関西人と一口に言っても、京都、大阪、神戸は全然違いますし、彼らも一緒くたにされることを嫌います。
大阪の中にも、北と南のカルチャーがちゃいます。といっても、私は出身は山口県の田舎で大学時代と就職してしばらく大阪に住んでいただけです。
著者井上章一氏の「京都ぎらい」という新書版がベストセラーということでしたが、京都出身の人のなかには会話の中に「僕って、京都じゃない!」なんて前置きするイケズな奴がいて、すぐ「それが、どげんしたと?」って突っ込みを入れたくなる性分ですから、京都人が京都のことを書いた本にまで虫酸が走るようでして全然食指が動きませんでした。
その著者の本が「関西人の正体」って本で、本屋に平積みになっていました。思わず手にして買ってしまいました。上方落語と江戸落語の比較なんぞに興味があったし、大阪人がネタにされていて「京都ぎらい」の後に関西包括の新作が出たと思ったのです。
ところが、この本は1995年に出された本なのですね。その8年後に小学館の文庫となり、私が買ったのは、2016年の朝日文庫版で、内容は20年前のまんまでした。
まあ、それにしても京都人がそれでなくても自虐的な大阪人を虚仮にしとるわぁ~と偏見ぷんぷんの批判読みをしていきましたが、いやはや面白いのです。
オマーン港、オメコメ、おめこぼしの類のハナシは、電車の中で吹き出しそうになり笑いをこらえるのに苦しい思いをしました。
昔、天下の台所と言われ、本来は贅沢な高級料理を食べて家財を傾ける意味の「食い倒れ」が、ホルモン焼き、うどん、たこ焼き、お好み焼き等庶民の食べ物が盛況な大阪にあっては、食べ過ぎて倒れるイメージの「食い倒れ」が定着していると鋭く指摘しています。
その大衆的な安い食べ物も、日中戦争で武器弾薬を全国から労働者を集めてOBP(大阪ビジネスパーク)で作らせた名残のような書き方でした。
余談ながら、大阪城発着の水上タクシーからこの元弾薬庫の跡地のような建物を実際に見ることができます。そして、これは著者の冗談でしょうが、たこ焼きはその弾薬を作るときの金型を使って作ったのがはじまりではないかと言っていました。
その他、何故、大阪にはケバイ姉ちゃんが多いのかとか、笑いと道化の大阪文化とか、近畿と関西についての面白い考察、御堂筋は整然として大阪の印象が薄く、一方、ミナミの通天閣界隈のかに道楽の「カニ」とづぼらやの「ふぐ」の看板にこそ大阪の猥雑なイメージを求める説とか、読んで楽しい、20年経っても古さは感じさせない内容でした。
これが面白かったからとて、「京都ぎらい」は、なんとなくいけずっぽくて読む気にはなれませんけどね。