NHK朝ドラの「まんぷく」がコンスタントに視聴率20%超えで絶好調ですね。
空気を読まず否定的な発言が多い松坂慶子が演じる福子の母・鈴ですが、当初は面倒くさい人だなと思って観ていました。
しかし、観ているうちにだんだんそのキャラがうざったいけど可愛い姑というイメージに変わってきました。
「私は武士の娘です!」と相手を圧倒しようとしますが、何を言おうと萬平さんには馬耳東風ですね。頬をふくらまして拗ねたり家出をしたりで本当に困ったチャンの義母ぶりが笑えます。
ウザかわいい姑として主役並みのキャラとなっています。
しかし、「チキンラーメンの女房 実録安藤仁子(まさこ)」を読むと、鈴のモデルとなった仁子の母・須磨の実家は代々鳥取藩主池田家に仕えた藩士で「私は武士の娘です」というのは実際に須磨の口癖だったようです。
百福と結婚して多事多難な苦労の絶えない娘・仁子を精神的に支える須磨の教えは、「クジラのように物事をすべて呑み込んでしまいなさい」という言葉でした。
いちいち否定的な意見で水を差すドラマのキャラとはえらい違いで母・須磨はクジラのようにすべてを受け入れる肝の据わった人でした。
百福の事業の浮沈に右往左往する娘・仁子を助けて、家事・育児を一手に引き受けてくれたのも母・須磨でした。
一方、仁子の父・重信の父方は安積艮斎(あさか ごんさい)の子孫になります。安積艮斎は、福島県郡山市の出身で、幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが学んだ他、吉田松陰にも影響を与えたとされています。
父・重信の母方の祖先には旧二本松藩士(福島県)の朝河貫一がいます。国際的に通用する歴史学者で、日本人初のイェール大学教授です。「武士の娘です」と言っていた母より、むしろ父方のほうが偉人の直系の血筋だったのです。
「ならぬことはならぬ」という会津藩に伝わる教えは2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公新島八重を演じた綾瀬はるかがたびたび口にして有名になった言葉ですが、父方が福島県出身者だったことからチキンラーメンの女房の安藤仁子の口ぐせの1つでもあったのです。
仁子さんの夫であるインスタントラーメン「チキンラーメン」やカップ麺「カップヌードル」の開発者として知られる安藤百福氏は日清食品(株)の創業者です。
1910年、明治43年生まれで、日本統治下の台湾出身者でした。本名は呉百福です。
ドラマでも紹介されましたが、資材横流しのねつ造で憲兵から手ひどい拷問を受けた背景には国籍問題もあったと思われます。
安藤が日本国籍を取得したのが1966年でしたので日清食品を創業した後です。
安藤百福が大阪府泉大津市にて製塩業を営む「中交総社」創業したのが1948年です。
その傍ら、専門家を集めて国民栄養化学研究所を設立し、牛や豚の骨からたんぱく質エキスを抽出することに成功、パンに塗るペースト状の栄養商品「ビセイクル」として病院にも供給されました。TVドラマの「ダネイホン」のモデルのようですが、ビセイクルはダネイホンのように全国的事業として拡大はしておらず東京進出もしていなかったようです。
脱税容疑で巣鴨に拘束されたのは製塩事業の方でした。
GHQ統治下で均衡財政を目指して大活躍をしていたのが池田勇人元首相です。当時は大蔵省の次官でかなり強引な追徴課税で出世街道まっしぐらでした。サントリーの創業者の鳥居新次郎とも酒税の件で生涯の友となりました。
安藤百福の逮捕の裏に直接池田勇人は登場していませんが、何らかの形で関与していたかもしれないと思うと楽しくなります。
安藤は自ら働きながら立命館大学の夜学を卒業したことから、働く若者に勉学を奨励し奨学金を出していましたが、それが脱税対象とされたのです。TVでも紹介されていましたが「見せしめ」逮捕の可能性が高かったと言われています。
その教育熱心さから安藤は1947年に名古屋で開校した中華交通学院のオーナー・理事長を務めています。1951年に閉校して建物の大部分は現在の名城大学となっています。2008年の全国大学女子駅伝の優勝校です。
立命館大学は、安藤百福の事業成功に対して卒業後60年の1996年に名誉経営博士号を授与しています。
富士山女子駅伝五連覇中の立命館大と女子駅伝黄金時代を迎えた名城大に安藤百福が関わっている偶然も面白いと思いました。
インスタントラーメン「チキンラーメン」が発売(35円)されたのは1958年8月です。
時代は高度経済成長に入ったところでした。池田勇人首相の打ち出した「所得倍増計画」の波に乗ってチキンラーメンも爆発的に売れました。
事業の成功を確信した百福は「日々清らかに豊かな味を作る」思いをこめて1958年12月に「日清食品株式会社」を創設しました。製塩事業を始めて10年後のことです。
安藤百福の偉いところは、インスタントラーメンの特許を独占しなかったところです。製法特許の技術を守ることに汲々するより、オープンにすることによってインスタントラーメンの市場のすそ野を大きくすることに成功しました。
カップラーメンが米国向けの輸出品として開発され、日本での売れ行きはぱっとしませんでした。あさま山荘事件の機動隊が暖を取るためカップラーメンを食べているところが放映されてその需要に火がついたというエピソードが非常に面白かったです。
朝ドラでは、チキンラーメンの開発にいたるところまでまだいたっていません。これからの展開が楽しみです。
2003年の朝ドラ「てるてる坊主の照子さん」で描かれた石田家の四姉妹と安藤百福のチキンラーメン開発の接点が描かれるのかどうか興味があります。
ドラマでは上野樹里演じる三女の秋子が中村梅雀演じる安藤百福の手伝いをするシーンがありましたが、それは石田家と安藤家が近所だったからということでドラマに挿入されたフィクションでした。
安藤夫妻は池田駅前堺町商店街にあるいしだあゆみの実家のお店に寄ってよくクリームソーダを飲んでいたそうです。
ドラマでは源の名前になっている百福の長男の宏基は2代目社長として「どん兵衛きつね」や「焼きそばU.F.O.」を発売してヒットを飛ばしました。
安藤宏基は池田小学校でいしだあゆみ(本名:石田良子)と同級生だったそうです。一緒にアイススケートに行ったこともあるそうで、いしだあゆみはお姉さんでフィギュアスケートの元五輪選手の石田治子の妹だけにかなり上手だったそうで教えてもらったことを懐かしそうに回想していました。
「てるてる坊主の照子さん」の著者のなかにし礼さんと結婚したのは四女の石田ゆりさんでした。
この石田4姉妹とのエピソードがチキンラーメン開発時代@大阪府池田市ドラマ「まんぷく」のドラマにどういうふうに挿入されるのか楽しみです。
巣鴨から保釈された萬平さんですが、チキンラーメン開発に至る前に不案内な金融業に首を突っ込みます。信用組合を創設するのですが、ここで一難去ってまた一難を経験します。
うざかわいい萬平さんの義母がどんな嘆き方をするのか今から楽しみです。