GORILLAZ
GORILLAZ

Would-be ちょい不良親父の世迷言


映画、読書、ワイン、旅、駅伝、柔道、スポーツ観戦、趣味の世界
by zoompac

カテゴリ
以前の記事
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
venushack.co..
from venushack.com/..
whilelimitle..
from whilelimitless..
http://while..
from http://whileli..
亡くなっても続く、その愛..
from 笑う社会人の生活
http://www.v..
from http://www.val..
揺らぐこころ
from 笑う社会人の生活
ボッティチェリの初期から..
from dezire_photo &..
「消えた声が、その名を呼ぶ」
from ここなつ映画レビュー
美しき三角関係?プラトニ..
from dezire_photo &..
美しき三角関係?プラトニ..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

映画「「七つの会議」_昭和の本格的社会派映画の松本清張シリーズの後継者たるか池井戸潤シリーズ?

f0090954_13230073.jpg2013年にNHKで東山紀之が演じる原島万二を主人公にテレビドラマ化された池井戸潤の同名企業犯罪小説「七つの会議」を、「陸王」「下町ロケット」「半沢直樹」などを、一連の池井戸TBSTVドラマの演出を手がけた福澤克雄が映画にしてくれました。このTVドラマではぐうたら社員の八角民夫を演じたのは吉田鋼太郎でした。

この映画で主役を取っていたのは八角役の野村萬斎で、原島万二役の及川光博と浜本優衣役の朝倉あき(NHKドラマでは村川絵梨でした)が狂言回し役としてドラマの進行を務めていました。

昔から、この手の製品に関する品質データの改ざんやごまかしは多くありました。

しかし、2013年にTVドラマ化されたものを2019年の今映画化された意味合いは大きいと思います。

時代を揺るがせた大きな東芝の不正会計が2015年に発覚したということが一つ、もう一つは検査不正や品質データ改ざん事件がこの3年相次いでいるからです。

東芝事件は、アベノミクス施策として鳴り物入りで始まった企業統治(ガバナンス)改革がいきなり水を掛けられる皮肉な不祥事事件でした。東芝は著名人を社外取締役に迎え長年ガバナンスの優等生と目されていました。

この「七つの会議」で問題となったトップを巻き込んで不正な方法で利益を捻出するなど、極端な目的追求が不当な手段を現場の人間にパワハラなどを通じて強いる典型的な例が東芝問題にも見られました。

「七つの会議」ではネジの強度という品質を犠牲にし、利益追求に走った結果、市場で故障が生じます。リコールを避けその問題を隠蔽しようと秘かな回収修理を目論みますが、東芝事件同様内部告発でその問題が表沙汰になってしまいます。

東芝事件後、2017年~2019年も「七つの会議」のネジの強度問題と類似の品質データ改ざん事件が日常茶飯事のように起きています。またか・・・という感じで、もはやニュースにもならない感じです。

レオパレス21の建築基準法違反の疑い、神戸製鋼所、日産自動車、スズキ、クボタ、Toyo Tire、三菱自動車、川鉄ホールディングスの子会社、旭化成建材等の品質検査不正です。

野村萬斎が演じる八角民夫は、映画の最後に、役所広司扮する裁判官の質問に答えて、日本の企業からこうした不正事件を無くすことは困難であろうと述べていました。

江戸時代からの幕藩体制の藩が企業に変わっただけで、存続をかけて組織ぐるみで目的達成のため手段を選ばず、現場に危ない橋を渡らせ、問題が発覚したら、トカゲのしっぽ切という風習は、日本文化としてしっかり我々のDNAに根付いているからと語るシーンが印象に残っています。

その自分の所属する組織さえよければそれでよしとする文化は、民間企業だけでなく、最近の厚労省の不正調査事件等でみられるように民間企業を監督する側の官僚の牙城をも揺るがしています。

政管民ともこんな調子ですから、企業単位の組織ぐるみというより、政官民三位一体の国絡みで、問題に真っ向から取り組むのでなく、その場しのぎの辻褄合わせに汲々としているイメージですね。

映画では、最初とてつもなく大物ぶりを発揮していた香川照之が、物語の進行につれて、もっと大物が次々出現して小物化するところが面白かったです。

「下町ロケット」等で作業着を着てもシュッとして清楚にみえる朝倉あきですが、この映画ではある工場の倉庫を全力で走るシーンを長廻しカメラで撮影されていて、上から見下ろすように撮っているせいもあってか、下半身デブに見えたのが意外でした。

片岡愛之助、藤森慎吾、岡田浩暉、音尾琢真、立川談春、橋爪功、世良公則、鹿賀丈史、北大路欣也、役所広司、小泉孝太郎、溝畑淳平、春風亭翔太、勝村政信、土屋太鳳、吉田羊といった豪華な俳優陣をチョイ役にずいぶん無駄遣いしているのが鼻につきましたが、タイムリーな社会派映画として私は社会性とエンタメ性のバランスのよい映画だと思いました。

去年映画化された池井戸潤原作の「空飛ぶタイヤ」に続いて、今年も「七つの会議」という本格的な社会派映画を楽しむことができました。池井戸シリーズは、昭和の松本清張の本格的社会派映画シリーズ同様、息の長い作品に育っていく予感がします。

# by zoompac | 2019-02-22 13:07 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

「ファーストマン」_月面着陸という偉業を成し遂げた宇宙飛行士の影に隠れたプライベートな側面を活写した映画

f0090954_11080728.jpg"That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind."

