。

まあ、それにしても池井戸潤の発想は素晴らしいですね。自動運転+農業問題+高齢化というこれからの日本が解決しなければならない問題を切り取って少し先の未来社会ドラマの原作小説に仕立ててくれました。

そんな中にあって、佃航平の浪花節と義理・人情がしっかり根付いた人間ドラマにもなっていて1粒で2度美味しい仕立てになっているのも嬉しいですね。

池井戸潤の小説の特徴は、現代の社会・企業小説を時代劇の勧善懲悪風にアレンジしているってところです。

島津裕という佃製作所にないトランスミッションの技術を持った女性天才エンジニアが、いかにして佃製作所に迎え入れられるのか? あたりの展開が原作小説では興味深く描かれていました。

鼻から諸葛孔明を迎える劉備玄徳のような「三顧の礼」を想像してしまいましたが、そのあたりは読んでの、あるいは(ドラマを)観てのお楽しみにしてください。結構な紆余曲折があります。

しかし、イモトアヤコかあ~! 個人的には原作を読みながら戸田恵梨香か木村文乃あたりを想像していたのですが・・・。

その島津とギアゴーストという小ぶりながら技術力とビジネスモデルが売りの会社を共に立ち上げた伊丹大は、何故か存亡の危機(特許侵害で他社から訴訟)を救ってくれた佃航平に背を向け、義理に反する行為に出ます。そのあたりから業務運営の方針が食い違い、島津は伊丹と決別しギアゴーストを退社してしまうのです。伊丹を演じるのは尾上菊之助です。伊丹も島津も元は帝国重工の社員でした。

(下町ロケット「ヤタガラス」は、下町ロケット「ゴースト」の続編です。このあたりのコメントは、原作前編の「ゴースト」と後編の「ヤタガラス」と重複して書いていますので、悪しからず!)

伊丹が帝国重工を辞めた理由に的場俊一が大きく関わっています。そのあたりのいきさつは原作かドラマで確認してください。サラリーマンの「うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ」の七味がたっぷり振りかけられたいきさつがあります。本当に嫌な奴です、神田正輝が演じる的場俊一! こういうパワハラ風をブイブイ吹かせている人っていますよね、大概の大きな組織には。

ドラマでは立川談春演じる殿村直弘(佃製作所の経理部長)は、実家が農家という設定です。父が倒れ、農業を継ぐかどうかで悩みます。いずれにせよ、帝国重工と佃製作所のトラクター自動運転プロジェクトに大いに関わることになっていきます。

これから日本が取り組まなければならない農業問題もわかりやすく取り上げており、大企業vs下請け企業という構図、企業内派閥争いという社内政治に、国政を司る議員先生まで入り乱れて、幅広い守備範囲の小説になっています。

とにかくサクサクと読みやすく、私は一晩挟んで2日で一気読みしてしまいました。ただ話は多岐にわたってやや複雑です。池井戸潤もはりきって風呂敷を広げすぎたかなって読後感が残りました。

by zoompac | 2018-10-12 09:05 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「日日是好日」森下典子_これを原作とした黒木華主演、樹木希林共演映画がまもなく公開です。

f0090954_08465140.jpgエッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々を綴り人気を集めたエッセイです。

副題に「お茶が教えてくれた15の幸せ」とありました。

森下典子自身がお茶を学び始めた当初から、25年学び続ける過程で発見したことを15章構成のエッセイにまとめてあります。

まえがきに、フェリーニの「道」という1954年の大道芸人カップルのイタリア映画を引き合いに出して、観るたびに違った感想を持ったことを語っています。

世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」があって、後になって少しづつじわじわとわかりだし、わかるたびに自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片に過ぎなかったということに気づくというのです。

それが、彼女にとっての映画「道」であり、また「お茶」の世界もそうであると言及していました。上手い例えだと感心しました。

(フットワークのいい私は、さっそくフェリーニの「道」をTsutaya DiscasでDVDを借りて観ました。今回で2回目なのですが、確かに味わい深い作品ですね。ツレを大事にしないと後悔するな・・・と殊勝な気持ちになりました。)

単なる行儀作法だと思っていた「お茶」のお稽古から、お茶を通して「春夏秋冬」を嗅ぎわける能力が芽生え、厳格や約束事に縛られた窮屈な茶道の中に、個人のあるがままを受け入れる大きな自由があることを発見する、いわば一つの道を究める体験記になっています。

「お茶は、季節のサイクルに沿った日本人の暮らしの美学と哲学を、自分の体に経験させながら知ることだった。本当に知るには、時間がかかる。けれど、「あっ、そうか!」とわかった瞬間、それは、私の血や肉になった。」

「お茶をわかるのに時間制限はない。3年で気づくも、20年で気づくも本人の自由。気づく時がくれば気づく。成熟のスピードは人によって違う。理解の早い方が高い評価をされるということもなかった。理解が遅くて苦労する人には、その人なりの深さが生まれた。」・・・これは特に気に入りました。心に響くいい言葉です!

