アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」ではないですが、これまでの小説フランス革命を賑わせてきた登場人物たちが次々と断頭台の刃の餌となって消えていきます。
この喪失感は、「水滸伝」でも味わいましたね。梁山泊の英雄、豪傑達を途中から恐ろしい勢いで退場させていきますよね。あの晁蓋があの柴進が、そして宋江までがって感じで、誰もいなくなってお終いって小説でした。
この小説フランス革命15巻でも、飛ぶ鳥を落とす勢いのコルドリエ派のエベールは16巻で、古株のダントン、デムーランも17巻で処刑され、宋江の死で梁山泊が滅んだように、この小説フランス革命も18巻でいよいよロベスピエールとサン・ジェストが処刑され、誰もいなくなったところで幕引きとなる予定です。
下品な言葉をストレートにぶっつけて人気の寵児となった「デシューヌ親爺」の新聞発行人エベールに対抗して、コルドリエ街にいた古株をお忘れなくということでデムーランが「コルドリエ街の古株」という新聞で巻き返しを図ります。
パリの人民の人気に支えられていたエベールの権力を削ぐために、革命の生き証人デムーラン、ダントン、ロべスピエールの三人が結集するのです。
さもなければ、この古株達もエベールに抹殺されかねない勢いなのです。 同じ方向を向いていたはずの連中が新旧の世代交代かってところで古株が新たに台頭してきたコルドリエ派に反撃開始というところで第15巻が終わっていました。結構、スリリングな展開ですよ。この第15巻でマリー・アントワネットも処刑され、対外戦争での和解の芽は摘み取られてしまいました。そろそろナポレオンが登場してくるはずです。
フランスは国内で内ゲバ調の権力争い、国外ではオーストリア等を中心とした対外戦争を繰り広げていて、前門の虎、後門の狼状態で火の車なのです。 フランス革命の着地はどのようになるのでしょうか?