1969年、「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな躍進だ」というアポロ11号のアームストロング船長が月面に降りた時の第一声をNHKの中継で同時通訳し、話題を呼んだのは、第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)や在日米国大使館の各顧問を務めた西山千氏でした。

私は高校生でした。

この偉業を成し遂げたニール・アームストロング氏のベールに覆われたプライベートな部分にもこの映画は光を当てています。

109シネマズ木場のIMAXで観ましたが、IMAXの音響効果もさることながら、ロケット内があれほど揺れるとは想像もつきませんでした。

当時の宇宙飛行士の訓練がかなり過激であり、タフな軍人でも訓練途中で気を失ってしまうシーンや訓練者の多くが吐き気に襲われるシーンがリアルに感じられるのも、この狭いロケット内の激しい振動のためでした。

装置も今から観ればずいぶんお粗末で、まるでブリキの玩具のようにみえましたが、本物の映像を織り交ぜながら専門家の目から見てもかなり実物に近いものだそうです。

ニール・アームストロングは、1951年から1952年の1年間、海軍に所属し、朝鮮戦争で78回、計121時間の飛行を経験しました。

後に、彼は個人的に、「合衆国の正義」を基にアメリカが「世界の警察官」として行動することには反対していますが、このときの経験からそう思うに至ったのかもしれません。

その後、除隊し大学で航空工学の学位を得ました。そのパデュー大学で後に妻となるジャネット・エリザベス・シェアロンと知り合っています。

大学を卒業して1年後の1956年に25歳で結婚しました。

その頃から、ニールは空軍に所属し新型ジェット機やロケット機のテストパイロットとして活動しました。卓越した操縦技術と冷静な対応力で数々の伝説を残したことが映画の冒頭で紹介されています。

ジャネット・アームストロング(クレア・フォイ)との間に子供は3人授かりましたが、第二子のカレンは脳の悪性腫瘍のため、体力が衰え、1962年に2歳で亡くなりました。

そのタイミングは、ニールが宇宙飛行士への応募の直前でした。

映画は、ニールがNASAのジェミニ計画の宇宙飛行士に選抜された1962年から1969年のアポロ計画の月面着陸までの軌跡をたどりますが、この間にニール自身も何度も死と隣り合わせのような状況に遭遇しますし、親しい宇宙飛行士仲間を何人も事故で失っていきます。それでもひたすらミッションに向かって仕事をこなしていくニールは職人肌の男でした。

記者会見のシーンも何度か出てきますが、ニールの受け答えはかなり事務的で、彼の性格がよく出ていました。

月に何を持っていきたいですかという記者の質問に対して、「できるだけ多くの燃料」と答えたニールでしたが、彼が実際持って行ったものが何であったかが映画の後半でわかります。

悲しみや不安を無表情の中に押し込めて仕事に一途に向き合う彼は、決していい父親でもなければ夫でもなかったと思います。溢れる愛情や家族への思いを上手く表現できない不器用さも描かれていました。

クレア・フォイが演じる妻・ジャネットが、その家族の不安や悲しみを説得力のある演技で描いてくれました。

地上に残された宇宙飛行士の妻たちの不安や悲しみも上手く表現してくれていました。

(クレア・フォイの「ファーストマン」での演技は素晴らしかったけど、「蜘蛛の巣を払う女」のリスベット・サランデル役はやはりしっくりこないです。リスベット・サランデルを同じ35歳の女優にやらせるんだったら、エミリー・ブラントの方が適役だと思うのですが。)

月面着陸の後、ニールが月面から見上げた三日月形の地球が青く妙にいつまでも心に残った映画でした。

月面着陸というプロジェクトが決して科学的に安全が裏付けされてはいなかった時代の命懸けの冒険を遂行した男の静かな佇まいが、何もない月の佇まいと重なった映画でした。

がたがた揺らされた後に静かで岩以外はなにもない月とそこから見える地球の神秘的な美しさは感動的です。

1950年代から始まった宇宙開発は、アメリカと旧ソ連の宇宙を舞台にした覇権争いのようなイメージでした。

ガガーリンの世界初の有人飛行等先行して成功の続く旧ソ連に対して、アメリカが国威をかけて総力で推進したのがこの人類初の月面着陸でした。

ニールは、アメリカの国威発祥の象徴となる偉業を達成しましたが、それはアメリカ一国のためだけでなく、人類のためという表現を選びましたし、旧ソ連のガガーリンの偉業も讃えました。

月面から、三日月形の地球を眺めたニールにはアメリカと旧ソ連の争いはどうでもいいことに見えたのかもしれません。

ニールは、月面着陸から2年後の1971年にNASAから退官し、シンシナティ大学で航空宇宙工学の教鞭を執りました。

人類で初めて月面を歩いた男に対して民主・共和両党から政治家への転身アプローチがありましたが、政治的な誘いには見向きもしませんでした。

立花隆氏は著書「読書脳」(2013年)の中で、ニール・アームストロングを「精神的に健康すぎるほど健康な人で、反面人間的面白みにはまるで欠けた人物。驚くほど自己抑制がきく人で、いかなる場面でもパニくるとか、感情が激するといったことがない。」と評していました。

大半は当たっていると思うのですが、この映画では、ニールの娘カレンの死に対してのトラウマのエピソードがいろいろ紹介されていました。

御年78歳の立花隆さんがそのエピソードを観てどう思われるかとフと気になりました。

# by zoompac | 2019-02-21 11:08 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

「女王陛下のお気に入り」_宮廷絵巻のように描かれた女王の寵を巡って繰り広げられる女官の確執一コマの史実を華やかに彩った作品!

f0090954_10394929.jpgこの映画を実際に観るまでは、日本の大奥のお局頭のようなサラ役のレイチェル・ワイズとアビゲイル役のエマ・ストーンの助演女優賞争いに私の関心が傾いていました。

確かに女王陛下の歓心を巡って、新入りの(失うものは何もない)アビゲイルの恥も外聞もかなぐり捨てた体当たり的な攻撃に、一定の位(女官長)とそれに応じたプライドを持つレディ・サラが受け手に回って防戦一方になる様は面白かったのですが、それ以上に愚鈍さを装った?病気で気まぐれなオリビア・コールマン演じるアン女王のしたたかさが印象深かったです。

この映画を観た後、私の関心は、この映画の作品賞と主演女優賞に移ってしまいました。助演女優賞は甲乙つけ難いので、痛み分けとして、他の作品の女優、例えば「バイス」のエイミー・アダムスとか「ビール・ストリートの恋人たち」のレジーナ・キングとかにいくのではないでしょうか。

一見、レディ・サラと野心家アビゲイルの寵を得ようとする争いに身を委ねているようでありながら、その実、長引く対外戦争にそろそろ終止符を打ちたい思いから、サラを遠ざけてアビゲイルを側に引き寄せたように思えて仕方ありませんでした。

痛風に悩む虚弱体質で、好き嫌いが激しく、気まぐれな感じなのですが、要所要所の決断は毅然と行っていたアン女王には、意外に権力の頂点に立つ者としての判断力はあったのではないでしょうか?

