探すと歴史をこのようにパスタやワイン等の切り口で綴り直す類の本は意外と多いですね。
今、あるパスタの種類とか地域ではなく、そこに時間の流れという時間軸を設定し、そこからパスタを眺めると、またパスタの違った側面を知ることができます。
歴史を思い浮かべながら様々なパスタを食べたくなりました。
昔は、おふくろさんが作ってくれたトマトケチャップのスパゲッティと大阪ミツヤのやはりトマトケッチャップがたっぷり絡んだナポリタンが好きでしたが、さすがに最近は、ボンゴレビアンコ、ペンネ・アラビアータ、ガルガネッリのラグーソース、ニョッキのゴルゴンゾーラソース等好みのレパートリーも豊富になってきました。
パスタ万歳! どこか、パスタ・ビュッフェをやっているところはないですかね?
ナポリの貧しく悲惨な民衆の代弁者である道化師ブルチネッラの夢は、マッケローニをたらふく食べることでした。彼の夢を叶えるべく様々な種類のパスタを私が口の中に落とし入れてみたいと思います。
行きつけのイタリア・レストランのマダムに相談したら、美味しく食べられるのはせいぜい3種類くらいだとのコメントをいただきました。
はやくから海洋都市国家として発展したイタリアは、しかし国として統一する前に、大航海時代に台頭してきたポルトガル・スペインに後れをとり、またイスラム教国のオスマン・トルコに地中海交易の要所を押さえられ、そのトルコの貿易商人と交易をしていたヴェネツィア、ジュノヴァ等の活動も、後発のイギリスの東インド会社によって、たとえばアラビア半島南東部(現イエメン)のコーヒー等の貿易等を奪われ、海洋都市国家としての栄華も失われてしまいます。ヴェネチア商人は、当時のイギリスの劇作家ウィリアム・シェークスピアの「ベニスの商人」等で、商人の代名詞のような存在だったのです。
ヴェツィア共和国は中世のルネサンス時代にヨーロッパの大国の1つでした。ちょうど十字軍の行われた11世紀から13世紀の時期に重なっています。イスラム世界との交易が地中海で活発化したのです。 ちなみに中世とは476年~1492年の約1000年です。 ジェノヴァ出身のイタリア人コロンブスがアメリカ大陸を発見したことによってイタリアの海洋国家がスペイン・ポルトガル中心の大航海時代の波にのまれ衰退していくということに歴史の皮肉を感じますね。
オスマン・トルコが東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼし、コンスタンティノーブルに首都を移したのは1453年のことでした。 イスラム教正統派の盟主としてのオスマン帝国は今のトルコの前身ですがほんの90年前の1922年まで存続していました。
15世紀半ば以来、南イタリアのナポリ王国シチリアも含めて、スペイン(ハプスブルグ家)によって支配されます。
大航海時代の影響による、スペイン領カリブ海の島々から砂糖の流入でヨーロッパでの大量消費が可能になったことやアンデス山脈のペルーやエクアドルからトマトの種子がヨーロッパに入ってきたエピソード等も面白く読ませてもらいました。
さらに驚いたことに、ニョッキの材料として有名なジャガイモもトウモロコシもスペインを介して新大陸からヨーロッパに紹介された新食材だったのです。
こうして考えると、地中海交易で活躍していたイタリアの自治都市が、大航海時代に乗り遅れたことは残念でしたが、大航海時代の波に乗ったスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ等の活躍で、新大陸からの砂糖、トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、さらにはインドからの故障等の香辛料を始め、イタリアのパスタ文化に与えた影響の大きさに呆然としてしまいます。まさに産業革命前のヨーロッパにおける食材革命って印象を持ちました。
南イタリアがスペインに支配されていたため、パスタと南米の食材が出会えたというなんとも歴史を感じさせる記述でありました。
今後、パスタを食べるとき、大航海時代のコロンブスやカリブの砂糖貿易に関係する海賊(奴隷商人)、イギリスのフランシス・ドレーク等の活躍で豊かになった食材を想像しながら、いただくことにしましょう。 やはり、ビュッフェに挑戦してみたいなぁ。(糖質ダイエットはどうしたの?)