以前、といってもこのブログを書き始める前ですから、2005年以前になるのですが、この北方水滸伝が単行本で発売されていた頃、ちょうどこの第11巻を読んでいました。
その頃は新刊が発売されるのを追っかけるようにして読んでいたのですが、第12巻、13巻が単行本で発売される頃、文庫本で第1巻の発売も始まったのです。
文庫本の解説が充実していたのと、単行本が嵩張って本箱のスペースを圧迫していたことから、第11巻から文庫本に変えようかどうしょうか迷いながら、その先に進めず10年近くが過ぎてしまいました。
吉川英治の水滸伝は、三国志に次いで、高校の頃読んだのですが、吉川英治の遺作で未完でした。
なんだか水滸伝は途中で読めなくなる私にとっての運命を不思議に思いながら、この度途中で止まった11巻からまた読み始めました。 こんどこそ完走するつもりです。
WOWOWかBSフジの番組で来年あたり「水滸伝」のTVドラマが始まることを期待しているということもあります。 Tsutayaでレンタルって選択肢もありますので頑張って読み進めていきます。 「三国志」と「項羽と劉邦」のTVドラマではキャストが相当かぶっていましたが、それはこの「水滸伝」にもあてはまっているようです。
講談調の手に汗握る吉川水滸伝に比べ、北方水滸伝は、戦闘場面の裏で展開される情報戦、経済活動、人材育成、医療という活動が精緻に描写されており、奥行きと厚みをもった独特の世界観をもたせています。
登場人物1人1人を、かなりの思い入れを込めてその性格、立ち位置、想い等を描写しています。 梁山泊に立てこもった反乱軍の活動に、北方氏自身の学生時代(中央大)の全共闘運動家としての経験を重ね合わせているような気がしてなりません。そうした彼の想いが、梁山泊の108人の兵に乗り移っているかのようです。
たとえば、11巻には「楽和」という歌の上手い人物が登場します。 北方氏は、彼の歌が兵士だけでなく、街の住民の心も癒しているとしてその役割を高く評価しています。学生運動家だった北方氏の仲間にもきっと反戦歌の上手かった仲間がいたのではないでしょうか。 そしてその彼の歌が活動で疲れた彼や彼の仲間達にとって束の間といえども癒し効果が高かったのではないでしょうか? 作者の愛のこもった筆致がこの「楽和」に対する描写で見えました。
宋江と双璧の梁山泊軍の指導者である晁蓋がこの11巻で暗殺されてしまいます。 ちょっと波乱を呼びそうな展開で物語は12巻に継がれます。