例えが適切かどうか不明ですが、アン女王の危うさ、脆さ、気まぐれさには米国のトランプ大統領に通じるものがあるような気がしましたが。

戦争をめぐる政治的駆け引きと女王の寵を競う愛憎劇が見事にシンクロナイズした興味深い映画でした。

18世紀の気まぐれな女王とその寵を競う二人の遣りての女官の3人が織り成す宮廷絵巻に政治主張の対立も絡め、当時のスペイン国の継承を巡っての対仏戦争の最高司令官だったマールバラ卿の失脚事件の内幕を見事に解き明かしてくれています。

今回のアカデミー賞には最多10部門でノミネートされていますが、個人的にオリビア・コールマンの主演女優賞、作品賞、脚本賞、衣装デザイン賞の受賞の可能性は高いと思います。

戦争推進派のレディ・サラですが、サラの夫は、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、イギリス皇太子妃ダイアナ・スペンサーの先祖としても有名な、マールバラ卿/ジョン・チャーチルです。

1702年、前年の1701年にハプスブルク家が断絶したスペインの王位にフランスのルイ14世が孫のフェリペ5世を送り込んだことにオーストリアのハプスブルク家が反対して起こった「スペイン継承戦争」が、マールバラの名声を歴史に残すことになりました。

フランスとスペインが将来同君連合になって強大化する可能性を怖れたオランダ及びイングランドはオーストリアに荷担することを決め、フランスと戦端を開いたのです。

オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世は、末子のカール大公(後、神聖ローマ皇帝カール6世)をスペイン王家の後継者候補に推していました。結婚によって一族の反映を築き上げたハプスブルク家ですが、スペイン王家やフランス・ブルボン朝にもその血統が拡がり、オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家の繋がりが希薄になったところに、フランス、イギリス、オランダが代理戦争の首謀者になって戦っているという構図です。

このフランス対イギリスの戦いは、北アメリカ大陸でも大きく展開し、こちらにはアン女王の名を採ったアン女王戦争という名がついています。

フランスはこうした戦争で劣勢になり、16世紀後半から17世紀初めにかけて王朝の最盛期を築き、太陽王(Roi-Soleil)と呼ばれたルイ14世でしたが、長引く戦争と敗退により膨大な財政赤字を抱え、ルイ16世の世になってフランス革命を招く大きな原因をつくってしまいました。

スペイン継承戦争開始(1701年)直後のウィリアム3世の死によって、マールバラの妻のレディ・サラの友人でもあったウィリアム3世の義妹のアンが女王として即位(1702年)します。アン女王はサラの影響もあってか、マールバラを同盟多国籍軍の最高司令長官に任命しました。

マールバラ率いるオランダとの連合軍は1704年~1709年の大きな3つの戦いで対フランス軍に勝利を納めましたが、決定的な勝利には至りませんでした。

1710年になると、ホイッグ党が選挙に敗れて戦争を推進してきた大蔵卿ゴドルフィンが政権から滑り落ち、かわってロバート・ハーリー(映画ではニコラス・ホルトが演じていました)、ヘンリー・シンジョンらが率いる戦争終結推進派のトーリー党が政権につきます。

鶏が先か卵が先かわかりませんが、映画でアン女王とサラの対立が決定的となって女王がサラを宮廷から追放したタイミングです。

泣きっ面にハチで、マールバラによる軍事費着服疑惑も出てきて、レディ・サラとマールバラ卿が失脚する様子も映画でご案内の通りです。

アン女王がレディ・サラを追放したのは1710年のことです。

英国のフランスとの欧州大陸(緒戦でフランスはオーストリアに攻め入りますが、次第に劣勢となります。それでも戦争は1701年から1714年まで続き、戦域はこれまで常に戦場になってきたフランドルとライン川上流、ミラノとサヴォイアを巡る北イタリアと南フランスそしてスペイン本土にまで及びました。長引く戦争に倦んだため1713年に講和条約を結びました。

北アメリカで繰り広げられた1702年~1713年のアン女王戦争もスペイン継承戦争の講和調印を機会に終わっています。英国がフランスを圧倒した結果となりました。

後にフランスはアメリカ独立戦争(1775年-1783年)の独立派に加担することになるのですが、アン女王戦争で膨れ上がった財政赤字に決定的なダメージを受け、1789年~1799年のフランス革命を迎えることになります。

スチュアート朝のアン女王は1714年に崩御します。

映画でも紹介されていましたが、幾度も妊娠し出産しましたが、結局後継者は残せませんでした。以降は、アン女王の遠縁のジョージ1世がハノーヴァー朝で議会制民主主義が発達していくことになります。

余談ながら、ジョージ1世は元帥としてスペイン継承戦争に参戦した経験を持っていました。

ジョージ1世即位後、ハーレーらトーリー党が失脚してホイッグ党が復権したことによって、追放されていたマールバラ卿はイギリスに帰国してジョージ1世の好意で大将軍と兵站部総監の地位に復帰しました。

サラ(・ジェニングス、あるいは・チャーチル)は、アン女王の晩年には寵愛を失いましたがが、ハノーヴァー王家のジョージ2世と王妃キャロライン、首相ロバート・ウォルポールと親交を結び、マールバラ公家の莫大な資産をトラスト法によって継承し、当時ヨーロッパ有数の資産家になりました。

レディ・サラは、子孫に恵まれ、マールバラ公家からはウィンストン・チャーチル、スペンサー伯家からはイギリス元王太子妃ダイアナを輩出しました。

一方、サラの従妹でもあったアビゲイル(・メイシャム)は、アン女王の死後、宮廷に返り咲いたマールバラ公夫妻の影響で、宮廷から締め出されてしまいました。

アン女王は、いつまでもサラとアビゲイルに寵を競わせて自分に構って欲しかったのでしょうが、時代の流れによる政治的な決断や王室の様々なしがらみにがんじがらみにされていました。そういう意味ではコミカルに描かれた映画でしたがアンは深い悲しみを抱いた女王でもありました。

私には、そうした自儘と悲しみに揺れ動く複雑なアンという人物造型をオリビア・コールマンが見事に演じ、政治・歴史的な史実と宮廷での女の争いの物語を上手く重ねた妙が印象に残った映画でした。