「自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみ取ることだ。自分の方法で、あるがままの自分の成長の道を作ることだ。」

「お茶は、人間という生きものの不完全さこそ丸ごと許容してくれる。」

「稽古は回数なのよ。一回でも多くの数を重ねることよ。『習うより慣れろ』ってよく言うでしょ。」「頭で覚えちゃダメなの。稽古は、一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから。」

「突然だった。何も考えていないのに、手が動く。まるで何かにあやつられているみたいだった。だけど、なんだか気持ちいい。」

「天気の日も雨の日も、すべていい日」という意味の表題「日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、「さよなら渓谷」「まほろ駅前多田便利軒」などの大森立嗣が監督で映画化されます。黒木華主演、樹木希林、多部未華子の共演です。9月15日に亡くなった樹木希林が、茶道の武田先生役です。

最近、NHKで「樹木希林を生きる」という特集放送をやっていました。希林さんが亡くなる1年前からのドキュメンタリーで、山崎努さんとの共演の「モリのいる場所」、カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得した「万引き家族」、そしてこの「日日是好日」等の映画撮影の裏話がたっぷり盛り込んでありました。今から思えば、希林さんも自分の余命もそろそろと悟っていたのかもしれません。

彼女の遺作となるのは、この「日日是好日」ではなく、来年公開予定の「エリカ38」です。タイで逮捕された“つなぎ融資の女王”こと山辺節子受刑者のニュースから樹木希林がアイディアを出して作った作品のようです。逮捕当時62歳にも拘らず、高い女子力で38歳で通していた女性を浅田美代子が演じ、樹木希林がその母親役で出演するようです。この撮影シーンもドキュメンタリーで紹介されていました。

「日日是好日」の本の話に戻ります。

作者の突然死で廃刊になった和菓子職人の漫画「あんどーなつ」がお気に入りだったことから、以前からこの本にも興味はありました。和菓子とお茶と日本の四季折々の取り合わせにいろいろ気づくことの多い漫画でした。この原作本の冒頭にも四季折々のお菓子や茶器等の写真があり興味を引かれるまま購入したものの最近まで積どくになっていました。

この映画「日日是好日」の公開がいいきっかけになってくれました。まえがきのフェリーニの「道」のたとえ話に惹かれて、この本を一気に読みました。稽古事において「学び」の神髄に触れたような気がしました。読む人によって様々に感じ入ることのできる含蓄の深いエッセイだと思います。

銀座シネスイッチで先行上映が今週末の10月6日~8日の3日間、そして全国公開は10月13日土曜日です。

by zoompac | 2018-10-04 09:34 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「ローマ人の物語6 勝者の混迷(上)」塩野七生

f0090954_08470535.jpg「いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。国外には敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。」と言って、アルプスを越えて、ローマ連合の領域内に入り込んで、内から共和政ローマを打ち砕こうとしたハンニバルでしたが、そのときローマ軍が連戦連敗をしても連合国はローマを見捨てませんでした。

そのハンニバルによるポエニ戦役という非常事態を切り抜け、逆に北アフリカの大国カルタゴを下し地中海の覇権を確かなものにしたローマでした。

しかし、歴史の皮肉と申しましょうか、ハンニバルの唱えた内なる敵はタイミングをずらしてローマの内部に忍び寄っていました。 ハンニバルの指摘は当たっていましたがハンニバルの攻撃は時期尚早でした。

ポエニ戦役という非常事態の中で、本来は助言機関であった元老院に政策決定権を与えてしまいました。元老院は危機が過ぎた戦役後もそれを市民集会に返すことなく既得権として保持してしまいました。

また、新たに属州となったシチリアからの小麦の流入が、中産階級を占めていた小規模農家を直撃します。失業者が増え貧富の差が拡大しました。

その社会不安を打開すべく立ち上がったのがスキピオ・アフリカヌスを母方の祖父とするティベリウスとガイウスのグラックス兄弟でした。彼らは農地占有の制限などで市民階級の再興を図ろうとしましたが、戦勝で獲得した農地は借地の名目で、元老院のメンバーでもある有力貴族が実質的に占有していました。

グラックス兄弟の提案には、他にカルタゴの地に新しい都市を建設することで生活のため土地を手離して無産階級となった多くの人に仕事を与えようとする政策もありました。

新富裕層や既得権益者からなる反対勢力と少なからず自身もその類に入る元老院は、兄弟の外地での公共事業も含む全ての改革案審議を拒否し、二人を裁判にかけるでもなく死に追いやってしまいます。時期尚早の改革者兄弟の死体は時期を異にして弔われることなくテヴェレ河に投げ込まれてしまいました。

グラックス兄弟の改革が道半ばで途絶えた後ローマに登場したのは、50歳で執政官に就任するまでの人生のほとんどをローマ軍で過ごしたガイウス・マリウスでした。

ローマ軍は、北アフリカのヌミディアの反抗制圧などに手を焼き、質量ともの低下の問題が顕在化していました。

これを打開するためマリウスは徴兵制であった兵役を志願制に変更しました。

それまで兵役に就くことは直接税を払うことと同じとされ、それゆえ無産階級は兵役を免除されていました。マリウスの兵役改革は有産階級にとっては義務とみられていた兵役からの解放を意味し、無産階級にとっては志願して得られる職業を与えることになりました。

そのことは、はからずもグラックス兄弟が取組み、そして挫折した、階級間の格差是正にもつながります。志願してきた兵士には、農地を手離した失業者が多く含まれていたからです。

