冒頭、「読者へ」という題で、塩野七生氏が次のようなメッセージを書いていました。
「ハンニバルやスキピオをはじめとするこの巻の登場人物と私たちの間に、2200年の歳月が横たわっているとは思えない。それを書く私が愉しんで書いているのだから、読むあなたも愉しんで読む権利は充分にある。高校時代の教科書ではないのだ。プロセスとしての歴史は何よりもまず楽しむものである。」
続けて、日本の教科書の記述を引用していきます。
「イタリア半島を統一した後、さらに海外進出を企てたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これをポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の覇権を握ったローマは、東方ではマケドニアやギリシア諸都市を次々に征服し、さらにシリア王国を破って小アジアを支配下におさめた。こうして地中海はローマの内海となった。」
確かに味気ないですね。塩野七生の著作を読むことで、愉しみでもあり考える材料も得られる大人のための歴史の世界に浸っていきましょう。
この「ローマ人の物語3 ハンニバル戦記(上)」では、BC264年から23年にわたる第一次ポエニ戦役と、BC218年に始まるその次の第二ポエニ戦役までの23年間、計46年間のことが書かれていました。
シチリアを舞台とする第一次ポエニ戦役でのローマとカルタゴの攻防戦では、この本のあちこちに掲載のシチリアの地図と見比べながらすっかりシチリア通になってしまいました。まだまだ、ハンニバルのお父さんの時代の物語です。
BC265年当時、シチリアは大雑把にいって、3分割されていました。イタリア半島を長靴にたとえるならつま先の部分となるカラーブリア地方の県庁所在地と、海を隔てて目と鼻の先がメッシーナです。その南に、メッシーナ同様ギリシア人の植民地から発展してきたシラクサがあり、島の西側はカルタゴが支配していました。戦役のそもそもの発端は、メッシーナとシラクサの争いだったのですが、その争いの仲介にローマが入ってきたことで、カルタゴが反応したのです。
ローマもBC264年当時、まさかシチリアへの進出が、23年にもわたるカルタゴとの正面切っての対決になろうとは夢にも思っていなかったでしょう。
メッシーナに続き、シラクサも「ローマ連合」の一員というか新興著しいローマの同盟国になったことが、フェニキア人の大国カルタゴの警戒を高めてしまったのです。
それまでのカルタゴはシチリア、コルシカ、サルディーニアにも拠点を持ち、「カルタゴの許可なくしてはローマ人は海で手も洗えない」という力関係だったのです。
この23年にわたるポエニ戦役では、それを上手く利用してローマが海軍力をつけました。結局、カルタゴは海戦に敗れ講和条約を結ぶことになります。
この講和条約の交渉役を務めたのが、後にローマ人の悪夢になるハンニバルの父親ハミルカルでした。
当時のカルタゴには大きな二大勢力があり、保守的な農業経済派(国内重視派)の一派と通商等を通じて海外進出派です。
ハミルカルは通商を富の源泉とするリーダー格で、シチリアを放棄したことでコルシカやサルディーニアも含めた一帯の地中海の制海権をローマに握られたことが面白くありません。
当時9歳になっていた長男のハンニバルを同行させ、国内重視派に不満を持つ勢力と共にカルタゴを去って、スペイン南部のカディスを中心とするカルタゴの植民地へ移住してしまいます。
ハミルカルが移住した後、9年でその植民地は本国カルタゴからほとんど独立をし領土もスペインの東南部を網羅するほど拡大しました。新カルタゴを意味する現カルタヘーナに拠点を設けます。ハンニバルは18歳になりました。
ということで、次巻のハンニバル戦記(中)にバトンタッチです。
塩野七生氏の前口上ではないですが、わくわくしています。早く読みたいです。