第155回(平成28年上半期)芥川賞受賞作です。月刊文芸春秋9月号の芥川賞特集号に全文掲載されていました。
選評者の奥泉光氏曰く、「最初の投票で他を圧倒する票を獲得し波乱なく受賞が決まった。」とのことでした。
山田詠美氏は、「十数年選考委員をやってきたが、候補作を読んで笑ったのは初めて。」と言っていました。
その言葉につられて読み始めましたが、普通とは違う滑稽さにはアイロニーとペーソスがしっかり練りあわされてなんとも味わい深い作品との印象を持ちました。
誤解を恐れずに言うならば、夏目漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」の上質のユーモアに相通ずるものを感じました。
人間として空気が読めない常識外れの行動しかできない普通の人間の範疇から飛び出し気味の主人公が、コンビニで働き始めマニュアルという指図書に出会って初めて、自分でも社会に同調した違和感のない世界を体験します。
筆者はこのことを、「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。世界の正常な部品としての私が誕生したのだった。」と表現していました。
それは私が18歳のときでした。
コンビニという利用者としてはなんということのない身近にある店ですが、お客に接する店側の視線でコンビニ店を俯瞰的に描写してくれたところは大いに興味をそそられます。
コンビニの音の観察から入る切り口も新鮮でしたし、コンビニの朝から深夜までの忙閑の波が描かれるかと思えば、18年だかの彼女のコンビニバイト生活の時間をぎゅっと絞って、近所の老夫婦だとかがやってきて「この店はちっとも変わらないわねぇ」という台詞を吐かせています。ちっとも変わらないように見えるのは、その老夫婦とコンビニでバイトを続ける主人公だけなのです。その期間に店長はなんと8人も変わっているのです。
今の彼女は36歳です。 コンビニバイト18年、独身です。
そこには、無常の世界に対する客観的な目をもった主人公がでんと居座っているのです。
ところが、起承転結の転の箇所で、同級生や妹が主人公のことを心配し始めます。 就活や恋愛、結婚等諸々のことです。
ということでコンビニを辞めて就職活動に専念することになるのです。 周りの心配がうっとおしくて、恋愛感情抜きに同棲を始めた男にそそのかされたのです。
「普通の人間って、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。でもね、僕を追い出したりしたら、ますます皆はあなたを裁く。だからあなたは僕を飼い続けるしかないんだ。」なんてうそぶく男です。
ラストで彼女がトイレのためコンビニ店に入って、野生の呼び声に導かれるように、私はコンビニ店員という動物なんだ。その本能を裏切ることはできないと気づくところが圧巻ですよ。
就活の面談に付き添ってきたその同棲男に言います。
「誰に許されなくても私はコンビニ人間なんです。人間の私にはひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合よくて、家族や友人も安心して納得するかもしれない。でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです。」
世の中のそしてコンビニの世界の見方を変えてくれるいい作品だと思いました。
著者の村田紗耶香氏が受賞者インタビューの中で語っていたことで印象に残った言葉があります。
「小説家は楽譜を書いていて、読者はその楽譜を演奏してくれる演奏家だ」という言葉です。彼女が大学生のとき「小説の書き方」について師事した宮原昭夫先生の教えだったそうです。読者を上から見下すことは厳禁で、必ず作家より上にいるものだと考えて上に向かって書く姿勢が作品の品格に影響するのだという趣旨でした。
この「コンビニ人間」にはそのような配慮が活かされ、好感度の高い作品に仕上がっていました。