映画のよさがじんわり心に染みわたってくる物語でした。映画好きにはたまらない蘊蓄満載です。
幸福な映画を観た。と、私(円山歩)が語ります。彼女は大企業の課長職の仕事を投げて無職になったばかりでした。
その映画とは、「ニューシネマ・パラダイス」です。
「都内にぽつんと取り残された、時代遅れの名画座で観た。狭い、椅子の座り心地が悪い、音響設備も整っていない。売店にはポテトチップスとアイスモナカしか売っていない。前時代の遺跡のような映画館には観客は数えるほどしか来ていなかった。」となかなか厳しいこき下ろしです。
「それでも、映画が始まると」と続きます。
イタリアの離島シチリアの映画館「ニューシネマ・パラダイス」を取り巻く人々の悲喜こもごもの物語に触れ、時代と場所を超越させ、「日本での村の鎮守のような名画座が失われつつある現状を惜しむ」と結びました。
彼女がチラシの裏に走り書きしたこのメモを、彼女の父親のゴウちゃん(円山郷直)が、ネットの書き込んで流したことから、映画雑誌出版会社の女オーナー社長の目に留まり、円山歩はそこに編集者兼記者としてスカウトされ働くことになり、お父さんのゴウちゃんはその会社がスポンサーに付き映画鑑賞記を綴るブロガーになります。
この小説の題名「キネマの神様」は、そのゴウちゃんのブログ名なのです。
そのお父さんのブログを「私(円山歩)」の元の職場の同僚で米国在住の清音(帰国子女の柳沢清音で、両親の反対を押し切って米国人と国際結婚しワイオミング州の片田舎に住んでいる)が英文に翻訳したところ、プロの映画批評家が喰いついてきてアクセス件数が飛躍します。
そんな荒唐無稽な物語なのですが、枝葉末節の話が実にいいのです。そして荒唐無稽の骨組みの着地も「ニューシネマ・パラダイス」でうまく収めています。
枝葉として「フィールド・オブ・ドリームス」を題材にゴウちゃんと謎の米人批評家ローズ・バットでやりとりするシーンがあるのですが、父親像を巡っての丁々発止のやりとりの話等、興味がつきません。
小説のクライマックスでは、名画座「テアトル銀幕」で、歩とゴウちゃん、清音と彼女の父、映画出版会社の女社長と引きこもりのハッカーでゴウちゃんのブロガーの才能を見出した息子等が一堂に会して、「ニューシネマ・パラダイス」を観るシーンで、ああ、この小説は、村の鎮守のような名画座で観る名画は、離れかけた親子の絆を繋ぎとめるそんな不思議な力もあるんだということを感じさせてくれました。
「ニューシネマ・パラダイス」で始まり「ニューシネマ・パラダイス」で締める、小さな街の名画座でふるきよき名画を個人だけでなく親子で、家族で楽しむ人たちの物語でした。
ちなみに、私(このブログを書いている私)と9歳の孫君の絆を堅固なものにしている映画作品は、今のところ「クレヨンしんちゃん」です。きわものギャグに、二人して、下卑た笑いを楽しんでいるだけなのですが、こうしたささやかなことが、親子のキャッチボール同様、人生を大きく左右するできごとになるってキネマの神様ゴウちゃんも言っていました。
昨日の、ブログで紹介した片桐はいりさんが、この小説「キネマの神様」の解説を書いています。それによると、原田マハさんも、池袋文芸座でもぎりのバイトを経験しているそうです。
さらに余談ですが、日経新聞の私の履歴書連載中の東宝名誉会長松岡功氏(元プロのテニスプレーヤー松岡修造のお父さん)の国際的な映画ビジネスの話にも昔の名画のよもやま話が出てきて楽しいです。
映画って本当にいいものですねぇ!