塩野七生が意味深長なことを言ってました。

「多くの普通人は、自らの尊厳を、仕事をすることで維持していく。ゆえに、人間が人間らしく生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、福祉では絶対に回復できない。職を取り戻してやることでしか回復できないのである。」

失業とは生活手段を失うだけでなく人間の存在理由まで蝕んでしまうということですね。

グラックス兄弟は農地を中産階級に取り戻して与えることや新植民地都市建設、その他の公共事業振興でその失業問題を解決しようとしましたが、兄弟の早すぎた死がその実現を阻みました。マリウスはこれらの失業者たちを軍隊に吸収したのです。

マリウスは、ローマ軍団の基本的な軍団編成の整備にも取り組み、それがローマ軍の戦力向上にも大いに寄与しました。

しかし、属州の反乱や蛮族の侵入が一段落すると不要な軍隊を抱えると言う問題が生じてきました。徴兵であれば国に帰った兵隊は元の仕事に戻るだけですが、職業軍人は失業してしまいます。

それにマリウスによる改革後のの軍隊では、ローマ市民の志願兵と同盟市民の招集兵との間に矛盾を生じ、ローマ市民とローマ同盟市民の間に大きな軋轢を生じてしまいました。

ポエニ戦役当時は、ローマ市民のみで編成された軍団が主力で、犠牲の大きな部分も被っていました。その分ローマの覇権拡大の利益の取り分もローマ市民がとっていました。

しかし、100年後の今、同盟市民にとって兵役は義務のままである一方で、ローマ市民には職業なのです。決してローマ市民の被る犠牲が大きいとはいえません。それなのに、ローマの覇権の拡大に対する利益分配もローマ市民に有利ということでは同盟市民の不満が募って当然のことになります。

その不満が昂じて、ハンニバルが夢にまで見たローマ連合の分断が起こってしまいます。

元老院もしぶしぶながら同盟市民にローマ市民権を付与せざるを得なくなったのです。そしてこのことこそグラックス兄弟が30年前に目指していたことでした。元老院階級が覇権拡大によって得た土地を自分たちの所有にしようとがめったことがそもそもの内側の敵というか獅子身中の虫でした。

物事を見通す正しい眼力があっても、変革には、それを実現できるタイミングと状況から勢いを得る実行力が必要ということですね。

戦時にはリーダーシップを如何なく発揮していたマリウスが、平時にはもたついていたという下りも面白く読みました。

そして平民たちから失望され、マリウスが執政官選挙の立候補を断念したB.C.99年に、マリウスの妻ユリアの実家に1人の男児が生まれました。その子はガイウス・ユリウス・カエサルと名付けられました。

ユリウス・カエサルの登場は8巻からです。次の7巻では、マリウスの下で経験を積み、後にはマリウスの最大のライバルとなり、マリウス派を粛清し恐怖政治を行ったスッラが登場します。

反動の反動で、スッラはグラックス兄弟とは反対に元老院体制強化で混迷打開を図ります。引いては押し寄せる波のように、変革には紆余曲折が必要だということでしょうか。

そのスッラの後のローマにはユリウス・カエサルの前の露払いのような存在になってしまいましたが、軍事面で天才的な能力を持ったポンペイウスが登場します。偉大なるポンペイウスの下でローマはその覇権を広げていくことになります。

by zoompac | 2018-09-27 08:47 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「翔ぶが如く(九)」司馬遼太郎_1877年の2月15日~9月24日までの約7ヶ月の西南戦争の詳細が8巻から10巻に渡って書かれています。

f0090954_09102322.jpg7ヶ月の西南戦争を実況中継のような詳細描写で3巻に渡って展開するとはさすがに司馬遼太郎ですね。

ただ、只今放映中のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」では西郷隆盛の後半生はほとんど描かれないとの残念な噂も聞こえてきています。

9月後半に「西郷どん」ガイドブックの3冊目が発売されれば詳細が判明します。

そういえば、先週のTVドラマ「西郷どん」も、家茂死去から大政奉還まで一気に進んで、松田翔太が演じる第15代の征夷大将軍徳川慶喜の在位期間がわずか30分で終わってしまいました。

この西南戦争もそんなイメージで端折られるのかもしれません。

それはともかく、この「翔ぶが如く」9巻の目玉は西南戦争の最激戦の舞台となる「田原坂」での戦いでした。

雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ アラ田原坂
右手に血刀左手に手綱、馬上豊かな アラ美少年
春は桜秋ならもみじ、夢も田原の アラ草枕
草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 アラ秋さびし

という歌の最初の句が有名ですね。

8巻まで遡って簡単に7ヶ月間の西南戦争をダイジェストでまとめてみます。

明治10年(1877年)の西南戦争は2月15日に薩軍が鹿児島を進発することによって始まりました。

簡単に抜けると思っていた熊本城でしたが、鎮台兵の籠城でフタをしたサザエのような堅固さをみせます。

政府からの征討軍団は2月20日に神戸を出発し22日に博多に到着し南進します。熊本城籠城の鎮台兵と合流し薩軍と戦うためでした。

その22日には薩軍は熊本城を包囲しており、熊本城攻撃の一方で、政府征討軍(官軍)を迎え撃つべく北上します。

両軍は高瀬で会戦となります。これが緒戦のヤマ場となります。

西南戦争の関ケ原と呼ばれた27日の高瀬の会戦では、銃弾が切れたという理由で篠原国幹軍が戦線を離脱してしまったため薩軍は敗退し田原坂・吉次越えの線に後退してしまいます。薩軍の天下無敵の神話が崩れた瞬間でもありました。

