今週から始まったNHK朝ドラ「あさが来た」の原作です。
江戸時代末期から、維新を経て、明治へと変わる大変動の商都大阪にあって、女性教育にも心血を注いだ女事業主の「九転十起」をモットーにがんばる溌剌とした人生を描いていました。
TVドラマで波瑠(幼少期は鈴木梨央)が演じるヒロインの名は白岡(今井)あさとなっていますが、小説では実名の広岡(三井)浅子になっていました。
TVで、加野屋、山王寺屋は、 小説では実名の加島屋家、天王寺屋です。 鴻池屋と並んで維新前後の大阪の三大両替商でした。
維新の最中に、幕府や官軍に大量の寄付金や借用金の用立てを余儀なくされ、浅子の姉春(TVでは宮崎あおい演じる「はつ」)の嫁いだ天王寺屋は、維新後は落剝してしまいます。
浅子の実家の三井家は先を見越して長州・薩摩に相当献金をしていたようですが、大阪の豪商のほとんどは加島屋、天王寺屋と同じように幕府に用立てしていました。 元々武家への貸出金が多く、幕府が倒れるという前提がもてなかったのです。
幕府が倒れ、薩摩、長州を中心とする新政府が発足すると、大阪では、銀目の廃止、新政府への御用金のますますの負担で豪商が次々に没落していきますが、天王寺屋もそれらの豪商のひとつだったのです。 武家や幕府への貸し出しがほとんど全て回収不能になったのですから無理もありませんね。
加島屋の広岡浅子は、時代を先取りし、九州筑前の炭鉱を買い取り加島屋のピンチを救います。 今でいう事業の多角化です。 その探鉱事業に乗り出した浅子を励ましたのが、新政府の下で大阪の経済的繁栄を目指し、鉱山業、紡績業等の発展に着くし、鴻池、三井財閥と共に大阪商工会議所を設立した五代友厚でした。
五代友厚は、薩摩出身で、NHK大河ドラマの天璋院篤姫、小松帯刀と同郷です。 彼は攘夷の思想に毒されることなく早くから開国に目を向ける環境に恵まれました。 上海留学した長州藩高杉晋作に上海の地で出会って親しくなったようですし、また坂本竜馬とも親しい関係にありました。 グラバーとも親しく薩摩藩の蒸気船買付け等の任についていました。 また、グラバーの助けを得て、まだ鎖国令の布かれていた1865年にイギリス留学の経験もしています。 このとき武器や紡績機等の買い付けを行うかたわら、フランス貴族モンブランと親しくなり、1867年のパリ万博に幕府とは別に薩摩琉球の名で参加する道筋を築きました。 維新の前から、薩摩藩は西洋社会に対して、江戸幕府徳川と薩摩は同列だということをアピールしていたのです。 驚きですね。
五代才介(友厚)を演じるディーン・フジオカって俳優さんはあまりなじみがないですね。 福島出身の1980年生まれだそうです。高校卒業後アメリカに留学しITと語学を学び、卒業後はアジアに渡って、2004年ころから香港を中心にモデルや俳優として活躍し、台湾のドラマ、映画にいろいろ出演経験があるようです。 早くからアジアを舞台に活躍している経歴は、この五代才介を演じるにあたってぴったりですね。 ディーン・フジオカと共に五代友厚の人生ももっと多くの人に広まって欲しいです。
長男君が大阪で居酒屋をやっていることから、淀屋橋にある三井ガーデンホテルを定宿に年に3~4度大阪に行っています。 近くの北浜駅前に五代友厚の銅像がありますし、鴻池屋の跡地、緒方洪庵の適塾跡地もホテルの近くにあります。
旧淀川と呼ばれる大川は、北浜あたりから中之島を挟んで淀屋橋側が土佐堀川、北の梅田側が堂島川になります。 淀屋橋から土佐堀川沿いを西に行くと肥後橋になりますが、ここに大同生命の近代的ビルが建っています。 ここが加島屋のあったところです。 広岡浅子が建てた大同生命ビルは旧肥後橋本社ビルで、W・M・ヴォ―リーズ(近江兄弟社のメンソレータムでも有名)の設計です。
「小説土佐堀川」の中で私の気に入った一文です。
「浅子は商人なので、人間は心だけが大切であるとは言わないことにしている。 ほとんどの人間は自分の損得優先の論理によって支えられている。大義名分と実利とが一致するとき、初めて人は動く。この折衝についても、相手方の実利を考えたうえでやらなければ、おそらく暗礁に乗り上げることになろうと思った。 ・・・・ 飯場主には監督として残ってもらい、手当も十分考慮する。 浅子は実利主義を根本において、種々の条件を整えていった。」
炭鉱夫を生かさず殺さず絶対服従させる飯場主制度にメスを入れ騒動が起きたときの浅子の改革にむけた覚悟です。