16歳で米国へ留学したマリが、ディベートのクラスで、第二次世界大戦の戦争責任が天皇ヒロヒトにあるか否かということを論じる経験をします。クラスの中での日本人は彼女独りです。16歳の普通の少女は、あまりにも自分が天皇や東京裁判についての知識がないことを嘆きながらもみずみずしい感覚で「おかしいと思うこと」を少しづつ自分なりに学んでいきます。16歳の少女の目線で。
決して読みやすい小説だとはいえませんが、はっとする箇所が多く、考えさせられる文章に多く出会いました。
・東京裁判というのは、子供が見てもおかしな裁判で、「戦争をしただけで平和に対して罪があると、戦争の勝者が言える」というおかしな論理に基づいていた。
・A級やB級の級は、種類の違いであって、罪の重さではないのよ。A級が重いわけではなく、「平和に対する罪」ってカテゴリーをA級って分類しただけなんだって。クラスAのクラスを級って訳したので誤解を招いたと本に書いてあった。A組、B組って訳せば誤解されなかったかもね。ちなみにクラスBは捕虜の虐待とか民間人の殺傷に係る「通例の戦争犯罪」、クラスCはドイツのホロコーストに向けられたもので、日本には対応するものがなかった。日本でのA級戦犯に少数の大物政治家が選ばれたためにA級が要人で、B級が下っ端という概念が生まれたが本来のABCのクラス分けにはそうした概念はなかった。
・1945年8月15日を何故終戦記念日というのか? 何故敗戦ではなく終戦なのか?何故記念するのか、負けたのに。
・堪えがたきを堪え忍びがたきを忍びとは?(日清戦争後の三国干渉のときの臥薪嘗胆?とはニュアンスが違う?・・・これは私の疑問です。)
・日本の戦争は天皇が終わりというまで終わらなかった。たしかに天皇の降伏である。だが、天皇は交戦国に対して降伏すると言っているのではなく、帝国政府(日本政府)に対してポツダム宣言を受諾することを要請した・・・と言っている。
・日本の中学校では、近現代史に触れることは暗黙の、公然としたタブーだった。申し合わせたようにカリキュラムは卑弥呼からはじめて明治維新あたりで時間切れになるようになっている。発せられるメッセージはたったひとつ。それは考えてはいけない問題だということ。
・東京裁判、正式名極東国際軍事裁判でパル判事(インド人)は、それが起きたときにはまだなかった法律によって、過去の出来事を捌くことはできない。そして第二次世界大戦化の戦時国際法に、「平和に対する罪」なんて概念はなかったと言っている。
・「東京裁判」では、天皇の戦争責任を問わないことをGHQは最初から決めていた。
・日本では、天皇をお飾りのトップにすえて権威をもらい、実権は元サムライである自分たちが握る政治形態をつくりだしていた。表面上、天皇に全権を与えているが、政治にも戦争にも長けていない天皇に決断力などないわけだから、与えた権限が大きければ大きいほど、自分たちの実験も大きくなる。元老と呼ばれる「年長の政治家たち」や西園寺氏が亡くなった後は、そこに軍部が入り込んで事実上国を支配した。
・米軍のためには、「思いやり予算」ってものまである。私が中学3年だった1979年にはそれは280億円だった。
・キリスト教徒でなかったから原爆を落としてよかったのか?ポツダム宣言発令の時点で原爆投下まで決めていたのはなぜか?