坂の上の雲の第1巻の主人公は秋山真之ではなく正岡子規かもしれません。
子規の筆写癖は終生のものだったそうです。後年、革命的な俳諧論を展開するにいたったのも、彼が克明に江戸時代の俳人の作品を写しとっていたそういう手の作業の中から思考がうまれてきたもののようです。
言葉は所詮人の感情、五感を表すための手段です。書写という肉体的な作業を通じて言葉の裏にある感情、五感に病弱な身体から自分の精神を解き放って共鳴したのかもしれませんね。子規も繰り返し筆写することによって故人がどういう気持ちでその作品を作ったか理解できる境地まで到達したのかもしれません。
書写してすぐに効果が表れるとも思えませんが、相当な量の情報を潜在意識の中に蓄積したのだと思います。
「思考の整理学」という本を書いた外山滋比古さんがいうところの醗酵という過程を経てそうした蓄積した情報が子規の閃きで革命的な俳諧論に変化下のだと思います。