スウェーデンのストックホルムで生まれたイングリッド・バーグマンは12歳で孤児になり、叔母に育てられるというこの「ガス燈」の主人公ポーラさながらの経験を持っていました。 孤独で夢想癖の強い引っ込み思案の少女だったそうです。 お父さんが写真家だったそうで、彼女自身もカメラを持ち歩き、なんでも撮って、「思い出と一緒にいる」という記録魔だったそうです。 そこのところは、夫から心理的虐待を受けて健忘症に悩んだ「ガス燈」のポーラとは大きな違いですね。
映画「ガス燈」は、1940年の英国版と1944年の米国版がありますが、イングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を受賞した1944年のリメイク版のほうが有名です。
この頃のイングリッド・バーグマンには飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。1942年の「カサブランカ」、1943年の「誰がために鐘が鳴る」ですっかり有名になったイングリッド・バーグマンはこの「ガス燈」で狂気へ堕ちていく人妻の見事な演技でアカデミー主演女優賞を獲得しました。
その後、1957年の「追憶」で主演女優賞、1974年の「オリエント急行殺人事件」で助演女優賞と三度のアカデミー賞に輝きました。(主演2回、助演1回はメリル・ストリープと同じで、アカデミー賞受賞回数は歴代2位、ちなみに1位はキャサリン・ヘップバーンの主演女優賞4回です。)
知性あふれる美貌と卓越した演技力でハリウッド黄金期に活躍し、アカデミー賞に7度ノミネートされ、3度の受賞を果たしたバーグマンですが、世界中の人々を魅了する一方で、プライベートでは不倫騒動や3度の結婚などスキャンダルも多く、お騒がせ女優として波乱万丈の人生を送りました。
このあたりのことを綴った、ドキュメンタリー映画「イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優」が、ただいま、渋谷の東急文化村「ル・シネマ」で上映中です。早く観に行きたいのですがなかなか時間のやりくりが上手くいきません。
さて、「ガス燈」の話に戻ります。
舞台は、ロンドン、ソーントン街です。ガス燈の点る頃、この町を後にしイタリア留学に向かうポーラ(バーグマン)の姿が列車の客室に見られます。
彼女の育て親である、名歌手の誉れ高き叔母は何者かに殺され、事件は未解決です。 傷心のまま旅立った彼女でしたが、新天地で恋をし、声楽の勉強を諦め、その相手、作曲家のグレゴリー(ボワイエ)と結婚します。
余談ながら、この頃(今もそうですが?)の風光明媚な保養地といえば、海なら南仏のコート・ダジュール、山ならイタリアのコモ湖が定番でした。フィルムにはあまり映りませんでしたが、傷心を癒すためポーラが向かった旅先がコモ湖という設定でした。
シャルル・ポワイエ演じる夫グレゴリーはポーラの育ったロンドンの家に関心を持ち、そんな落ち着いた環境で暮らしてみたいと言うので、ポーラも叔母の殺害場所という忌わしい記憶を拭い去って、ロンドンで再び生活を始めることになります。
叔母のピアノに男の名前の差出人の手紙を見つけて以来、物忘れや盗癖が目立ち始めたと、夫は指摘します。
ハンドバッグに入れた首飾りが失くなったり、変なことが相次いで起こり、夫は精神病院で亡くなった彼女の母親と同じ精神衰弱の兆候を示唆するのです。
やがて、ガス燈の明かりの変化や天井から奇怪な物音等、幻想や幻聴のような症状が現れ(実際はそうではなかったのですが)、精神の衰えと錯覚したイングリッド・バーグマンの表情に焦燥の色が濃くなります。この表情が見せ場でしたね。それに引きかえシャルル・ポワイエの妻をみるときの冷たい表情の不気味なこと!
雇われた若い女中も、狂気のポーラの焦燥感をあおるのに一役買っていましたが、演じたのはアンジェラ・ランズベリー(撮影当時17歳)でした。彼女にとっての映画デビュー作のこの作品でアカデミー助演女優賞にノミネートされた彼女は、アメリカのTVドラマ「ジェシカおばさんの事件簿」(1984~1996)の主役のジェシカとしての方が有名かもしれませんね。
単純な物語なのですが、主人公達の表情、光の強弱、音楽効果を駆使して、サスペンス調の作品に仕上がっていました。