# by zoompac | 2019-02-20 10:47 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

映画「天才作家の妻 40年目の真実」_グレン・クローズが表情で見せる複雑な心理の揺れが醍醐味!

f0090954_10400706.jpg「天才作家 40年目の真実」は、マイケル・ダグラスと共演の「危険な情事」で世の中の男どもを恐怖で震え上がらせたグレン・クローズの複雑微妙な表情演技が秀逸の映画作品でした。

天才作家と評された夫がノーベル文学賞を受賞することになって、その夫の影となり夫が世界的に有名な作家になることを支えてきた妻の心が揺れます。

ひっそり佇んだ森の沼のように何もかも心の奥底に沈め留めておいた妻の様々な思いが、千々にかき乱されて、沸々と水面に浮かんでくる様を、グレン・クローズは目の表情と顔の傾き加減で表現してくれています。まさに目は口ほどにものを言う様が見てとれました。

これは、何も夫が著名な作家ではなくて普通の夫婦にもあてはめることのできる普遍の夫婦の物語として捉えることもできそうです。

ある意味、「危険な情事」で女に執拗につきまとわれる男の恐怖より、結婚という枠内にいる妻から長年溜まった鬱憤を小出しにされる夫の恐怖の方がやり切れない感が強いです。安住であるはずの場が心理サスペンスの修羅場に転じてしまうわけですから。

世の夫に、妻に安心しきっていると寝首を掻かれますよという警告もこめられていると思いました。

私にとって、このジャンルの映画は、完全に「ホラー映画」に分類されます。

余談ながら、日曜日のTBSドラマ「グッドワイフ」の蓮見総一郎(唐沢寿明)も、うかうかしていると杏子(常盤貴子)から三行半をつけられて安住の場所であるはずの家庭を失うことになるかもしれません。多田(小泉孝太郎)という杏子にとっての避難場所も大きく両手を広げていますしね。

これまで6度もオスカーの主演・助演女優賞にノミネートされながら、未だに無冠の舞台俳優出身のベテラン女優グレン・クローズの演技は、女性に追い風の吹き始めた今、主演女優賞の最有力候補との呼び声が高いですね。多くの評論家が主演上優勝本命と予想しています。

個人的にはレディ・ガガを応援しているのですが・・・・。 最近観た「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマンの主演女優賞に気持ちが傾きはじめています。

天才作家の夫役のジョナサン・プライスもいい味出していました。

若い頃の主人公ジョーン・キャッスルマンを演じているのは、グレン・クローズの実の娘であるアニー・スタークです。

72歳のグレン・クローズの娘が29歳ということは、43歳の時に生んだのか~?とそちらの方に関心/感心がいってしまいました。

「危険な情事」が1987年の映画ですから、綾小路きみまろではありませんが、「あれから30年~!」ですね。その頃生まれたのがアニー・スタークだったのです。

# by zoompac | 2019-02-19 09:26 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」_御年84歳のジュディ・デンチが演じるヴィクトリア女王がとてもチャーミング!

f0090954_14385984.jpgヴィクトリア女王即位50周年記念式典に記念金貨の贈呈役に選ばれた若者アブドゥルが当時の英領インドからイギリスへとやってきます。

最愛の夫(アルバート、1861年に42歳で病死)と従僕(ジョン・ブラウン、1883年に死亡)を亡くし、長年心を閉ざしてきたヴィクトリアは、この1887年の記念式典当時68歳でした。(1819年生まれですから今年2019年は生誕200年になります。ちなみに崩御されたのは1901年です。)

植民地インドの女帝の称号を持ちながら安全上の理由から一度もインドを訪れたことのなかったヴィクトリア女王が、このハンサムなインド人(史実では18歳です、出会ったときの年齢差は50歳)の従僕に大いなる興味を示します。

宮廷でのしきたりなどでこのインド人を女王から遠ざけようとする側近の意図に逆らうように彼を女王は家庭教師にしてしまいます。

お気に入りのインド人の青年を、インドの言葉や文化に関する師になってもらうことで女王が宮廷に蔓延る窮屈なしきたりを打ち破る様をコメディタッチで描いていました。

二人の間で交わした手紙等、交流の証拠は息子エドワード7世によって女王の死後全て処分されてしまったはずでしたが、女王がインド語で残した日記とインド人従僕による日記が発見され、2010年にこの映画の原作が発刊されたそうです。

日本の天皇明仁の生前退位のごたごた報道をみるにつけ、皇族や王族はとかく不自由だということを彷彿させられた映画でした。

女王とインド人従僕に振り回される英国王室のドタバタ劇は痛快でしたが、裏を返せば女王の人の上に立つ者としての孤独と悲壮感もひしひしと伝わってきました。

余談ですが、映画を観るにあたっての背景知識として、ヴィクトリアがインド女帝の称号を取得したいきさつを追記しておきます。

ヴィクトリアがインド女帝になったのは1876年でした。1857年に起きたセポイの反乱鎮圧によって当時のムガール帝国が崩壊し、イギリス政府の直接統治に移行した結果でした。

セポイ(英語のローマ字読み)とはシバーヒー(ペルシア語)とも呼ばれますが、イギリス東インド会社で働くインド人傭兵のことです。多湿なインドで彼らの武器は長年火縄銃でしたが、新しくエンフィールド銃が正式採用されます。この銃はアメリカの南北戦争でも使われ、その改良型のスナイドル銃が日本の戊辰戦争でも使われました。

ただ、銃の薬包に防湿のためヒンドゥー教徒に神聖視されている牛の脂や、ムスリムに不浄視されている豚の脂が使われていたことから、セポイの間で忌避運動が広がり、そうした兵を罰したことから、深刻な宗教的問題となり、ムガール帝国の皇帝を最高指導者に巻き込む国家規模の大反乱にまで発展してしまいました。

この反乱を鎮圧した大きな要因が、不正確な命中精度で短い射程距離の旧式銃を使った反乱軍に対してその精度の高さと機能の高さを証明した鎮圧軍の新式銃だったというのは皮肉なことでした。

