
時は奈良の都平城京で花開いた天平時代です。
「一つ長屋に四人の息子、モナカどう百円で」等の語呂合わせ(一つ=藤原不比等、長屋=長屋王、四人の息子=藤原四子、モ=橘諸兄、ナカ=藤原仲麻呂、どう=道鏡、100円=藤原百川)でこじつけ暗記をしていた時代の奥に潜む人々の生き様を活写してくれた小説でした。
時代の背景としては、律令編纂や平城京遷都などに関わった不比等亡き後、藤原四兄弟は元正天皇・聖武天皇の時代に渡り長屋王と政権の座を争っていました。
729年の長屋王の変(四子はなにくわぬ顔で光明子立后)で長屋王を自殺に追いやった後、すでに公卿となっていた武智麻呂(大納言)・房前(参議)に加え、官人の推挙により宇合・麻呂も参議となり、9人の公卿の内四兄弟で4人を占め729年から737年までの間朝廷の政治を担いました。これを藤原四子政権と呼びます。
藤原四兄弟とは、南家開祖の武智麻呂(680年 - 737年)、北家開祖の房前(681年 - 737年)、式家開祖の宇合(694年 - 737年)、京家開祖の麻呂(695年 - 737年)です。
四兄弟は737年の天然痘の流行により相次いで病死し、藤原四子政権は終焉を迎えましたが、人々は長屋王の祟りであるとして怖れました。
その後四兄弟の子が若かったため、政権は聖武天皇の妃である光明皇后(不比等の娘)の異父兄弟で臣籍降下した橘諸兄(葛城王)が右大臣として担っていたのですが、小説「火定」の舞台として描かれる悲田院(貧しい人や孤児を救うための施設)・施薬院(病気・ケガの治療や施薬を行う施設)も723年に光明皇后が設立しました。日本最古の社会福祉施設とされています。
この小説では奇しくも貧困な病人のための施薬院で天然痘の対処療法が編み出されるいきさつが語られています。
多くの人々の命を奪った天然痘ですが、その患者を治療する若い見習い医師が悩み、苦しみながらもある悟りに達します。
「人間死ねばそれまでだと思っていた。だからこそ、せめて生きているうちに、何か為すべきことを見つけなくてはならぬのだと考えていた。しかしながら病に侵され、無惨な死を遂げた人々の記憶は、あとの世に語り継がれ、やがてまた別の人々の命を救う。ならば死とはただの終わりではない。むしろ死があればこそなおこの世の人々は次なる生を得るのではないか。だとすれば彼らの死は決して無駄ではない。この世の業火に我が身を捧げる、尊い火定だったのだ。」
ちなみに「火定」とは仏道の修行者が、火の中に自らの身を投げて死ぬこと、火中で入定(にゅうじょう)することです。
疫病の蔓延、政治・医療不信、偽神による詐欺等、絶望的な状況で露わになる人間の「業」を圧倒的筆力で描き切った歴史長編でした。
私個人としては最有力直木賞候補作ではないかと思っていましたが、今回は昨日のブログで紹介した門井慶喜氏の「銀河鉄道の父」が受賞作に選ばれました。
澤田瞳子氏はお母さんが作家の澤田ふじ子氏ということでも有名ですが、日本の歴史研究者という顔も持っています。専攻は奈良仏教史です。
仏教伝来の影響の濃い飛鳥文化、万葉仮名が使い始められた白鳳文化、奈良の都平城京で花開いた天平文化の時代の事件や人々の生き様を題材にした作品を今後も書き続けてもらいたいと思っています。