万葉集にある「石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらび(早蕨)の萌え出づる春になりにけるかも」という和歌の早蕨に、主人公の有川伊也は憧れに似た思いを寄せます。
ほとばしる清流と早春に芽を出す草木の若緑の清々しい光景の中ですくっと萌え立つ早蕨に。
妹初音と婚儀の話が進んでいる樋口清四郎への想いは不義ととられるかもしれないが、胸のうちで、和歌の早蕨のごとく、清冽な飛沫を浴びて立つ心を持ちたいと念じているのです。
そして、それゆえに弓矢を以て清四郎と立ち合いたいと願うのです。現世で結ばれることを望める相手ではない清四郎に心の有様だけでも弓矢に托して清四郎の胸に刻みたいと願うのです。
葉室麟の描く女性は何と凛としてまっすぐな姿勢なのでしょうか。
さらに女弓士伊矢の祈りの千本の通し矢は藩に正義を取り戻すため、天弓愛染明王に乗り移り、邪を祓います。
美しい姉妹、姉の弓士伊也と妹の初音と、藩随一の弓の名手、樋口清四郎、藩主の異母兄である新納左近等の忍ぶ恋、揺れる心、しかし不動の高潔の志をしっかり描いてくれました。
悪い藩主と家老の改心がちょっとあっけない気はしますが、それはそれで、読後感が爽快な時代小説でした。