このセポイの反乱のエピソードも映画の中に出てきています。

# by zoompac | 2019-02-18 11:17 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

「ナチス 第三の男」_暗殺計画標的のハイドリヒとその怪物を作った妻の物語の側面が面白かった映画

f0090954_10395174.jpg150万人を超えるユダヤ人虐殺の首謀者として絶大な権力を手にしていったラインハルト・ハイドリヒは、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチス第三の男としてその非道さからヒトラーさえもが恐れ、”金髪の野獣”と渾名されました。

その暴走を止めるため、チェコ亡命政府は2人の若き兵士を暗殺チームとしてプラハへ潜入させ、ハイドリヒ暗殺を目指した類人猿計画(エンスラポイド作戦)を決行しようとします。

その暗殺計画実行の一部始終は2017年公開(日本では2018年公開)の映画「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」にも詳しく描かれました。

この「ナチス 第三の男」は、フランスで最も権威のある文学賞「ゴング―ル賞」の最優秀新人賞に輝いたローラン・ビネによる世界的ベストセラー小説「HHhH プラハ、1942年」を原作としており、暗殺計画に携わる2人の若き兵士の物語の他にラインハルト・ハイドリヒがいかにしてナチという組織の中で功成り名を遂げていくかの物語が前半に描かれていました。

その前半の物語の鍵を握るのがハイドリヒを冷徹非道な男に育て上げる妻・リナの存在です。やや落ちぶれた貴族の出身でかつ強烈なナチ信奉者の妻役を「ゴーンガール」のロザムンド・パイクが演じていました。ハイドリヒの影にまします不気味な存在感を上手く演じていたと思います。

映画の冒頭でプラハの市街でメルセデスに乗ったハイドリヒが襲撃される瞬間が描かれ、そこから時間が一気に巻き戻されます。

大雑把なこの映画の構成は三部に分かれます。前半は冒頭の場面で暗殺の標的となったハイドリヒがいかにしてナチス第三の男と呼ばれる権力の座を勝ち得たのかということが描かれます。

そこには、リナと知り合い婚約を決意したことによってある海軍高官に関係ある娘とのスキャンダルが起き、結果、軍法会議にかけられ不名誉除隊を余儀なくされたハイドリヒの姿がありました。

ナチ党の熱烈な支持者であった婚約者リナは、軍籍を失った失意のハイドリヒを励まし彼をナチの親衛隊指導者ハインリヒ・ヒムラーとの面接の機会を得られるよう仕向けます。

そこでヒムラーに認められたハイドリヒは情報部の立ち上げを任さられるのです。

盗聴器などを駆使して自分のナチ内部での政敵の弱みを掴む事等で台頭したハイドリヒは、ヒトラー政権成立後はゲシュタポをはじめとする警察機構と国家保安組織を統合し、対外的にもユダヤ人大量虐殺の首謀者に成りあがっていくのです。

ロザムンド・パイク演じるリナ・ハイドリヒはたとえていうなれば、シェイクスピアの「マクベス」の妻です。マクベスは野望のため殺しに手を染めることまでしたくありませんでしたが、夫人にそそのかされて犯行におよんでしまいます。

リナから尻をたたかれて、ナチの党員になり、適材適所の仕事を与えられ自分の職権を拡大していくハイドリヒは、ヒトラーが望むことを先回りし自分の手を血で汚して、もはやリナの野望でさえ遠く及ばない怪物のような存在になっていきます。

その様がこの映画では興味深く描かれていました。

その後、チェコスロバキア駐英亡命政府によって立案されたハイドリヒ暗殺計画・類人猿作戦を実行するためパラシュートでチェコ領内に送られてくる亡命チェコスロバキア軍人のヤン・クビシュ(チェコ人)とヨゼフ・ガプチーク(スロバキア人)の物語が始まります。

この暗殺の標的と暗殺者たちが交差する冒頭の場面が再び描かれた後、この事件の犯人探しにナチスは凄惨極まりない報復に出ます。1つの村を殲滅し全村民を虐殺する等の大暴虐シーンや教会に暗殺計画関連者を閉じ込めた後の銃撃シーン等が描かれ、最後に地下納骨堂での水攻めがありました。

その辺りの胸の悪くなる報復シーンは「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」を観て、ある程度は知っていたので、この映画で印象に残ったのはハイドリヒが野心家の妻の想像以上の野心家であったことと、彼が組織の中でいかにして権力を拡大していったかが描かれた前半のシーンでした。

# by zoompac | 2019-02-15 10:33 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「危機の宰相」沢木耕太郎 _池田勇人の「所得倍増計画」を陰で支えた下村治と田村敏雄の物語

f0090954_10400061.jpg沢木耕太郎氏の著作では珍しい、政治家の伝記であり経済読本の様相の濃い読み物になっていました。

池田勇人氏を中心に、彼が1960年に首相の座に就く前から、多用された「所得倍増計画」というキャッチフレーズをめぐる池田勇人と下村治と田村敏雄の三人の人生が描かれていました。

池田は、大蔵官僚から1949年に政治家に転身し、当選1年目の衆議院議員でありながら第三次吉田内閣の大蔵大臣に大抜擢されます。GHQ統治下で日本のインフレを抑えるためマッカーサーがデトロイト銀行頭取でドイツでも財政金融引き締め政策で辣腕を発揮したジョセフ・ドッジの窓口としての大蔵大臣にはどうしても官僚出身の専門家が求められたのです。

そのとき池田は、彼の秘書にやはり大蔵官僚である英語が堪能な宮澤喜一と同じく大蔵官僚であった大平正芳を起用しました。

宮澤喜一は、池田は常に人の話に耳を傾ける将の器があったと言っています。

「あの人は、どういうわけか、自分は秀才ではないと思い込んでしまった人なんですね。それが人の話をよく聞くという非常に優れた能力を作り出した。自分の話をよく聞いてくれるということが、また人のやる気を起こさせる。それがあの人の将たる器なのかもしれませんがね」

そのような将たる器を持った池田の周りに、才能豊かな人材が集まってきます。

ブレーンとして池田の周囲に群がった前尾茂三郎、大平正芳、宮沢喜一は、主として政治と外交問題において池田を助けました。

経済問題に限ればそのブレーンは下村治でした。

成長力論争に関して下村理論に対して常に批判的だったのが当時一橋大学教授だった都留重人でした。池田政権の高度経済成長政策を大いに批判しましたが、1960年に12兆9千億円だった実質国民総生産が64年には21兆7千億にまで増え、1人当たりの所得も1万4千円から2万4千円にまでなり、都留重人の予見はことごとく外れてしまいました。

