
紀元前31年、カエサルの養子オクタビアヌスは、遂にアントニウスとクレオパトラの連合軍を「アクティウムの海戦」で打ち破り、ローマに凱旋を果たします。
カエサル暗殺以降15年、権力を一手にしたオクタビアヌスでしたが、なぜか元老院の前で共和制の復帰を宣言します。紀元前27年の事です。
「わたしの一身に集中していた権力のすべてを、あなた方の手にもどす。武器と法とローマの覇権下にある属州のすべてを、元老院とローマ市民の手に再びもどすことを宣言する」
元老院は感謝・感激の意を表し、オクタビアヌスに「アウグストゥス」の尊称を贈りました。オクタヴィアヌスの正式名称は 「インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥス」と変わったのです。
著者・塩野七生は言います。
「だが、その宣言は、実は、カエサルが目指した「帝政」への第一歩だったのだ」と。「実情は、手放したほうが利益になる特建を放棄したにすぎなかった」と。
アウグストゥス自身は決して「帝政」という言葉を口にしませんでしたが、行政機構の1本化を推し進め、実質的な帝政を実現していったのです。
そして広大な版図に「ローマによる平和」/パクス・ロマーナをもたらすことになる男の生涯と帝政成立の内幕がこの14巻と続く15巻、16巻の3巻に渡って描かれることになります。
元老院は、彼にアウグストゥスという尊称を贈っただけでなく、平和が確立するまでは属州の軍事も担当してほしい、とまで依頼します。
アウグストゥスは、平和体制に向けた「軍備削減」努力を敢行していきます。そこには、彼の、国家ローマは、領土拡張の時代から領土維持の時代に入ったとする認識がありました。
内乱が終結し、唯一人の勝者となったアウグストゥスの許には、膨大な55万人を越える軍事力が残っていました。これほどにも増えていたのは、アントニウス側についていた将兵までが加わったからでした。
ローマ軍の兵士なのだから、身一つで除隊させるわけにはいきません。転職先と、転職に必要な資金、つまり退職金も用意してやる必要がありました。また、これを怠れば兵士たちの不満を呼び、その行きつく先は社会不安ということになります。
入植地の選定と購入はオクタヴィアヌスの仕事となりました。なぜなら、どこにどの規模で入植させるかということは、国家の政略でもあったからです。
50万もの兵士を維持していく費用を考えるだけでも、〝軍縮〟は急ぐ必要がありました。そして、いつ頃完了したのかは定かではありませんが、最終的には、50万人から17万にまで削減されたのです。
政治思想家マキアヴェッリが言うように、「新しい政策を断行しなければならない場合は、人々に考え批判する時間を与えないよう次々と行うべきである」を、まるで先取りしたかのごとくの見事な手腕でした。
軍備は拡張するより、削減する方が困難だと思います。
そしてこれは、実際に軍勢を指揮してアントニウス軍と戦い、勝ったアウグストゥスの右腕のアグリッパの同意と協力なしには、成し遂げられないことでもありました。
国家の目標が攻略から防衛に転じたとなると、防衛線の確保が最重要課題になってきます。
アウグストゥスは、ローマ史上はじめての防衛のための常設軍の創設者になったのです。
攻撃するのならば、目的が決まった段階で軍団を編成し、それを充分に訓練してから出撃しても遅くはありません。
しかし、最大の目標が防衛に変れば、従来のやり方では不都合になるのです。
何故なら、敵はいつ襲撃してくるかわかりません。ゆえにそれへの対応手段は常に準備しておかねばならないのです。アウグストゥスは、防衛を目標とするからこそ常設軍事力が不可欠であることを理解し、それを実践したのでした。
軍制改革が、軍備縮小と並行して行われた点も興味深いことです。常設軍ともなれば、可能なかぎり少ない経費で最大の効果をあげる組織に作らなければ、国の経済力がそれに耐えきれなくなってしまいます。
そして、新設の防衛軍を伴って、アウグストゥスは、ローマ世界の西半分の再構成の遠征を敢行しました。
カエサルが線を引き、アウグストゥスが土台を築きはじめ、その後百年以上にわたって代々の皇帝によって完成していくライン防衛線ですが、その堅持が最大の目的であったことからも、軍団基地建設にも地政上の配慮がなされました。それゆえに二千年後の現代ですら機能する諸都市の誕生に繋がっているのです。
こうして、ローマ文明を支柱にした一大文明圏の形成がはじまったといっても過言ではないかもしれません。
ローマ世界の西半分の再編成を終えたアウグストゥスが、首都ローマに帰還したのは紀元前24年で、彼は40歳になっていました。
東方の再構築努力は、アグリッパを中心に行われました。
ローマ帝国の東半分の再編成と、先送りになっていたパルティア問題の解決が急務でした。大衆は、地味な国政の整備よりも、華やかな戦果のほうを好みますが、アウグストゥスは外交を選んでいます。
ユダヤの独立を尊重する交換条件で、東方のパルティア、南方のアラビアへの防衛線の一翼を、ユダヤに担ってもらったのです。
その結果、33年前のクラッスス軍の敗北と、15年前のアントニウス軍の敗北で難敵パルティア軍に奪われていた銀鷲旗はすべて返還されました。
銀鷲旗がもどってきたことが、元老院議員から庶民の端に至るまで、どれほどの喜びであったかは想像も容易です。そして、現代の研究者の多くも、この一事を、「アウグストゥスの外交の傑作」と賞讃するのです。
この14巻には、アウグトゥスが見事な手腕で、「安全保障」を整備する様が描かれていました。軍備削減、通貨の改革、選挙改革、食料の確保、東西領土の再編成、そして防衛線を脅かすパルティア王国との講和等です。