
2018年6月になって日経新聞に作家の阿刀田高さんが「私の履歴書」を書いていらっしゃいます。
その第12回に、小説を書くためのアイディア発見の備忘録ノートなるものを紹介されていました。
生活のなかでアイディアのかけらを探すことを心掛け、思いついたことはとにかくメモにされるのです。
これを怠ると、いいことを思いついたという記憶だけ残り、その内容が思い出せないため、釣り落した魚(アイディア)を悔やむことになるのだそうです。
断片的な一行でもメモにし、そのメモを整理し備忘録に書き残します。
そうした作業を通じて、「セレンディピティ」という言葉に出会われたと書いていました。
辞書を引くと「発見上手」という訳がついています。少し詳しく言えばなにかを熱心に探し続けているとそれとは関わりなく特別に素晴らしいものを発見するという意味です。
科学上の発見ではないがと断りを入れて、コロンブスがインドだと思ってアメリカを発見したこともセレンディピティだったのではないかと言っていました。
そして自分のアイディアの断片を書き残した備忘録はまさにそうしたさまざまなセレンディピティ(思いがけない発見)を提供してくれたということでした。
外山滋比古氏によると、セレンディップというのは後のセイロン、今のスリランカの事で、そのセレンディップの3人の王子が、絶えずものを見失って、それを探すのだけど、探すものは見つからずに、思いがけなかったものが飛び出してくるというお話から、セレンディピテイが思いがけないものを発見する能力という意味になったようです。
ペニシリンの発見も偶然による思いがけない発見という意味ではセレンディピティなのでしょうね。
イギリスのフレミングが1928年ブドウ球菌の培養中、偶然アオカビを混入したところその周りのブドウ球菌が消滅したことからアオカビの抗菌性を発見したのです。ペニシリン発見のおかげで一頃不治の病とされた肺結核で亡くなる人が劇的に減少しました。
私にとっての読書は、一冊一冊は単独なのですが、本と本の間にあまり間を置かず連続で何冊も読んでいると、そうした継続性の中から繋がって読み取れる発見があり、その発見が次の読書のターゲットを絞り込んでいくようなときがあります。断片的な読書に流れが出てきて以前読んで得た知識が視野を広げてくれるように感じられるのです。私にとっては「出会い」ともいえるセレンディピティの瞬間です。
外山氏は、アメリカ人の「セレンディピティ」好きの例として、通りの名前や喫茶店の名に「セレンディピティ」を適用していることを挙げていました。
そういえば、2001年のニューヨークを舞台に偶然出会った男女の恋の次第を描くハートウォーミングなラヴ・ストーリー映画でその名もずばり「セレンディピティ」という作品を観たことがありました。
ジョン・キューザックが主演でした。クリスマス5日前のニューヨークのデパートで、一組しかない黒いカシミアの手袋を取り合うことで知り合ったジョナサン(ジョン・キューザック)と、英国女性サラ(ケイト・ベッキンセール)は、スケートリンク等で楽しくロマンティックなひとときを過ごします。
そして別れを惜しむジョナサンに、サラはある提案をします。ジョナサンは5ドル札に、サラは持っていた本に連絡先を書き、お金は使い、本は古本屋に売ります。そしていつの日かその連絡先を見つけることができたなら、運命の扉は開くであろうと予言したのです。そのとき二人が入っていたカフェの名が「セレンディピティ」だったように記憶しています。
彼らが再会するのは数年後です。ジョナサンはサラの連絡先が書かれた本を見つけ、サラも、ジョナサンの5ドル札を発見し、二人が思い出のスケートリンクで偶然再会するって話でした。確かサラの他の男の人との結婚式当日の出来事として緊迫感をもった描かれ方をしてました。
私が「セレンディピティ」という言葉を「偶然の発見」というより「偶然の出会い」と捉えるのは、この映画の影響が強いからだと思っています。
私にとって、読書や映画鑑賞を通じて「偶然の発見」や「偶然の出会い」をこのブログに書きとどめることが阿刀田さんが実践されている備忘録ノートのようなものかもしれません。