1960年代の日本において「経済成長」はひとつの信仰となりました。そして、大多数の国民をして「経済成長」という国民的信仰へ導くことが可能だったのは、おそらくは「所得倍増」という卓抜なスローガンがあったからでしょう。(1950年代からの高度経済成長期に「神武景気」(1955~57)とか、「岩戸景気」(1958~61)という名が冠せられたのもその証かもしれません。その後、1962~64のオリンピック景気を経て、1966~70のいざなぎ景気へと繋がっていきます。」

「所得倍増」というわかりやすい言葉をキャッチフレーズとして採用した池田は政治的な嗅覚が鋭かったといえるでしょう。その池田の鋭い勘を理論づけたのが下村治でした。

ただ、下村治は理論づけしただけであり、政治経済の中枢に繋がっていたわけではないと著者・沢木耕太郎は下村治のインタビューや彼の書き残した資料の分析から看破していきます。

そして沢木耕太郎は第三の重要人物・田村敏雄に行きつくのです。

田村敏雄は、自由民主党の現存する最古参派閥である宏池会(こうちかい、現在は岸田派)の産みの親です。

元々は政策研究会であった木曜研究会から始まり、宏池政策研究会と名称変更していきました。

吉田茂の直系の弟子である池田勇人によって創立されて以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出し、自他共に名門派閥と見なされることになっていきます。

しかし、元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成された政策研究会であり、勉強会という趣が強かったようです。

この研究会に、やはり大蔵官僚出身の下村治・田村敏雄などが集まり、下村治が理論的肉付けをしながら田村敏雄が中心となって所得倍増計画に沿った政策を立案していったといういきさつが描かれていました。

若い時分に、落葉性天疱瘡という奇病にかかり、出世の遅れた池田勇人は、肋膜炎で出世の遅れた前尾茂三郎と意気投合し、下村治もやはり結核での苦しい闘病生活経験者でした。田村は池田と入省は同期ですが、夢を抱いて満州に渡りました。満州建国に優秀な官吏が不足していたためです。その結果、戦後にシベリア抑留を経験したのです。

追放解除となった田村は、周りからロシアで洗脳されたスパイではないかと疑われ、本人も社会の表舞台で働こうという意欲をすっかり失っていました。田村が若い頃マルキシズムの研究に深く没頭した経緯も彼にはマイナス材料でした。池田はそれを承知の上で田村を側に置きました。

田村は、池田を宰相の中の宰相に仕立て上げたいと望み、そうすることによって失業のない経済、不況のない経済社会への実現を夢見たようです。

やがて池田の取巻きは、大平正芳、宮澤喜一、黒金泰美ら官僚出身の議員を中心とした元秘書官グループと田村を中心とした宏池会の2つのブレーン集団が存在するようになります。

元秘書官グループが現実政治に関わり、宏池会はもう少し射程の長い「宰相学」といったもののために頭脳を提供しました。田村は各種研究会で出てきた池田に役立つ知識をレポートにまとめ必要に応じて彼のコメントも添え池田に手渡していたそうです。

ちなみに、「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高崗の榭(うてな)に臥し、以って宏池に臨む」という一文から、陽明学者安岡正篤が命名したものです。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれています。

「私はウソは申しません」という言葉でも有名な猪年生まれの池田勇人の強気の「所得倍増」政策を支えた下村治の経済成長理論でしたが、その裏で黒子となりながら宰相メーカーとして滅私奉公の働きをした田村敏雄の生き様が強く印象に残った作品でした。

# by zoompac | 2019-02-14 08:55 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「魔法のラーメン発明物語 私の履歴書」安藤百福_事実は小説より奇なり

f0090954_10422079.jpgこの「私の履歴書」には家族写真が掲載されていて、妻・仁子(まさこ、ドラマ「まんぷく」の立花福子のモデル)、妻の母須磨(松坂慶子演じる今井鈴のモデル)、長男宏基(こうき、立花源のモデル)、長女明美(立花幸のモデル)と著者の安藤百福(立花萬平のモデル)が映っています。

一方、「チキンラーメンの女房 実録安藤仁子(まさこ)」を読むと、まだ戦前でしたが1945年の3月に安藤百福(当時35歳、仁子は28歳)と結婚し、大阪吹田市の千里山に住んだようです。その折、仁子は母須磨を引取り、安藤百福は台湾にいた第一夫人との間にできた長男・宏寿(ひろとし、当時14歳)を引き取って4人で暮らしたことが書かれていました。

仁子と百福の間にできた長男は宏基なのですが、仁子はあくまでも安藤家の長男は宏寿、宏基は次男としていたようです。

当時の台湾は日本の統治下にありましたが、妾制度があり、安藤百福は、現地台湾では呉百福という名で、第一夫人の他第二夫人(妾)との間にも子供がいました。

仁子は宏寿のことを気遣って育てましたが、それでも宏寿には複雑な思いがあったのか、知人の家を転々としたり、成人後は中国大陸に渡ってしまうこともあって、落ち着かなかったようです。

安藤百福は、1958年の創業となった日清食品の社長の座を、1981年にいったん長男の安藤宏寿に譲り、自らは会長に退きましたが、その2年後の1983年、宏寿が経営方針の相違から社長を退任したため、百福が会長兼任で再び社長に復帰しました。

その後、1985年(昭和60年)6月に次男の宏基が37歳で社長に就任し、再び会長専任となりました。

父親の池田でのラーメン開発奮闘の背中を見て育った宏基は、焼きそば「UFO」やうどんの「どん兵衛」を開発しました。

「まんぷく」では源ちゃんのモデルとなっている宏基(まんぷく源ちゃんの成人役は、西村元貴(にしむら もとき)が演じるようです)は、大阪の池田市に住んでいた頃、近所のいしだあゆみと同じ小学校の同級生(大阪学区芸大付属小学校)だったそうです。彼は今、日清食品ホールディングスのCEOから今はSEOの座にあります。御年71歳です。ということは、同級生だったいしだあゆみも71歳辺りですね。

