
含蓄の深い本だと思います。今年小学校6年の孫に読ませたいと思いますが、興味を持つか持たないかはわかりません。
自分自身が小学校高学年か中学生のとき大人から勧められてもたぶん読まないだろうなと思う本を孫に何とか興味をもってもらおうとも思いません。
この本は逆に子供の頃に読まなかった大学生やいい大人が読んで自分の多感な中学生時代を懐かしむにふさわしい本だと思います。
もちろん、孫がこの本に興味を持ってくれて、その感想等をいろいろ意見交換出来たら楽しいに違いないのですが、それはそれでちょっと不気味で腰を引いてしまうかもしれません。
いい大人が子供に読んで欲しいと思う本ほど子供にとって退屈な本はないように思われます。
基本的に子供は道徳とか哲学とかの話題、それも上から目線の話は嫌いではないでしょうか?
私の中学時代も、親から読むなといわれていた柴田錬三郎の眠狂四郎シリーズを隠れて読むことが何より楽しみだった経験があります。
人間は基本的に自己中心的です。聞きたいことしか人の話は聞きませんし、興味がわくことにしか関心を持ちません。
主人公コペル君はそこのところに気づいたのかもしれません。
デパートの屋上から街を眺め、人の流れを俯瞰し人間一人一人は水の分子のように見えることを発見しました。
そこから叔父さんはコペル君のその発見を誉めそやし地動説を発見したコペルニクスにちなんでコペル君というニックネームをつけました。
物事を自分中心に考えるのではなく(天動説?)、他人の気持ちなどを思いやること(天動説?)が大切だということでしょう。
似たようなことを司馬遼太郎氏が「21世紀に生きる君たちへ」に書いていました。
人間は社会という支え合う仕組みのなかで生きているのだから、自己中心に陥るのではなく助け合って生きていかなければならない。そのためには自分に厳しく、相手にやさしくという自己を確立すべきだという旨のことでした。
まあ、私は司馬遼太郎でも吉野源三郎でもないので、私自身の行動を振り返っても恥ずかしくなるようなことを孫に説くつもりはありません。
ただ、この本のナポレオンのことを書いた下りは少々興味をひかれました。
この本が刊行されたのが1937年ですから、第二次世界大戦がはじまる2年前です。満州事変が始まって6年後の時代に、当時誰もが英雄とみなしていたたナポレオンに対して批判をしています。ナポレオンのロシア遠征で命を落とした60万人の外国人部隊の末路に触れて次のように言っていました。
「60万人の人々には家族もあれば友達もあった。だから、ただ60万人が死んでいったのではなくその彼らと繋がっているその何倍もの人達があきらめきれないつらい涙を流したのだ。それほどまでに多くの人々を苦しめる人間となってしまったナポレオンの権勢は、世の中の正しい進歩にとって有害なものと化してしまった。そんなナポレオンの没落は避けられないし、歴史は事実そのように進行した。
さらに追加して、「英雄とか偉人とかいわれている人々の中で、本当に尊敬ができるのは人類の進歩に役立った人だけだ。彼らの非凡な事業のうち、真に値打ちのあるものは、ただこの流れに沿って行われた事業だけだ。」
今から80年前のあの時代にあって、戦争批判ともとらえられかねないこうした主張はなかなか勇気のいることだっただろうと思うにつけ印象に残りました。
最近読了した「ジョゼフ・フーシェ」(ナポレオンの部下の警察大臣でしたが、ナポレオンが最も恐れた男として描かれていました)を書いたシュテファン・ツヴァイクは、オーストリア生まれのユダヤ人作家です。多数の伝記文学を著しました。特に歴史小説の評価が高く、「ジョゼフ・フーシェ」の他、「マゼラン」、「マリー・アントワネット」や「メアリー・スチュアート」が有名です。ナチス政権下での迫害を逃れるため、スイス、英国、米国、ブラジルを転々としました。
そのシュテファン・ツヴァイクも人類の進歩とか人間の進歩を重視した言葉を発しています。
「人間は自分の生活を有意義なものだと感じていればこそ、人間らしく生きて行かれる。それと同様に、私たちは過去に対しても、私たちの人間性のより高い段階へと発展していくのだという意義を与えることができるからこそ、過去を有益なものとして受け取ることができる。」
「このような精神においてのみ、つまり、私たち自身を前進させてくれる人間進歩の歴史として、明日の歴史は書かれなければならない、と私は思う。」
「イタリアの戦場で、オーストリア軍を打ち負かして得たナポレオンの勝利は、今日の私たちにとって一体なんの意味がありましょう。彼の帝国はすでに跡形もなく潰え去ってしまったし、彼が征服したオーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)も今はありません。」
「私たちが人生のいかなる時にあっても精神的には進歩しているのであるということを思い出すときにのみ、国々や独裁者たちの馬鹿さかげんをあきらめることができる」
「昨日の歴史が永遠に前科を重ねてきたことの歴史であるならば、明日の歴史は私たちの永遠の向上の歴史、人間の文明の歴史であらねばなりません」
彼にとっては、ヒトラーもナポレオンも馬鹿な独裁者だったのでしょうね。「ジョゼフ・フーシェ」のなかでは、ナポレオンを「戦争屋」と登場人物の口を借りて呼んでいました。
彼もその意味では戦争を肯定する「英雄伝説」の否定論者でした。
歴史というものを長い眼で眺めると、確かに不条理というものは幅を利かし続けることはないということが分かるのですが、逆に健全な進歩も恒常的に続くこともなく、不条理の期間と条理の期間が同じくらいの時間の幅で交互に繰り返されているような気もします。そのような混沌とした時代に孫たちはどう生きて行くのでしょうか。
おじいちゃん自身ですらわからないのにアドバイスもへったくれもありません。
強いてアドバイスするとすれば、「司馬遼太郎と塩野七生の本は興味を持った時でいいからできるだけ読みなさい。映画は興味の湧くものをたくさん観なさい。」くらいでしょうか。
そしてナポレオンに興味をもったら、「君たちはどう生きるか」も読んでみることを勧めてみます。
人間って所詮、聞きたいことしか聞かないし、興味のあることにしか興味をしめさないですからね。