ここまでが8巻に描かれていました。

いよいよ9巻です。ここは中盤のヤマ場となる田原坂の激戦が描かれています。

3月4日に官軍は田原坂・吉次越えの薩軍に攻撃を仕掛けます。

田原坂・吉次越えの激戦は膠着状態となりますが、3月19日に黒田清隆率いる官軍の別動隊が海上から日奈久に上陸を果たすと、拮抗状況は打開され、官軍が田原坂を占拠します。

4月14日に西郷隆盛は熊本の本営を去り、再挙を図ろうと人吉に陣を張ります。

田原坂の激戦で、当初の薩軍の将領級の篠原国幹と永山弥一郎が死にます。

日奈久に上陸した黒田清隆軍はあれこれ言い訳を探しながら攻撃のスピードを緩めます。西郷隆盛が安全に戦地から脱出する時間を稼ぎたかったからです。

黒田清隆軍の日奈久上陸を境に薩軍は大きく退嬰防御への方針転換を余儀なくされていきました。

9巻で敗勢が決定的となった薩軍は、10巻では弾薬不足などで徐々に追い詰められ敗走に次ぐ敗走となるのですが、白兵戦となった局地、局地では無類の強さを発揮します。

5月の半ばに官軍が人吉を占拠すると、薩軍は肥後から日向(宮崎)へと逃げ回ります。7月から8月にかけて都城、宮崎、延岡へと移動しますが次々に官軍に占拠されてしまいます。そして9月に鹿児島に戻った西郷が24日に城山で自刃してこの7ヶ月余りに渡って繰り広げられた西南戦争の終結をみることになるのです。

「城山に立て籠る兵は三百余人。包囲する七万の政府軍は九月二十四日払暁、総攻撃を開始する。午前七時すぎ、西郷隆盛は二発の小銃弾を体に受ける。一度倒れ、起き上がった西郷は、薩軍幹部・別府晋介をかえりみて言った。「晋ドン、モウココデヨカ」。」

昨年(2017年)暮れに放映された里見浩太朗主演のTVドラマ時代劇「田原坂」の主題歌を堀内孝雄が声高らかに歌い上げていました。「遥かな轍」という歌です。作詞:小椋佳、作曲:堀内孝雄

「こうとしか生きようのない人生がある

いつかお前が したのまぶたに
涙浮かべて 熱く語った
あの日 二人の にぎりこぶしも
想い映して 汗ばんでいた

心の中に それぞれの
聞きわけの悪い わらべ心さわぎ
重なり合わぬ 虹飛んでいた

逢えばお前は 今も変わらず
燃えるまなざし 投げつけてくる

その眼の中で 愚かしく
いとおしむように 夢抱きしめなおす
自分に何故か 歓んでいる

こうとしか 生きようのない人生がある
せめて 消えない 轍を残そうか

男の中の 蒼くさい
狂おしい夢が 激しく 駆けぬけて
遥かな轍 描(か)き込んでいる

こうとしか生きようのない人生がある
せめて 消えない 轍を残そうか」

この哀愁を帯びた堀内孝雄の歌が好きです。

ということで、いよいよ最終巻の十巻に突入いたします。

この9巻を読んで、司馬遼太郎氏のちょっとした余談話に登場していた陸奥宗光並びに小村寿太郎の生涯に興味を持ちました。

津本陽の「叛骨 陸奥宗光の生涯」(あるいは、岡崎久彦の「陸奥宗光とその時代」)と名作との呼び声が高い吉本昭の「ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎」を読んでみようかなと思っています。

by zoompac | 2018-09-14 08:44 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「ファーストラヴ」島本理生_第159回直木賞受賞作、読んではみたけれど・・・!

f0090954_09032831.jpg第159回(2018年上半期)直木賞受賞作品です。

オール読物9月号の直木賞選者の方々の選評を読みましたが、他の選者の支持がさほどでもない中、伊集院静氏が口泡を飛ばしてこの「ファーストラヴ」を激賞されていた印象が残りました。

受賞作品は選者の多数決で選ばれるのではなく、声の大きい影響力のありそうな選者の意見に取捨選択を繰り返しながら、結局はその意見が少数派だったとしても、そこに求引され収束していくものだなと思ってしまいました。

私も一読して、文章の上手さと巧みな(サスペンス調の)構成は感じることはできましたが、やはりこの類のテーマには、「それがどうしたの!?」という感想が残ってしまいます。

文章の巧みさからするとこの作品は、私のあまり好きではない(お金を出してまで読もうと思わない)芥川賞にこそふさわしいという印象です。

直木賞には読んでワクワクドキドキの楽しい作品を期待しています。

この「ファーストラヴ」を読んでいるうちに、いろいろな過去の事実が明らかにされていくのですが、それを心地よいと感じる人と、私のように回りくどいと思う人と、読むひとによって印象が違う作品なのだろうと思います。

それにしても主人公のカメラマンの旦那さんの人間が出来過ぎでした。あり得ないでしょう!

