第7回(1996年)時代小説大賞受賞作です。
この時代小説大賞は1990年から1999年にかけて10回にわたって講談社が主催となって行われた公募新人文学賞です。直木賞作家松井今朝子さんも「仲蔵狂乱」で第8回のこの賞をとっています。
今は、こうした新人賞発掘という目的で、2009年から朝日新聞が「朝日時代小説大賞」を、2011年から本屋さんが面白い時代小説を選んで読者に薦める「本屋が選ぶ時代小説大賞」等があります。 後者は「オール読物」に掲載されますので、文芸春秋協賛といった感じでしょう。
私にとって興味のあるのは「本屋が選ぶ時代小説大賞」だけで、過去に講談社が主催した「時代小説大賞」があったことは、この「霧の橋」を読むまで不明でした。「朝日時代小説大賞」の受賞作品にも、第2回の乾緑郎の「忍び外伝」以外食指が動きませんでした。 「本屋が選ぶ時代小説大賞」には、伊藤潤の「黒南海の海」、澤田瞳子の「満つる月の如し」、直木賞受賞作品ともなった朝井まかての「恋歌」等が選ばれています。
閑話休題、この作家の特徴でもありますが、「霧の橋」の内容の暗さは、山本周五郎や松本清張の作品を彷彿とさせます。主人公が相手の言葉、仕草、あるいは起こった出来事を反芻したり自省しながら物事の真相に気づくというミステリータッチの手法をとっているために内に籠る印象を与えるのでしょう。作品の明るさとか暗さの印象を別にすれば、この作品の内容に対する私のイメージは、江戸の商人の気構えを描いて絶品の「山本一力」+武士の矜持を描くことに並ぶ者のいない「葉室凛」の合わせ技といったところでしょうか。
壮絶な試練を経たのち侍の身分を捨て元禄時代の江戸の商人として再生しようとする紅を扱う子店主人の紅屋惣兵衛に、厳しい商売の陰謀が襲い掛かり、また昔の仇討に自分を追い込んだからくりも明らかになり、武士としての気構えが蘇ってしまいます。妻「おいと」は「惣兵衛」が武士に戻ってしまうのではないかと不安になり、心のすれ違いに思い悩みます。
仇討を通じた武士の矜持、心ならずも惣兵衛の父の頓死の黒幕となった武家の婦女子の一念、現代の大企業の獰猛な中小企業買収の仕掛けをイメージさせる大店の小さな商店を飲み込もうとする策謀とそれに対する半沢直樹張りの惣兵衛の「倍返し」、元武士の惣兵衛と根っからの商人の娘おいとの夫婦の間に立ちはだかる微妙なズレ、これらの異なる切り口のドラマがサスペンス調に積み重なって緊迫感を保ったまま進行していき最後に「夫婦小説」としてふっと力の抜けた着地を決めています。
1粒で3度美味しい時代小説でした。お薦めです。