「日の名残り」(The Remains of the Day)は、1993年のイギリスの映画です。2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの同名の小説を映画化したものです。
ちなみにこの「日の名残りの」原作は1989年のイギリス最高の文学賞ブッカー賞受賞していますが、映画作品に対する第66回アカデミー賞では、主演男優賞、主演女優賞、美術賞、衣装デザイン賞、監督賞、作曲賞、作品賞、脚本賞の8部門にノミネートされながら、受賞はなりませんでした。
ちょっと政治色のかかった微妙な映画だったことの影響もあるかもしれませんが、第66回では「シンドラーのリスト」、「フィラデルフィア」、「ピアノ・レッスン」等の名作がライバルとして立ちはだかりました。
この「日の名残り」は、一流の名家であるダーリントン・ホールに執事として勤めた、主人公スティーヴンスの視点から語られる物語です。物語は1956年の「現在」と1920年代から1930年代にかけての回想シーンを往復しつつ進行します。
執事スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、新しい主人ファラディ氏の勧めで、イギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かけるという設定から物語は始まります。前の主人ダーリントン卿の死後、親族の誰も彼の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしませんでしたが、それをアメリカ人の富豪ファラディ氏が買い取ったのです。
ダーリントン卿亡き後、屋敷がファラディ氏に売り渡される際に熟練のスタッフたちがごそっと辞めていったため屋敷では深刻な人手不足という問題を抱えていました。そんな折スティーブンスのもとに、かつてダーリントンホールでともに働いていたベン夫人(エマ・トンプソン)から手紙が届きます。現在の悩みとともに、昔を懐かしむ言葉がそこに書かれていました。
ベン夫人に職場復帰してもらうことができれば、人手不足が解決すると考えたスティーブンスは、彼女に会うために、ファラディ氏から許可された束の間の小休暇を取って旅に出たのでした。
映画では、ステーブンスは(ダーリントン卿が所有していた?)ベンツに乗っていたと記憶していますが、原作では(ファラディ氏所有の?)キャデラックだったかと? 近いうちに原作「日の名残り」も読んで原作と映画の違いを確認しようと思っています。 何しろノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロ(63歳)の代表作ですから。 彼の35歳のときの作品です。
そのベンツでのドライブの道すがら、スティーブンスは、ダーリントン卿がまだ健在で、ベン夫人がまだミス・ケントンと呼ばれていた頃彼女と共にとともに屋敷を切り盛りしていたの懐かしき良き時代を思い出すところから、回想シーンが繰り広げられていきます。 どうやら少し華やいだ気分にもなっているようです。
英国のお屋敷の執事といえば、NHKドラマの「ダウントン・アビー」のカーソンを思い出してしまいますが、「ダウントン・アビー」は1912年~1925年の第一次世界大戦を挟んで前後の英国貴族社会の衰退を描いていました。シーズン6では、労働者階級の台頭と使用人を削減せざるを得ない貴族の経済的困窮がテーマになっていたと思います。「日の名残り」は、現在の1956年からの回想となっていますので、第二次世界大戦後なのですが、回想で描かれるダーリンホールの時代は第一次大戦後の1920年~30年という意味で「ダウントン・アビー」と重なります。
スティーブンスが心から敬愛する前の主人・ダーリントン卿は、ヨーロッパが再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、戦後ヴェルサイユ条約の過酷な条件で経済的に混乱したドイツを救おうと、ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を宥和させるべく奔走していました。やがて、ダーリントンホールでは、秘密裡に親ドイツ派的な国際色豊かな会合が繰り返し開催されるようになりますが、政治の素人であるダーリントン卿は、次第にナチス・ドイツによる対イギリス工作に巻き込まれていくのです。
ホロコースト学者のリップシュタットが、ホロコースト否定論者のデイヴィッド・アーヴィングに名誉毀損で訴えられた裁判(アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件)の様子を描くレイチェル・ワイズ主演の映画「否定と肯定」を去年の11月に観たばかりですが、このあたり、ドイツと一戦を交えた英国にも親ナチ派の人たちが蠢いていたということが驚きでした。
以前、NHKBSで「刑事フォイルの事件簿」なるものを観ていましたが、時代が第二次世界大戦と戦後ということもあって、犯罪の多くに親ドイツ派とかドイツ人スパイ等が絡んで、単一民族日本では想像のつかない事件のドラマが描かれていました。
最初に「日の名残り」を観たときはアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンの昔の淡い恋を懐かしむ話かいとしてしまいましたが、今回、観たときは、第一次大戦後という時代背景と英国貴族でありながら親ナチ勢力の中心人物と化した主人の会合を取り仕切る執事の矜持のようなものに興味を強く持ちました。
ベン夫人との再会が実を結ばず残念な結果に終わってしまいましたが、スティーブンスの執事としての矜持は新しい米国人の主人にも揺らぐことなく保たれることでしょう。
私は、(たぶんNHKBSプレミアムの)録画で観ましたが、去年の10月28日(土)~11月10日(金)まで渋谷のBunkamuraル・シネマで、カズオ・イシグロのノーベル賞受賞記念として彼のこの原作映画「日の名残り」が限定上映されていました。