長電話の好きな女性にはこの作品は受けるかもしれないと思っています。

私にとってはどうでもいいテーマについてのつべこべつべこべとした女性の長電話を聴かされた印象の作品でした。

by zoompac | 2018-08-27 10:17 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「宇喜多の楽土」木下昌輝_せっかくのいい題材を下手に料理されたような気分にさせられた作品

f0090954_09032028.jpg「宇喜多の捨て嫁」の血膿の匂いが立ち込めてくるような強烈なインパクトのあった第152回直木賞候補作に続く、木下昌輝氏の第159回直木賞候補でまたしても「宇喜多の」ってタイトルでしたので飛びついて読みました。

結論から言うと、少々、期待外れでした。短編連作集「宇喜多の捨て嫁」でみられた切り口の見事さがなく間延びした感じでした。楽土=八丈島という結論なのでしょうか、この小説のメッセージが今ひとつ掴み切れなかったような感じが残りました。

冒頭の民のための干拓による宇喜多直家の楽土づくりの理念と、関ケ原の敗戦側の一大将として追手から逃げ回ったあげく最後に追い込まれた八丈島に直家の嫡子の宇喜多秀家がそのまま居つくことのどこが楽土という表題に結びつくのか首を傾げざるを得ませんでした。

その冒頭の干拓地の描写とラストの秀家の八丈島での決意の間は、ただ淡々と秀吉の朝鮮出兵前後の事項から関ケ原の戦いの事項が秀家視点で時系列に語られているだけでした。

宇喜多秀家の立場から描かれたそれら一連の事項には新鮮に感じられる描写もありました(たとえば関ケ原の戦いにおける小早川秀秋の去就等)が、物語の構成については異議ありです。

宇喜多秀家は関ケ原を戦った武将の中では結果的に一番長生きしています。関ケ原の戦い後6年間逃げ回って、八丈島へ流されたのが1606年。秀家が没したのが1655年です。八丈島での余生は50年に及びました。

この小説は、秀家が八丈島に流されたところから始めて、フラッシュバックで、1599年の宇喜多騒動(ここもキリシタンと日蓮宗の対立構図、同じキリシタン信徒の中でも秀家の敵方となった従兄弟の宇喜多左京亮、それとキリシタン武将として有名な明石掃部(全登)とキリシタン信徒として有名な豪姫の関係を整理して描いて欲しかったです)、1600年の関ケ原(ここは枝葉末節を切り取った軽めの描写で十分)、そこから八丈島に流される逃亡生活の6年を丁寧に描いて欲しかったです。小説家として物語を作れる格好の題材ではないでしょうか。特に島津家に匿われたところあたりが興味深いですね。

そうした過去のいきさつ描写に加えて、1606年以降八丈島での生活というか大阪夏の陣に至る時代の流れを描きながら、大阪夏の陣では、キリスト教布教のために大阪側についた明石全登と徳川側として千姫救出に関わった宇喜多左京亮詮家(坂崎直盛)の物語に焦点を当て、1616年の家康の死とそのタイミングで秀家の刑が解かれ、前田利常から秀家に、10万石を分け与えるから大名へ復帰の勧誘があったことを説明すれば、秀家が何故それを断って八丈島に残る決意をしたのかということにもう少し厚みのある説得力が出てきたのではないでしょうか。

料理次第では面白い題材だったと思うのですが、「宇喜多の花嫁」で瞠目させられた腕がこの作品には振るわれていなかったことを残念に思いました。

フラッシュバックしながら、現在進行形の物語を描く手法は、伊東潤氏の「虚けの舞 」という小説が浮かんできます。

信長の息子・信雄と、秀吉に滅ぼされた北条家の生き残り氏規(うじのり)の今や秀吉の御伽衆としての生きざまを描いて印象に残る物語になっていました。宇喜多秀家という凡庸な武将ですが数奇な運命を辿った人物を描くにはこの手法がよかったのではないかと思った次第です。

by zoompac | 2018-08-22 10:04 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「下町ロケット ゴースト」_池井戸潤の村上春樹化が気になります。

f0090954_20455067.jpgこれはこれで1つの物語として読めるのですが、短編連作集の1つの短編のようにも思えます。短編として1つの物語を描くのですが、その中にもう1つ大きな時間軸の物語が形作られていくって感じがしました。

これを読むと、次作(今秋刊行予定の「下町ロケット ヤタガラス」)が早く読みたくて待ちどおしいという、今まで何度か村上春樹作品を読んだとき感じた「続きがありますよ」の「引っ張り感」たっぷりの物語でした。

大きな話の流れは、この本の宣伝文句にも書いてあるのですが、宇宙(そら)から大地へと動いていて、佃製作所もその動きに巻き込まれて新たな戦いの幕が上がりそうな雰囲気なのです。

この「下町ロケット ゴースト」は、そのあたりの宇宙(そら)から大地への伏線をあれこれ描きながら、これはこれであるトランスミッション製造に特化したベンチャー企業の特許権侵害の訴訟問題を扱った物語になっていました。

池井戸潤氏は相変わらずストーリーテラーとしてのしたたかさを進化させているようですね。

ミッション・インポッシブルのトム・クルーズのアクションがこれでもかこれでもかと進化して度肝を抜かれる感じですが、池井戸潤氏のストーリー展開も離れ業っぽい感じがします。

