著者は、山本周五郎賞受賞作の「ふがいない僕は空を見た」で2010年にブレイクした窪美澄(くぼ・みすみ)氏です。
この「晴天の迷いクジラ」の登場人物はそれぞれの人生に絶望し自殺志願の3人です。由人・ゆうと(24歳)- 仕事の忙しさから鬱になり、恋人に振られ、勤めていたデザイン会社が潰れそうな(自分も潰れそうな)青年。 野乃花(48歳)- 女を捨て故郷を捨てがむしゃらに働いてきたが、不景気のあおりで自分の会社が崩れていくのをただ見守るしかない女社長。 正子(16歳)- 母親の偏った愛情に振り回され、たった一人の友達を失い、ひきこもったリスカ少女。 崩れかけた三人が引き込まれるように行き着いた先は、迷いくじらが打ち上げられていた海辺の村でした。そこで彼らは何を発見するのでしょうか?
大まかにいって四部構成になっています。最初の三部で、それぞれの登場人物が、何故絶望するに至ったのかということが丁寧に、生い立ち、家族構成等から掘り下げて描かれます。
野乃花は、育児に疲れ、子を捨て家を出た経歴を持ち、母親としての罪悪感を心の奥に持ち続けています。由人は、母が兄と妹を溺愛し、自分は構ってもらえませんでした。愛されていることを感じ取ることができずに育ったためか、自信がなく気弱な性格です。愛する恋人にも去られてしまいます。正子は、姉が幼少で亡くなったため、母親の常軌を逸した愛情を一人で受けて育てられていきます。やがて友達ができ、そうした友達付き合いまで干渉してくる母の過保護な接し方に疑問を感じますが、正面切って母親に自分の気持ちを主張でえきません。やがて、その友達は病死し、その悲しみから家出をしていたところ、打ち上げられたクジラを見に行こうとしていた由人、野乃花と出会います。由人は野乃花の会社の従業員です。
たどり着いたその村でのクジラ博士の発言がいいです。「でも、それが悲しいとか、耳が聞こえなくて、海に戻れなくてつらいとか、そういう気持ちや心はクジラにはないよ。」「人間とクジラを重ね合わせっちゃいけない。クジラはただの野生動物だよ。あいつらにはあいつらの世界があって、あいつらのルールで生きているんだ。人間が(クジラを助けようとして)介在するのはどうだろう。ただの、自己満足なんじゃないか。」クジラを自殺願望者と置き換えて読めるような気がしました。
その村で、クジラ救出ボランティアとして親子として登録した3人は、自殺した花子似の妹を持つ青年雅晴とそのおばあさんの家に寝泊まりさせてもらいます。心療治療の妹につらくあたって自殺に追い込んだと思っている雅晴は、「毎日後悔ばっかいじゃ、薬飲んだって、入院したってよかと。どげんなことしたって、そこにいてくれたらそいだけでよかと。」と言えなかったことを嘆きます。そして、同じ症状に悩む由人に「死ぬなよ、絶対死ぬな。生きているだけでいいんだ。」と言います。由人は、ふっと心が楽になります。悩む必要はなかった。生きるだけでよかった。練炭自殺しようとした野乃花にも、リスカしてる正子にも、そして薬を飲んでなんとなくこの世からいなくなりたい自分にも「死ぬなよ」って、ただそれだけ、言えばよかったんだと気づいたのです。
このとき、クジラが繰り返し尾びれで海面を叩く音が、断末魔のように聞こえているのです。
ロード・ムービーとしてこの小説に、映画館のスクリーンで再会できることを期待しています。 野乃花に小泉今日子、由人に森山未来、正子に能年怜奈でイメージしています。