これまで数々の名作の原形となった「三国志」を、曹操、その息子・曹丕らに仕えた軍師・司馬懿(しばい)の視点から描いたのがこのWOWOW中国歴史ドラマ「三国志~司馬懿 軍師連盟~」です。
第一部の第1話~42話は、三国戦乱の世で、漢王朝の皇帝・献帝の一派から命を狙われた曹操が、自らが囮となり、暗殺計画を企てた人々をおびき出す事件から物語が始まっていました。
曹操は献帝に事の真相を問いただし、目の前で妃らを惨殺しました。さらに暗殺計画に関係したと思われた司馬懿の父・司馬防らを投獄してしまいます。しかし司馬懿は持ち前の知略を働かせ、司馬防の容疑が冤罪であることを証明し牢獄から救出するのです。
曹操の息子・曹丕は、父の無罪を勝ち取った司馬懿のもとを訪れ、自分の志す平和な世を実現するため協力を求めました。その求めを一度は拒否する司馬懿でしたが、その才能と野心的な一面は曹操からも認められ、司馬懿は曹丕に仕えることになりました。
その後、司馬懿は、激しくなる曹丕と、その弟・曹植の後継者争いに巻き込まれていくことになります。
司馬懿は「狼顧の相」を持ち、一説には、首を180度後ろに捻転させることができたと言われていました。この噂を聞きつけた曹操が、本当か試すためにいきなり司馬懿の後ろから名前を呼んだところ、真後ろに振り向いたというシーン(写真)が印象的でした。曹操がこの相を見て「この男性は遠大な志を抱いている」と大層警戒し、曹操がその詩心を愛して止まない曹植を贔屓し、何かと曹丕につらくあたりますが、司馬懿は、結局、曹丕を曹操の後継者と認めさせることに成功します。
余談ながら、魏の礎を創った曹操が危惧した「彼は心中に野望を秘めており、一介の家臣として終わるつもりはなかろう」という思いは、後に的中することになりました。後に司馬懿はクーデターを起こし西晋の礎を築くことになります。
漢王朝の臣下でありながら、魏を建国した奸臣「曹操」だからこそ、嗅ぎわけられた司馬懿の危険な匂いだったのかもしれません。斎藤道三が織田信長をみて、自分の死後、自分の息子たちは織田信長の前にひれ伏すことになろうと予言した逸話との類似性が印象的です。
第二部は第43話~86話ですが、2月の第一週の時点で、第56話まで放映されています。
魏の国の王となった曹丕の配慮(曹の親族から司馬懿の優秀な人材を世間から登用しようとする政策に大反発)で、いったん官職を解かれ、故郷の温県へと帰っていた司馬懿は、政治の表舞台から降り畑仕事をして日々を過ごしていました。しかし、洛陽では曹丕が病に侵され死を目前にする非常事態となってきます。亡き父・曹操と、司馬懿のことばかりを思い返していた曹丕は、息子の曹叡(リウ・ファン)を即位させることを決意し、さらに司馬懿を呼び戻すことを決めました。
そして、曹真、曹休、陳羣、司馬懿の4人で曹叡を補佐するようにと命じて崩御してしまいます。
新王となった曹叡は司馬懿を手厚く迎えるのですが、曹一族で政治全般を牛耳りたい曹真らは司馬懿が戻ってきたことに怒りと焦りを感じていました。
一方、曹丕の死と、曹叡に4人の補佐がつけられたという連絡を受けた蜀の諸葛亮は、戻ってきた司馬懿を強く警戒します。魏の重心の中で諸葛亮が恐れたのは広く深い戦略眼を有する司馬懿だけだったのです。
宿命のライバルといわれる2人の天才軍師の対決が、この第二部の目玉として、2月の初旬現在展開していっています。
司馬懿は対外的に蜀の天才軍師諸葛亮との戦い、対内的には隙あらば梯子を外そうとする曹真、曹休等への対応に苦心惨憺の日々が続いていっていたのですが、司馬懿の忠告を聞かず、諸葛亮の誘いに乗って大敗戦を喫してしまいました。そしてその心労が原因で曹真が先週のドラマで亡くなってしまいました。
いよいよ全権を託された司馬懿が諸葛亮と対決します。
邦題にもある、“軍師連盟”とは本作に出てくるさまざまな軍師たちが、ライバルでありながらもお互いを認め合い、尊敬し、つながっていることを指しています。諸葛亮と司馬懿は戦の上では敵でした。相手の事を深く理解できるからこそ、諸葛亮は司馬懿の一見不可解な行動が、魏の軍事権を掌握していた曹真の警戒を解くためのものだと判断できたのです。
穿った見方をすれば、司馬懿は諸葛亮に政敵・曹真をやっつけてもらったとも言えます。そういう意味で、大変な心理戦を戦っているようにもみえます。
この物語には、司馬懿の永遠のライバルで、その才能を彼が神のごとく恐れていた知略に長けた諸葛亮のみならず、他の軍師たち(例えば、呉の陸遜【りくそん】)や彼らの家族の物語も軸にし、新たな三国志の魅力と面白さを引き出しています。
司馬懿の正妻に対する恐妻家ぶりも結構笑えます。
2017年~2018年はWOWOW中国歴史ドラマ「三国志 ~趙雲伝~」 (全59話)を楽しみましたが、この「三国志~司馬懿 軍師連盟~」も面白いです。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事成語で有名な「五丈原」の戦いのシーンはこれからです。ちなみに司馬懿は字名(あざな)で仲達と呼ばれていました。吉川英治の三国志演義では司馬仲達で登場しています。
3巻まで読んで頓挫していた宮城谷昌光の「三国志」全12巻を読んでみようかなという気になっています。