取引先から受注していたトラクター用のエンジン製造が打ち切られるところから話が始まります。

一方、佃製作所の財務の責任者殿村の父が倒れ、彼が実家の農業を手伝うため会社を辞める決意をします。その殿村がまだ辞任を決意する前のことですが、彼が休暇を取って実家の手伝いをしているときに佃製作所の社長の佃航平が様子を見に殿村の実家のある栃木県にやってきます。

そこで佃航平はトラクターを運転しながらギアチェンジが原因で作業ムラを起こしていることに気づき、その問題を解決すべくトラクター用に作業ムラを起こさない高性能のトランスミッションを開発することを思いつきます。

トランスミッションを作る会社を紹介してもらった佃航平は帝国重工を辞めた業務企画の天才と技術畑の天才2人によってはじめられたギア・ゴーストという会社を訪れます。その社名から、表題の「下町ロケット ゴースト」が採用されています。何となく過去に対する怨念のイメージを漂わせています。

そこでロケットエンジンのバルブを制作している佃製作所の技術を駆使してそのギア・ゴーストで製造しているトランスミッションのためのバルブの入札に参加させてもらいます。

佃製作所の試作品は、そこの島津裕という天才技術士から高い評価を得て入札を勝ち取ります。ちなみに天才エンジニアの島津裕は女性でした。

そんな矢先、ギア・ゴーストのトランスミッションが特許侵害で訴えられる問題が起きてしまいます。

莫大な特許侵害料を要求されて経営危機に陥りそうなギア・ゴーストを買収したいと思う佃航平でしたが、そこは技術と仁義に生きる浪花節男です。相手の弱みに付け込むことを潔しとはしません。

以前同じような問題で存亡の危機にあった佃製作所を救ってくれた知財の神さま神村弁護士をギア・ゴーストに紹介します。

今回の「下町ロケット ゴースト」は、この特許侵害問題に関する紆余曲折の物語がメイン・テーマでした。

ギア・ゴーストも神村弁護士のおかげで窮地を脱するのですが、その後、事業方針の食い違いからトップの二人のうち島津が会社を辞めてしまいます。

たぶん彼女は佃製作所に入ってトラクター用のトランスミッションを制作することになるであろう筋立てがミエミエなのですが、池井戸さん・・・。 あ~あ、気になるなぁ、ニューヒロイン・島津の行く末が・・・・。 早く続きを読みたい!

一方、いまや佃製作所のシンボルとなったロケットエンジン用バルブシステムの納入先である帝国重工が、業績悪化からトップが交代し、事業方針を変更しようと動き始めていることも並行して語られていきます。

帝国重工のロケット開発事業スターダスト計画からの撤退ということで計画推進者で佃航平の良き理解者である帝国重工宇宙航空部本部長の財前道生は衛星ヤタガラスの打上プロジェクトを最後に宇宙航空企画推進グループへ転属になることを佃に告げます。

そのときの財前の言葉に読者も驚かされます。彼は衛星ヤタガラスを使って日本の農業を救いたいといったのです。ロケット打ち上げという金喰いプロジェクトがいかに重要で役に立っているのかを世間に知ってもらう布教活動に財前は今後没頭することになるというのです。こちらもどういうことになるのか興味津々です。

余談ですが、農業と言えば、JA全中の財務報告制度が農林水産省から金融庁の管轄になるということでしょうか、平成31年からJA全中に会計監査人設置という機関設計が義務付けられました。

農協を下部組織とした膨大な預金量を誇る巨大組織JA全中のバランスシートに民間の一般に公正妥当と認められる会計処理の番人といえる会計監査人(監査法人)の監査が入るということです。

JA全中の財務報告の透明化という体制移行に向けて現在大々的な準備が始まっているようです。

預金量も大きい組織なので、日本の大企業がバブル崩壊後に処理を誤って膨大に膨らませてきた不良資産の「飛ばし」・・・相場英雄の小説でいうところの「不発弾」のようなものが隠蔽されていないことを祈るのみですね。開けてびっくりパンドラの箱ってのは無にしてほしいです。

今後の日本の将来を展望するにあたって、農業政策にどうメスを入れていくのは大きな問題です。会計報告制度を透明化するプロセスは避けて通れないですね。政治家小泉進次郎の満を持した活躍の場も近いかもしれません。

下町ロケット ゴースト 並びにアケガラスを原作とした下町ロケットシリーズのTVドラマのテーマが「農業」というのも興味をそそられます。10月のTBSの日曜劇場で放映が予定されています。島津裕を誰が演じるのかも楽しみです。

田舎に引っこみ農業に従事することを決意した殿村はどのように次作の物語に関わってくるのでしょうか? そして帝国重工の財前の布教活動とは? アケガラス偏の秋の刊行も待ちどおしいです。

by zoompac | 2018-08-20 08:15 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「傍流の記者」本城雅人_新聞社の内情(政治部と社会部の対立、政府と報道機関の持ちつ持たれつ等)がよくわかる小説! 

f0090954_14012317.jpg現在は政治部によって傍流に追いやられたものの、かつては東都新聞の看板だった社会部に配属された6人の同期入社の男たちは、それぞれに成果を上げ、40代半ばとなった現在では、別の道(人事畑)を選んだ1人を除く5人で社会部の部長の座を争っています。

