ちょっとボルドーの歴史とか語源の話をします。
六本木に(→クリック)
”ブルディガラ”というレストランがあります。パックス・ロマーナ時代はボルドーのガリア人と呼ばれていたのか、ブルディガラは(ラテン語?で)ボルドーのことです。
ブルゴーニュとボルドーのワインの英国式の呼び方は、それぞれ”バーガンディ”と”クラレット”です。
ボルドーは1152年に、この地を相続した恋多き公女(エレアノール、ギョーム9世の孫娘)が10歳年下のイギリス国王ヘンリー2世と結婚したため、ボルドーは一時イギリス領になりました。ボルドーワインはイギリス貴族に大量に輸出され”クラレット”と呼ばれ、大発展を遂げました。語源はクレーレ(なんと明るい赤だ!)だとか・・・。1338年に始まった百年戦争では、ボルドーの人々は経済的に恩恵をこうむったからでしょうか、なんとイングランドに味方して、フランス王の軍隊と戦いました。
百年戦争の末期に、ジャンヌ・ダルクがオルレアンの攻防戦で勝利を得て以来、それまで優勢だった英国軍は次々と敗退します。(ジャンヌ・ダルクが活躍した場は、ロワール地方ですが、そのロワール地方のトゥレーヌ地区にシノンというワインがあります。シノン城で名を知っておられる方も多いと思います。このカルベネ・フランを主役としたワインは、程よいボディで、木の芽の香りをもったさわやかで軽快なワインです。赤坂の
マガーリのママのお勧めは、このシノンと鰻の蒲焼のマリアージュです。蒲焼もいいけど、わさびで食べる野田岩の白焼きにも合います。)
英国の常勝将軍として名高いタルボット(タルボー)将軍も長年英国の拠点だったボルドーを最後の守戦場として散りました。
ボルドーのメドックにあるサンジュリアン地区に、将軍の名にちなんだ、シャトー・タルボーというワインがあります。格付け4級です。1982年のタルボーを飲んだとき、血なまぐさいなめし皮のような香りがしたのを今でも覚えています。
さて、さて八十歳近い老将軍タルボーが最後に立てこもった砦というか塔が、シャトー・ラトゥールのラベルのデザインとなっている砦だそうなんです。とすると、あのかわいいライオンは将軍かも? 百年戦争を経て、1453年にボルドーはフランス領に戻ります。
1789年にフランス革命が起こりました。モンタ-ニュ派とジロンド派の抗争は有名ですが、ジロンド県の首都がボルドーでした。つまりパリ党に対してボルドー党が対峙していたわけです。フランス革命の思想に影響を与えた”随想録”のモンテーニュも"法の精神”のモンテスキューもボルドー人です。
その後、ラトゥールは何度か所有者が変わり、ラフィットを所有していたセギュール家がラトゥールを300年近く所有しました。しかし、これも運命でしょうか(1152年から1453年まで約300年、ボルドーがイギリス領だったという意味で)、1963年にラトゥールの所有はイギリスのピアソン家に渡りました。ピアソン家は、思い切って設備を近代化しました。オーク樽をステンレス・タンクに替え、それにより、はずれ年が無いといわれるほど、天候に左右されない、高品質ワインの生産を可能にしました。
メドックの代表的地区としては、南から北へ、マルゴー、サン・ジュリアン、ポーイヤック、サンテステーフがあります。特徴は、南のマルゴーが繊細、柔らかさ、優美。北のサンテステーフが堅実、こく、深み、バックボーン。ポーイヤックは壮麗、かつ複雑、微妙さ。サンジュリアンはマルゴーとポーイヤックの折衷と言われます。(私がワインを初めてつくづく美味いなあと思ったのが、サンジュリアンのデュクリュ・ボーカイユの2000年でした。)シャトー・ラトゥールはサンジュリアン村の境界に接していますが、男性的でむしろ北隣のサンテステーフの特徴を持っています。