「いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。国外には敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。」と言って、アルプスを越えて、ローマ連合の領域内に入り込んで、内から共和政ローマを打ち砕こうとしたハンニバルでしたが、そのときローマ軍が連戦連敗をしても連合国はローマを見捨てませんでした。
そのハンニバルによるポエニ戦役という非常事態を切り抜け、逆に北アフリカの大国カルタゴを下し地中海の覇権を確かなものにしたローマでした。
しかし、歴史の皮肉と申しましょうか、ハンニバルの唱えた内なる敵はタイミングをずらしてローマの内部に忍び寄っていました。 ハンニバルの指摘は当たっていましたがハンニバルの攻撃は時期尚早でした。
ポエニ戦役という非常事態の中で、本来は助言機関であった元老院に政策決定権を与えてしまいました。元老院は危機が過ぎた戦役後もそれを市民集会に返すことなく既得権として保持してしまいました。
また、新たに属州となったシチリアからの小麦の流入が、中産階級を占めていた小規模農家を直撃します。失業者が増え貧富の差が拡大しました。
その社会不安を打開すべく立ち上がったのがスキピオ・アフリカヌスを母方の祖父とするティベリウスとガイウスのグラックス兄弟でした。彼らは農地占有の制限などで市民階級の再興を図ろうとしましたが、戦勝で獲得した農地は借地の名目で、元老院のメンバーでもある有力貴族が実質的に占有していました。
グラックス兄弟の提案には、他にカルタゴの地に新しい都市を建設することで生活のため土地を手離して無産階級となった多くの人に仕事を与えようとする政策もありました。
新富裕層や既得権益者からなる反対勢力と少なからず自身もその類に入る元老院は、兄弟の外地での公共事業も含む全ての改革案審議を拒否し、二人を裁判にかけるでもなく死に追いやってしまいます。時期尚早の改革者兄弟の死体は時期を異にして弔われることなくテヴェレ河に投げ込まれてしまいました。
グラックス兄弟の改革が道半ばで途絶えた後ローマに登場したのは、50歳で執政官に就任するまでの人生のほとんどをローマ軍で過ごしたガイウス・マリウスでした。
ローマ軍は、北アフリカのヌミディアの反抗制圧などに手を焼き、質量ともの低下の問題が顕在化していました。
これを打開するためマリウスは徴兵制であった兵役を志願制に変更しました。
それまで兵役に就くことは直接税を払うことと同じとされ、それゆえ無産階級は兵役を免除されていました。マリウスの兵役改革は有産階級にとっては義務とみられていた兵役からの解放を意味し、無産階級にとっては志願して得られる職業を与えることになりました。
そのことは、はからずもグラックス兄弟が取組み、そして挫折した、階級間の格差是正にもつながります。志願してきた兵士には、農地を手離した失業者が多く含まれていたからです。
塩野七生が意味深長なことを言ってました。
「多くの普通人は、自らの尊厳を、仕事をすることで維持していく。ゆえに、人間が人間らしく生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、福祉では絶対に回復できない。職を取り戻してやることでしか回復できないのである。」
失業とは生活手段を失うだけでなく人間の存在理由まで蝕んでしまうということですね。
グラックス兄弟は農地を中産階級に取り戻して与えることや新植民地都市建設、その他の公共事業振興でその失業問題を解決しようとしましたが、兄弟の早すぎた死がその実現を阻みました。マリウスはこれらの失業者たちを軍隊に吸収したのです。
マリウスは、ローマ軍団の基本的な軍団編成の整備にも取り組み、それがローマ軍の戦力向上にも大いに寄与しました。
しかし、属州の反乱や蛮族の侵入が一段落すると不要な軍隊を抱えると言う問題が生じてきました。徴兵であれば国に帰った兵隊は元の仕事に戻るだけですが、職業軍人は失業してしまいます。
それにマリウスによる改革後のの軍隊では、ローマ市民の志願兵と同盟市民の招集兵との間に矛盾を生じ、ローマ市民とローマ同盟市民の間に大きな軋轢を生じてしまいました。
ポエニ戦役当時は、ローマ市民のみで編成された軍団が主力で、犠牲の大きな部分も被っていました。その分ローマの覇権拡大の利益の取り分もローマ市民がとっていました。
しかし、100年後の今、同盟市民にとって兵役は義務のままである一方で、ローマ市民には職業なのです。決してローマ市民の被る犠牲が大きいとはいえません。それなのに、ローマの覇権の拡大に対する利益分配もローマ市民に有利ということでは同盟市民の不満が募って当然のことになります。
その不満が昂じて、ハンニバルが夢にまで見たローマ連合の分断が起こってしまいます。
元老院もしぶしぶながら同盟市民にローマ市民権を付与せざるを得なくなったのです。そしてこのことこそグラックス兄弟が30年前に目指していたことでした。元老院階級が覇権拡大によって得た土地を自分たちの所有にしようとがめったことがそもそもの内側の敵というか獅子身中の虫でした。
物事を見通す正しい眼力があっても、変革には、それを実現できるタイミングと状況から勢いを得る実行力が必要ということですね。
戦時にはリーダーシップを如何なく発揮していたマリウスが、平時にはもたついていたという下りも面白く読みました。
そして平民たちから失望され、マリウスが執政官選挙の立候補を断念したB.C.99年に、マリウスの妻ユリアの実家に1人の男児が生まれました。その子はガイウス・ユリウス・カエサルと名付けられました。
ユリウス・カエサルの登場は8巻からです。次の7巻では、マリウスの下で経験を積み、後にはマリウスの最大のライバルとなり、マリウス派を粛清し恐怖政治を行ったスッラが登場します。
反動の反動で、スッラはグラックス兄弟とは反対に元老院体制強化で混迷打開を図ります。引いては押し寄せる波のように、変革には紆余曲折が必要だということでしょうか。
そのスッラの後のローマにはユリウス・カエサルの前の露払いのような存在になってしまいましたが、軍事面で天才的な能力を持ったポンペイウスが登場します。偉大なるポンペイウスの下でローマはその覇権を広げていくことになります。