複雑に入り組んでいるとしか思えなかった幕末がさくっとわかりやすく読めます。
林真理子流の断捨離で枝葉末節に大鉈を振ってとかく不可解な印象の強い西郷隆盛像が手際よく料理されていました。 人間西郷隆盛の生涯が俯瞰できます。
印象に残った林真理子の手法は次のようなところです。
明治維新前の動きが、徳川慶喜対西郷隆盛といった1対1の勝負のような切り口で語られています。 徳川慶喜は西郷の恩師ともいうべき島津斉彬が擁立のため西郷や篤姫に下働きをさせていた人物ですが、実際、将軍についた後の行動は期待外れのことが多く、それだけ一層西郷は慶喜憎しの想いを深めてしまいました。
薩長同盟も勝海舟を要にして坂本龍馬と西郷隆盛が合わせ鏡のように行動して成し遂げていきます。
明治維新後は大久保利通との対立構図が際立ってきます。殖産興業・富国強兵に邁進する大久保に対して、西郷隆盛は復古主義のようです。江戸幕府の始祖・徳川家康のような農本主義に傾倒していきます。 このあたりの対立構図は、個人的には「翔ぶが如く」の司馬遼太郎の複眼的で深堀の観測のほうに軍配を上げますが、林真理子の単純明快さも印象に残りました。
農業を切り捨て、格差が日に日に拡がっていく現代の日本と、西南の役が勃発した時代には共通することが多いかもしれませんね。
この林真理子の物語は、西郷隆盛の息子菊次郎が父隆盛の人生を語る形式を採っていますが、この形式も3つの点で面白いなと思いました。
1つめですが、菊次郎は西郷が奄美大島に流されたときの現地妻・愛加那とのラブ・ロマンスの末に生まれた子供です。女性作家の目線は、そうしたエピソードからしっかり人間西郷隆盛を捉えています。余談ですが、作者は1866年に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件@寺田屋の後の龍馬が負った怪我の治療のため、西郷と小松帯刀が龍馬とおりょう夫妻を霧島に案内しハネムーンのお膳立てをしたことにもしっかりページを割いていました。
2つめは菊次郎は西南の役に参戦して右足を失った人物です。降伏して兄隆盛とは敵味方になった弟従道に拾われ生き残ります。菊次郎の体験として西南の役における父・隆盛が語られますが司馬遼太郎の「翔ぶが如く」に比べると誠に潔い簡潔な記述にとどめていました。このあたりの枝葉末節の切り捨て方は潔いですね。 逆に感心させられます。
3つめはこの小説上巻の冒頭で西郷菊次郎が二代目の京都市長に任じられるところからこの小説を始めたことです。西南の役を起こし一時は朝敵とされた西郷隆盛が、賊名を解かれ御一新を成し遂げた英雄として正三位の栄誉を与えられた後のことでした。その計らいには西郷を慕ってやまない明治天皇の強い意志が働いていたことも記されていました。西郷隆盛(息子菊次郎の事も含めて)について多くの人が知っていそうで知らないことを冒頭に持ってきた林真理子の手腕が印象に残りました。