その同期6人が、6つの短篇でそれぞれに主役を務める形式をとっています。

優秀な野球選手(プレイヤー)が、優秀な監督(マネージャー)になれるとはかぎりません。

しかし彼らは出世と共に部下を持たされ、部下の面倒を見ていかなければなりません。昨日までのプレイヤーがいきなり監督としての職責を背負わされその能力も問われるのです。

皆、優秀で、自ら取材方法を工夫してプレイヤーとしての成績を上げてきた猛者だけに、部下の不出来をどう指導していいのか戸惑うばかりです。あまり厳しくすると辞めて競合他社へ転職してしまい監督能力に問題ありとなってしまいます。

優秀な記者ばかりがそろった黄金世代ですが、社会部長になれるのはひとりだけです。生き残っているのは得意分野が違う五人の男です。彼らが、人事畑に移った1人を含めて6篇の物語の主人公になってこれまでのサクセスストーリー(成功体験)、これまでの6人の同期生同士のしがらみと今の部下を抱えた困惑の状況がそれぞれの物語として描かれています。

それぞれが、部下の転職や妻との関係、職場における上司や同僚との関係等の苦悩に惑いながら出世レースは佳境を迎えますが、会社が倒れかねない大スキャンダルが男たちを襲います。

政府と報道機関の関係や、それを反映する政治部と社会部の関係を深掘りするいい作品に仕上がっていました。

「大統領の陰謀」や「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」の映画でニクソン政権を相手取って報道の自由を守り通した「ワシントン・ポスト」の矜持がまだ記憶に新しいですが、この「傍流の記者」はこれはこれで現実味溢れる日本の報道の世界の一部を組織の論理と個人の矜持という対比にうまく落とし込みながら切り取ってくれていました。

島本理生の「ファーストラヴ」が受賞作品となった159回直木賞候補作の中から、私が読んだのは湊かなえの「未来」、木下昌輝の「宇喜多の楽土」とこの本城雅人の「傍流の記者」の3冊だけでしたが、私にとってはこの作品が一番直木賞に近く思えました。

野球の新人ドラフトのような制度を描いた、第四話の「選抜の基準」という短編では、政治部手はなく社会部が1位、2位の新人取得権を許されながら、長い眼でみてそのトップツーをあえて外す選択をした話が面白かったです。

この社会部部長の座を目指した出世レースも、ネタばれになりますが、5人の有力候補がそれぞれに不本意なポストに就き、第三者に明け渡す結果になります。

この「選抜の基準」という短編が結局この6篇の短編を総括するような役割を果たし、エピローグにおいてその人事の意味合いが明らかになるところは見事でしたが、ここのところはちょっと遊び心が暴走している悪ノリ感を覚えてしまいました。それぞれ6人の苗字の頭1字をとっての言葉遊びも面白くはありましたが、なくても、いやむしろない方がよかったように思います。

このあたりのポイントを直木賞の選考委員の先生方がどのようにコメントされるのか楽しみです。

構成は以下のようになっていました。

プロローグ
第一話 敗者の行進
第二話 逆転の仮説
第三話 疲弊部隊
第四話 選抜の基準
第五話 人事の風
第六話 記憶の固執
エピローグ

by zoompac | 2018-07-27 09:14 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「街道をゆく24 奈良散歩」_「奈良はある意味では、長安の都が冷凍保存された存在だともいえる」という司馬遼太郎氏の言葉に突き動かされて7月のはじめ奈良見物に行ってきました。

f0090954_09201165.jpgこの24巻には「近江散歩」も入っているのですが、とりあえず読んだのは「奈良散歩」だけです。

司馬遼太郎氏が、二月堂の界隈にある下ノ茶屋の屋根に瓦焼きの小さな鍾馗さんを見つけて、その話に及びます。

ある夜、唐の玄宗皇帝が病を得て寝ていると夢にいっぴきの小鬼があらわれます。正体をたずねると病の鬼だといいます。玄宗が宿直を呼ぶと、大鬼があらわれ、小鬼をかみ殺してしまいます。大鬼の正体をたずねると進士鍾馗と名乗ります。科挙の試験に応じて合格せず、御殿の階をつかんで死んだというのです。

道教では(日本の神道もその影響を受けていますが)生前、志を遂げずに死んだ者は恨みを残すのだそうです。

玄宗は、彼の死を憐れみ、死骸に緑袍を着せて葬ってやりました。鍾馗はそれを恩に感じ、世の魔物を除くべく志すことを言上し、やがて消えました。同時に玄宗の病も言えたそうです。

以後、唐においては門前に鍾馗像を描いて魔除けにすることが流行したそうです。

東大寺は遣唐使帰りのいわば溜まり場でしたので、先進国唐で流行する魔除けが、屋根に鍾馗を置くという伝承になったのではないかと想像力豊かに書いていました。

さらに、「奈良が大いなるまちであるのは、草木から建造物にいたるまで、それらが 保たれているということである。世界じゅうの国々で、千年、五百年単位の古さの木造建築が、奈良ほど密集してれているところはない。奇蹟といえるのではないか」と言葉を加え、唐の都長安(今の西安)のことに言及します。