CEOからSEOに変わったタイミングは、安藤宏基氏の長男・安藤徳隆氏が37歳で日清食品の社長に就任した2016年だと推測されます。

プロテニスの錦織圭選手との所属契約や英プロサッカーチームのマンチェスター・ユナイテッドとのスポンサー契約を結ぶなど、スポーツマーケティングに手腕を発揮していたのは、この安藤百福の孫である安藤徳隆氏です。

いしだあゆみの実家は、池田商店街で喫茶店(フジヤ/FUJIYA)と洋装店を営んでいて、2003年のNHK朝ドラ「てるてる家族」で、その喫茶店が「パーラーシャトー」として登場していました。

今、朝ドラで牧瀬里穂と加藤雅也が夫婦役で営む喫茶店「パーラー白薔薇」はそのフジヤがモデルと言われています。いしだあゆみ等四姉妹が出てこないのが残念ですけど。

「てるてる家族」でいしだあゆみ役の上野樹里がラーメン作りを手伝っていたのもフィクションですし、安藤百福の奥さん・仁子さんが「パーラー」でアルバイトをしていたというドラマ「まんぷく」の設定も事実ではありません。

ただ安藤夫妻が散歩がてら「フジヤ」に寄って、クリームソーダを飲むことを楽しみにしていたエピソードは「チキンラーメンの女房 実録安藤仁子(まさこ)」に紹介されていました。

ドラマは佳境に入ってきましたが、安藤百福の家族関係の事情(台湾と日本に三人の妻がいた!)は、当時の複雑な社会事情もあって、ドラマではカットされています。

台湾に妻や妾がいたためか事情は定かではありませんが、彼が正式に日本国籍を取得したのは1966年になってからでした。事実は小説より奇なりとの感を強くしました。

# by zoompac | 2019-02-13 08:51 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「この日のために(下)」幸田真音

f0090954_09590060.jpgこの小説のW主人公だと思っていた1964年の東京五輪開催時の首相池田勇人と戦後間もない時期からそのオリンピック招致に向けて精力的に活動したJOCの元事務総長の田畑政治(まさじ)ですが、読み終わった発見は、この二人の直接の交友はなかったなということです。

ただ、池田勇人の次女の紀子と、田畑政治の娘がオリンピックのコンパニオンとして共に働いていた逸話は両者の接点が次世代にあったのだと気づかされて微笑ましく思いました。

1959年に1964年の東京開催が決定しました。

このとき田畑政治の悲願の東京オリンピック開催と、その東京五輪開催に向けて様々な思惑のベクトルが一致していきます。

その最たる例が、当時の国鉄総裁の十河信二の夢見た(昭和15年に着工しながら戦争で中断された)東海道新幹線の建設と池田の目指す「所得倍増計画」です。

さらに、この1959年に安保闘争で揺らいでいた当時の岸信介政権時の自民党幹事長で寝業師と呼ばれた川島正次郎の強い推薦で東龍太郎が東京都知事に選出されましたが、東都知事は鈴木俊一副都知事と共にオリンピック開催を契機に一気にその開催地・東京の大改造に着手します。

どぶのような隅田川を、上下水道の完備で、きれいな川に変え、首都圏整備法で高速道路も完備させました。

池田首相とケネディ大統領の協議の結果エドウィン・O・ライシャワー駐日米大使から現在の代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどがすっぽり収まる在日米軍施設のワシントンハイツが日本に返還され選手村の候補地問題が解決することになります(1961年に返還が決定し、1964年の五輪の年に返還が完了しました。ケネディ大統領は1963年に暗殺されました)だとが、それまではオリンピック開催中の選手村候補地が、現在朝霞市の陸上自衛隊駐屯地となっている当時同じく在日米軍施設の埼玉県のキャンプ・ドレイクだったため道路整備が急務の課題でした。

この東都知事の右腕となって東京大改造に辣腕を揮ったのが当時副知事の鈴木俊一氏でした。

NHK大河「いだてん」では東龍太郎都知事役を「孤独のグルメ」でお馴染みの松重豊が演じる予定です。鈴木俊一氏は登場するのか否か定かではありません。

東京へのオリンピック誘致が決まった後の組織委員会は、多少ワンマンなところもあった田畑が目指す実務畑中心の少数精鋭とはなりませんでした。

政府から文相、総理府総務長官、国会議員から5名、東京都か都知事と副都知事、学識経験者3名、財界人2名、報道関係者2名、体協から5名、その他1名の22名の総花的に膨張した組織となりました。

それどころか、1962年の第4回アジア競技大会でホスト国のインドネシアが台湾とイスラエルの参加を拒否し、それに対して国際オリンピック委員会(IOC)がこの大会を正規な競技大会と認めないという姿勢を打ち出したことで、日本選手を出場させるべきかという問題に巻き込まれることになってしまいます。岸政権の下でインドネシアの戦後賠償の窓口として当時のスカルノ大統領と懇意であった川島正次郎は、田畑をたきつけて、スカルノ大統領に恥をかかせるなと日本選手の参加を促しました。

大会に参加するかしないかについては、委員会の間で意見が分かれました(津島寿一委員長が参加反対派の筆頭)が、結局時間切れ感の漂う中田畑の強い押しもあって参加してしまいました。

帰国後、委員会内のパワーゲームによる混乱が問題となり、結局、オリンピック担当大臣川島正次郎が仲立ちし、喧嘩両成敗という形で、オリンピック組織委員会会長の津島寿一、副会長の竹田恒徳氏、そして事務総長の田畑政治氏の3人が辞意を表明することになります。

この事件をきっかけに東京オリンピック開催は民間人の手を離れて官主導のオリンピックへと変貌を遂げることになったのです。

田畑政治は鳶に油揚げを攫われることになってしまいました。このあたりのいきさつが「いだてん」でどのように描かれるのか興味津々です。阿部サダヲが田畑政治を演じます。

なお、このとき共に辞めた竹田恒徳氏は、陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王です。昭和天皇の従弟にあたります。

1947年に皇籍離脱を行い、その直後公職追放となりました。戦前まで暮らした竹田宮邸は、西武グループに売却されて高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル高輪)となり、邸宅本体は同ホテル貴賓館として活用されています。

