2月15日に山口県山口市の維新百年記念公園で行われた全日本実業団ハーフマラソンで豊田自動織機の沼田未知選手がぶっちぎりの優勝を飾りました。
自身の記録を3分20秒も更新する1時間9分27秒でのゴールでTV中継の解説者増田明美さんは「ニューヒロイン誕生!」と大絶賛でした。
ただ今25歳で豊田自動織機駅伝部キャプティンの沼田未知選手ですが、彼女の鮮烈なデビューを私がみたのは2008年10月26日日曜日の仙台の杜の都を舞台としたの全国大学女子駅伝対抗選手権大会で、そのとき沼田未知選手は立命館大の1年でした。
立命館大の2区竹中理沙(現資生堂)から襷を4位で受けた3区の小島一恵が42秒差あったトップを走る佛教大の西原加純(現ヤマダ電機)を1秒差まで追いつめて2位で3区の新入生沼田未知につなぎます。沼田はすぐに逆転して差を大きく拡げ1位で4区のこれまた新人の田中華絵(現第一生命)に襷をつなぎます。ここで田中はさらに貯金を大きく膨らませてアンカーにつないで立命館大3連覇に大きく貢献したのです。(このとき竹中理沙が2年生、小島一恵が3年生だったと思います。)
何がすごいかって、このとき3区の小島一恵、4区の沼田未知、5区の田中華絵は3人とも区間新記録の走りだったのです。
この興奮は、1985年4月17日の甲子園球場でのプロ野球で阪神が対巨人戦で槙原から放った伝説のバックスクリーン3連発(3番バース、4番掛布、5番岡田)以来です。 3番小島、4番沼田、5番田中でした。
この年は新人ながら沼田未知はインカレ10,000mも制していました。(埼玉県出身の沼田未知の高校生時代を知らなかったので私にとってのルーキー沼田未知のデビューは衝撃でした。)
その後故障もあったのか目覚ましい活躍はありませんでした(それなりに頑張っていましたが)が、立命館大卒業後は小島一恵がいる豊田自動織機に入りました。
ちなみに去年の年末の第34回全日本実業団対抗女子駅伝で、沼田は1区で区間5位、チームの豊田自動織機はデンソー、ダイハツ、ヤマダ電機に続いて4位でした。
そして、今年の1月11日の都道府県対抗女子駅伝で埼玉代表で第4区を走った沼田未知は区間賞でした。のぼり調子だったのですね。
沼田の後輩の藪下明音も入っていますので、今年の暮れの実業団駅伝が楽しみです。小島一恵、沼田未知、藪下明音の立命館大OB3人で新たな伝説をつくってくれませんかね。ちなみに5区の田中華絵の区間記録を2010年に書き換えたのが藪下です。同じ2010年に佛教大の西原加純が3区の小島一恵の記録を更新しています。4区の沼田未知の記録は破られていませんが、2013年以降のコースの距離が変更になったため、沼田未知の4区の記録は2008年~2013年の記録として永久に残ることになりました。
小林佑梨子が1月に引退表明をし、彼女の名前は最新の豊田自動織機の駅伝チームメンバーから消えていました。 チームのキャプテンが沼田未知で、副キャプテンが小島一恵になっていました。
このハーフマラソンでの快挙にも驚きましたが、ゴールの手前でサングラスをとった沼田未知の顔が美人さんで二度びっくりしました。 学生時代はどちらかといえば地味な印象でした。(失礼!)
さなぎから蝶へ大変貌を遂げた沼田未知の活躍を世界大会やオリンピックの舞台で目撃できる日も近いかもしれません。