その西安(昔の長安)には、大唐を偲ぶものとして、大雁塔・小雁塔が残されているだけで、その他、大唐の栄をしのぶ建造物はなにもないと言うのです。

「むしろ長安は奈良にある」ということを、唐招提寺の金堂や講堂を眺めながら司馬氏が思ったという下りが強烈に印象に残りました。

私が訪れた7月の奈良は、中国人をはじめとして多くの外国人観光客で溢れかえっていましたが、中国人観光客の中に古都長安を偲んで来られている方々もいるとすれば嬉しいですね。

司馬氏は「奈良はある意味では、長安の都が冷凍保存された存在だともいえる」とまとめていました。

奈良朝の建築物は唐から学んだものと思われます。しかし、唐代にも日本の仏教建築の重要な特徴である木造五重塔のようなものは存在しなかったはずだとも言っています。

それ以前の飛鳥時代となると、唐からじかに学ぶ条件が十分でなかったようです。しかし手近な朝鮮に輝かしい技術があり、渡来工人たちが造塔造仏をしたようです。

中国にも朝鮮にもない日本独自の木造の五重塔(法隆寺の五重塔等)を建てたのは百済系の技術者ともいわれていますが、薬師寺の五重塔はあきらかに大陸系の技術の影響を受けているようです。大陸で学んだ技術者が関わっていると言っていました。

いずれにせよ日本古来の木を扱う人たちの技術と経験なども融合され、日本独自の五重塔という建築様式が生まれたのではないかとを語っている箇所は非常に興味深かったです。

新技術を取り入れながら創意工夫をし日本独自のモノを創り出すルーツがこの日本独自の形式としての五重塔にあるとしたらそれはロマンですね。

そういう点では、奈良は長安の面影を残しつつもやはり日本独自の文化の継承の足跡を残した日本の古都といえそうです。

そもそも国宝とされている大小様々な奈良の仏像もそもそも仏教本来の教義ではむしろ禁じられているほどです。司馬氏はヘレニズム文化の影響を挙げられていましたが、シルクロードの東端としての当時の国際都市奈良に唐や新羅、さらにはペルシアあたりからもいろいろな建築様式や技術が入ってきてそれに日本独自の木造建築や木造の仏像作製の技術と融合したと想像すれば楽しいですね。興福寺に祭られている阿修羅像のなんと端正であることか! あの愁眉がたまりませんね。

その興福寺に関する司馬氏の記述も面白かったです。

藤原氏の氏寺だった興福寺が明治維新の廃仏毀釈前はまことに広大な境内を持っていて、奈良ホテルはもちろん、料亭旅館の菊水楼やこれまた料理旅館として有名な「江戸三」等が所在する奈良公園までもがその境内に含まれていたそうです。

鎌倉期までの日本政治史は、藤原氏の家族史でもあり、権力と富はこの一門に集まりました。興福寺の大檀那が藤原氏であり、その藤原氏の氏寺である以上、平安期いっぱい興福寺には荘園が寄進され続け、その荘園は大和地方に集中したものと思われます。その経済力は、僧兵を擁し、中央から地方長官として大和国の国司がきても相手にせず大和一国を私領化していました。平安後期のことです。

頼朝が鎌倉幕府を興した時も、大和における興福寺の勢力に手がつけられず、頼朝は妥協し、興福寺をもって「大和守護職」とし、そこは武家不入の地とされました。室町・戦国の時代には興福寺の僧兵だった筒井順慶(1549~1584)が大名になったほどでした。

織田・豊臣政権で興福寺は大きく寺領を削られましたが、江戸期の幕府はそれでも2万余石を与えました。

明治になって廃仏毀釈が決まり興福寺の僧たちは争って同じ藤原氏の氏神であった春日大社の神官に転職したそうです。

興福寺は廃仏毀釈後一時廃墟のようになったと言われています。今の国宝五重塔も二束三文で売りに出されたが誰も買わなかったとか、それで処分に困って焼かれようとされたと聞いています。

藤原家末裔の興福寺の僧達の狼狽ぶりが歴史に残ってしまいましたね。

司馬氏はまことに厳しく言っています。明治初年、旧興福寺の僧徒が、真に仏教徒であったら、戦国期、織田信長に対して抵抗した一向一揆のように、明治の 太政官政権に抵抗することもできたはずであると。

旧興福寺(廃仏毀釈前の興福寺)の欠陥はこの巨刹を構成していた塔頭院のぬしがことごとく京の公家(藤原氏)の子であったことでした。平安時代から明治維新まで1000年余りに渡って興福寺は京の藤原公家の出店でした。

明治維新の廃仏毀釈の決定に、仏教の権威、信仰も投げ出して興福寺を捨ててしまいました。僧をやめ神職にならねば禄も位も失うという焦りの中でパニック状態に陥ったようです。

興福寺は法相宗ですが、司馬氏は「千数百年の法相学は、反故のように捨てられた」と冷たく言い放っていました。

今月初めに奈良見物に出かけましたが、そういう藤原氏の1000年の歴史を俯瞰した視線で眺める興福寺の五重塔の美しさには背負った歴史の重みが頭に入っていたためかそこはかとない悲哀を感じました。

今、700年の歴史を持つヨーロッパの「ハプスブルク家」の本を読んでいますが、続いてこの1000年の歴史を持つ「藤原家」の本も読んでみたいと思っています。

by zoompac | 2018-07-26 09:20 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)
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