1202年イタリアのピサの商人レオナルド・フィボナッチが算術に関する歴史的な著作「算盤の書」を表します。フィボナッチは地中海での交易を通じて算盤とアラビア数字を学びました。
アラビア数字を使ったキリスト教徒はフィボナッチが最初ではありませんが、「算盤の書」は北イタリアの商人社会にアラビア数字や位取り計算法を広めるという重要な役割を果たしました。
ローマ数字に比べ書くときに誤りが少なく、ゼロの概念もあります(複式簿記の貸借バランスの概念ですね)ほとんど不可能に近かった分数や少数も扱え、計算もスピーディに行われることから、このアラビア数字がやがて実務や取引にも適用されだしました。
12世紀から、フィレンツェ、ジェノヴァ、ヴェネツィアといった商業都市国家を中心とする北イタリアでは、貿易で富を築いた商人・貴族の支配する都市国家がパッチワークのように入り組んでいましたが、共同出資会社、銀行、遠距離貿易(胡椒)が発展し、やがてこのアラビア数字の発展に伴って複式簿記が誕生します。
さらに12世紀~13世紀の約200年に渡る9度に渡る十字軍の遠征も、信託や貸借等の金融取引を活発にし、信用取引や為替取引が生まれました。そうした債権債務の備忘録として複式簿記は欠かせないものになってきます。
ただ、イスラム教もキリスト教も利息を取る金貸業を禁止していました。当時の教会法では、金貸しがキリスト教徒の墓地で埋葬されることが禁じられていたのです。高利が強欲の大罪として、強盗、嘘、暴力の罪と同罪に数えられていました。
ただ聖職者も方便に長けており、教会は信者から集まってきたお金の保管、運用を銀行に委託するのです。
そういった意味で、複式簿記の貸借一致のバランス概念は神の審判や罪の合計を表す宗教的な一面も持ちました。
信心と善行と罪は、帳簿よろしく相殺できるとしたのです。貧者への寄付や教会への寄付で、お金を稼ぐ罪が購えるとしたのです。
これの行きつく先が、免罪符です。
これがマルティン・ルター(1483~1546)の宗教改革を呼び起こすことになります。商取引の要素をキリスト教文化に持ち込んだとカトリックを非難したのです。
メディチ家は銀行経営として、各支店の取引をリアルタイムに記録させ元帳管理を行いました。 いわば、ルネサンスを促す資金の捻出にも大いなる貢献をしたわけですが、芸術のパトロンとなること=散財することで金儲けの罪を軽減するというバランス感覚は働いていたと想像することは難くないですね。
そういう意味では、複式簿記はイタリアのルネサンス時代に誕生して約800年といっていいでしょう。
ただ、この複式簿記は、イタリアでいったん衰退してしまいます。金勘定は汚らわしいとするキリスト教本来の立場に戻ってしまったからです。
次に、この複式簿記が財務報告という形で歴史の主役として登場してくるのが、意外と思われるかもしれませんが、革命前の農業大国フランスでした。
フランス革命勃発のきっかけについては諸説ありますが、この「帳簿の世界史」では、ルイ16世から財政立て直しの依頼を受けた 財務長官ネッケルの手で王家の収支と王国の危機的財政が白日の下にさらされ、ルイ16世の神秘性が剥ぎ取られたからだとしていました。
外国人でプロテスタントであったスイスの銀行家ネッケルは、しがらみがなかったせいでしょうか、重農主義のフランスの不明瞭な徴税システムの矛盾に思い切ったメスを入れただけでなく、王家のベルサイユ宮殿の浪費にもスポットライトを当てたのです。
フランスはアメリカの独立戦争支援に多額のお金を使い財政難に陥り、一方主要産業であった農業はアイスランド火山噴火の影響による凶作にあえいでいました。
ネッケルが国家財政報告を行ったことで、今まで徴税を逃れていた貴族・僧侶階級の特権・利権が白日の下にさらされ、大幅に削られることになります。さらに一般市民階級がその不公正さを知るにつれ怒りのこぶしを挙げることが革命につながっていくのです。
革命憲法の中でもネッケルの始めた財務報告公表が義務付けられます。
財務リテラシーと会計責任の文化を政治の世界に持ち込み、近代公会計の道を開いたのは、商業国家イギリスでも統治者が会計知識に詳しかったオランダでもなくフランスだったのです。
ただ公認会計士制度の発足は、株式会社発祥の地であるイギリスで、その発展は鉄道網の普及などで、経済が大規模化・複雑化するアメリカでした。
デロイト、プライスウォーターハウス、アーンスト&ヤング、トウシェ等がエジンバラ、ミッドランド、ロンドンに1840年頃設立されます。
プライスウォータハウスは、英国資本がアメリカ大陸での鉄道事業拡大に係る投資に力を入れるタイミングに合わせ、いち早くアメリカに進出することになります。
鉄道会社の資金調達、経営の必要性から減価償却の考え等はアメリカで発達します。経営学の基礎となった原価計算・生産管理の手法もアメリカで発達し、経営コンサルタントやビジネススクールもアメリカで発達しました。
会計士は、資本主義と統治を助けることもできれば、帳簿を操作して両方を邪魔することもできます。
アーサーアンダーセンが取り潰されたエンロン事件や、サブプライムローン問題に端を発する2008年のグローバル金融危機に想いを馳せると、実務的有用性を追いかけるあまり、正確性、信頼性、検証可能性、透明性が犠牲にされているような気がしてなりません。
度重なる金融危機に脅かされる現代は会計の責任の歴史を振り返るにふさわしい時期であると著者は強調していました。
会計責任の歴史から見れば、資本主義の歴史は単純に右肩上がりでもなければ、好況不況の繰り返しだけでもないことがわかっています。
資本主義と近代以降の国家財政には本質的な弱点があるといってもいいのかもしれません。
決定的な瞬間に会計と責任のメカニズムが破綻し、複式簿記の台帳(特に世界的金融制度や日本の年金制度の)が御破算にならないことを願うばかりです。