1月から始めた五大シャトーを飲む会のワインもいよいよ残すところ後一品となってまいりました。
いやでござんす(1853年)ペリーさん。1853年と言えば大統領フィルモアの国書を携えてペリーが浦賀に来航した年です。”泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)、たった四はい(四隻)で夜もねむれず”です。日本にとって晴天霹靂のこの1853年にロンドン・ロスチャイルド家が買い取ったワインがシャトー・ムートン・ロートシルトです。買った時は、シャトー・ブラーヌ・ムートンという名前でした。
シャトー・ムートン・ロートシルトはラフィット、ラトゥールと並ぶメドック地区のポイヤック村の3大ワインの1つです。ムートンは羊という意味です。
ロスチャイルドのドイツ語読みがロートシルトで、赤い盾という意味です。1976年にフランクフルトのユダヤ人居住地で両替商として一旗挙げたのが、マイヤー・アシュムル・ロートシルト。マイヤーは5人の男子をもうけましたが、それぞれに結束を約束させてヨーロッパの主要都市へ送りました。ロートシルト家の家紋は、毛利元就の三本の矢に優る5本の矢です。三男のネイサンはイギリス経済界の帝王の座に就き、五男のヤコブはやがてジェームスと名乗り、明治維新の1868年(イヤーロッパ君もう明治だよ)にシャトーラフィットを買いました。(ジェームスはパリのラフィット街に自分の銀行と家を持っており、同じ名前のラフィット・・あのポンパドール婦人のラフィットを気に入って購入しました。)そして、シャトームートンを買ったのがワーテルローの戦いでの情報を駆使してイギリスの公債で大儲けしたネイサン・・・そのネイサンの息子です。跡を継いでますます富を増やしたため傑物ナサニエルと呼ばれました。この当時のロスチャイルド家の財力と情報力は巨大で、アメリカの南北戦争や日露戦争へまでも影響を与えたことで有名です。
さて、そのシャトー・ムートン・ロートシルト1855年のメドック格付けでは2級とされました。”二位足ることを潔しとせず。われムートンなり”と言って、失地回復を目指した努力の末1973年に1級に昇格しました。1855年来、唯一の格上げです。このときは”われ一位なり。されどムートンは変わらず。”と言ったとか・・・。
ムートンの人気のひとつに美しいラベルがあります。ワインの出来だけではなく、ラベル製作者によっても売れ行きが左右するようです。ミロ(1969)、シャガール(1970)、ピカソ(1973)に混ざって、1979の堂本尚郎や1991年の節子・バルテュス等日本画家の名もあります。
ちなみに、ワイン漫画”神の雫”6巻が最近発売されました。フランスの5大シャトーの飲み比べが描かれています。官能の洪水といった表現が使われています。