解説者の増田明美氏が何度も口にしていた記録達成報奨金1億円という目の前にぶら下がったニンジンを設楽悠太が怒涛のラスト5kmの走りでパックンと食べてしまいました。
25日日曜日の都庁前スタート、東京駅ゴールの東京マラソンで設楽悠太選手(ホンダ)が快挙を達成してくれました。 (写真は東京駅を背に全体2位、日本人トップでゴールテープを切った設楽悠太選手)
2時間6分11秒で2位(日本人トップ)に入り、現カネボウ監督の高岡寿成氏が2002年に出した2時間6分16秒のマラソンの日本記録更新を16年ぶりに更新しました。 優勝は2時間5分30秒で走り抜けたケニアのディクソン・チェンバでした。
設楽悠太はレース序盤から井上大仁選手(MHPS)と積極的に先頭グループでの戦いに加わっていました。
ところが32km付近でトップグループから遅れ、日本人トップ争いをしていた井上大仁選手(MHPS)からも徐々に引き離されていきました。
この時点で、設楽が6位、井上4位でした。
36km手前の高輪の折り返し地点で井上に10秒近く離され、私は勝負ありかなと思っってしまいました。
しかし、この後ラスト5km付近の37km過ぎあたりから死んでいたようにみえた設楽が急に息を吹き返し猛追を始めたのです。
38m過ぎに井上に追いつき追い越した後は、そのスピードを加速しまるで駅伝のごぼう抜きのような感じでした。 増上寺を過ぎ御成門付近の39km付近で、ついに3位を走っている外国人選手を捕らえ、さらに40km付近では2位に浮上しました。
去年のこの大会では設楽悠太は38km付近で急にスピードがダウンして井上選手に抜かれてしまいましたが、今年は去年とは真逆な展開が繰り広げられました。
終わってみれば、16年ぶりの日本のマラソン記録を5秒更新して2位でのゴールでした。
全体5位で、日本人2位の井上選手も2時間06分54秒の見事な6分台の成績でした。
井上の記録は、設楽悠太(2.06:11、’18)、高岡寿成(2.06:16、’02)、藤田敦史(2.06:51、’00)に次ぐ歴代4位の立派な記録です。 ちなみにその後、犬伏孝行(2.06:57、’99)、佐藤敦之(2.07:19、’07)と続き、去年12月の福岡国際を2時間07分19秒で走った大迫傑の記録は歴代7位となっています。
試合後のインタビューで、井上が設楽とのマッチレースに敗れた悔しさを露わに言葉にしていたことが印象的でした。
今回の大会では、設楽悠太、井上大仁の他、全体7位、日本人3位の木滑良(MHPS)_2時間8分8秒、全体8位、日本人4位の宮脇千博(トヨタ自動車)_2時間8分45秒、全体9位、日本人5位の山本憲二(マツダ)_2時間8分48秒、全体10位、日本人6位の佐藤悠基(日清食品グループ)_2時間8分58秒がMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)_’20の五輪マラソン代表選考会の出場権を獲得しました。
昨年の大迫傑の7分台の走り、今回の設楽悠太の16年ぶりの日本記録の更新、日本人選手6位内10分台のハードルを6人全員が8分台で達成したこと等、活況を呈してきた感のある日本男子マラソン界ですが、世界のトップ選手とはまだ3分近い差があることをしっかり踏まえていかなければなりません。
今回はMGCに手が届きませんでしたが、一色恭志(2.09:45)、神野大地(2.10:20)、鈴木健吾(2.10:25)等も伸びしろの大きさを予感できる走りを見せてくれました。 東京五輪に向けて切磋琢磨し、日本記録を5分台、さらには4分台に伸ばして欲しいです。