戦後は繊維会社の経営に携わる傍ら、日本体育協会専務理事、日本オリンピック委員会委員長、国際オリンピック委員会理事、同名誉委員、日本馬術連盟会長、日本スケート連盟会長、全国ラジオ体操協会会長など、複数のスポーツ関連団体の役職を歴任しました。また、1964年東京・1972年札幌両オリンピックの招致に尽力し、体育の日制定にも携わっています。

なお、2018年暮れからフランス捜査当局によって東京五輪招致をめぐる贈収賄容疑で捜査をされている日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田 恆和氏(たけだ つねかず、1947年(昭和22年)11月1日 - )は、竹田宮恒氏の三男で、今上天皇のはとこにあたります。

自ら馬術競技の選手として、1972年のミュンヘン、1976年のモントリオール五輪に日本代表で参加した経験を持っています。

一般に、大蔵省出身の池田勇人首相は「所得倍増計画」のキャッチフレーズで財務に強いイメージですが、外交にも卓越した手腕を持っていました。吉田茂氏には白洲次郎という名通訳者がいましたが、池田勇人氏は宮澤喜一という英語の使い手を秘書にしていました。

彼は大蔵大臣就任当初ドッジという強面のGHQの日本における財務関連のインフレファイターの責任者と一緒に仕事をしました。

また、朝鮮戦争勃発(1950年)を平和条約締結の好機とみた当時の吉田茂は日本のGHQを刺激しないよう、秘密裏に外務省の一部に講和条約のたたき台を作らせて、更に表向きは経済交渉という触れ込みで池田勇人(同行は白洲次郎と宮澤喜一)を訪米させ、この講和条約案を直接アメリカ国務省と国防省の高官に内示することにより、講和促進を図り、1951年1月29日には吉田・ダレス会談実施に向けてのお膳立てをしています。

サンフランシスコ講和条約は1951年9月に署名されました。

ジョン・フォスター・ダレス氏は、1953年から1959年までドワイト・D・アイゼンハワー大統領の下で第52代国務長官を務めた人で、吉田茂氏とサンフランシスコ講和条約に向けて協議をしていた当初は国務長官顧問という肩書でした。

池田勇人首相は、その一流の外交手腕で、はじめて日本で開催されるオリンピックをきっかけとして、沖縄での日の丸掲揚の自由と聖火リレーを沖縄から出発させる許可を、ケネディ大統領からとったのです。

それまでの沖縄は、完全に米国統治下にあり、自動車は米国同様右側通行、使用通貨は米ドルで本国との往来も琉球の米国民政府の許可が必要で、日の丸掲揚の自由も許されていませんでした。

タカ派で有名な陸軍中将で高等弁務官として沖縄統治に関わっていたキャラウエィ(真藤順丈の直木賞受賞作「宝島」にも彼は実名で登場していました)は更迭され、池田-ケネディで同意された事項が下敷きになって後の佐藤栄作首相による沖縄返還に繋がっていきます。

ポトマック川で家族同士の交流をしたケネディはオリンピックの前年暗殺され、池田勇人氏は東京オリンピック開催後病気に斃れてしまいましたが、東京五輪開催をきっかけとして、東京も、日本列島も、日米関係も大きく変貌を遂げました。

その1964年の東京オリンピックから56年を経た2020年の東京オリンピックですが、日本はどのような変貌過程にあるのでしょうか?

アベノミクスも池田勇人氏の「所得倍増計画」に比べたら見劣りがします。団塊の世代誕生などで人口が増大していた1964年当時に比べると少子高齢化時代に入っています。当時は集団就職等で金の卵と呼ばれた中卒や高卒の人材が東京、その他大都市に集中してきていました。

2020年の五輪開催をきっかけに北方領土返還に向けて礎作りをしたい安倍首相ですが、困難な交渉が予想されています。

技術的には、AI、 自動運転、キャッシュレス、顔認証等、大きく変化していきそうですが・・・・・。

# by zoompac | 2019-02-12 10:05 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」_映画「裏窓」、「The Girl On the Train」から宮本輝氏の「流転の海」シリーズのことまで

f0090954_08450061.jpg私が、この小説に興味を持った理由の一つは、この小説の主人公アナ・フォックスが精神分析医であること、10か月前から広場恐怖症に悩まされ、いまは夫と娘とは離れてひとりニューヨークの高級住宅で引きこもって暮らしているということです。

精神分析医が広場恐怖症というだけでスリリングな設定です。

彼女の慰めとなるのは、フィルムノワール系のクラシック映画のDVDとアルコール、そして近隣の家々をそっとカメラで覗き見することです。

そんなある日、隣家を覗き見していたところ、驚愕の(殺人?)事件を目撃してしまいます。だがアナの通報を受けてかけつけた警察は事件の痕跡を見つけられず、あげくの果てにアナの言葉を誰も信じてくれなくなるのです。

有名なヒッチコックの映画「裏窓(Rear Window)」を彷彿させる展開ではないですか。

「裏窓」でジェイムズ・スチュワートが演じた主人公は、事故で車椅子生活になって退屈し、窓から隣接するアパートの住民たちを観察しているうちに事件を目撃するというものでした。

ぞくぞくするこの心理スリラーの下巻の展開が楽しみです。

この小説には、主人公の趣味である暗いモノクロの犯罪映画(フィルムノアール)の題名もしきりに文中から飛び出してきますが、私の知らない作品が多いことが少々残念です。

この小説のタイトルから、エミリー・ブラント主演の「The Girl On the Train」も連想できます。日本での公開は2017年だったと思います。

毎朝通勤電車の窓から見える、ある家の見ず知らずの「理想の夫婦」の姿に、別れた夫との幸せだった日々を重ねていた女性が、ある朝、「理想の夫婦」のはずの妻の不倫現場を目撃します。そして、その女性は間もなく死体となって発見され、唯一の目撃者として、主人公レイチェルに周囲から疑惑の目が向けられてしまう展開の物語でした。

このレイチェルもアナ同様アルコール依存症の気があり、自分の目撃したことに確信が持てなくなる状況に追い詰められる心理スリラーの点で類似しています。

この「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」も映画化が決定しています。監督はシアーシャ・ローナンとキーラ・ナイトレイが共演した「つぐない」のジョー・ライト氏です。

広場恐怖症が原因で引き籠りになっている主人公アンの物語ですが、広場恐怖症ということで日本の小説家の宮本輝さんのことを思い出しました。

以前、小説家の宮本輝さん(私が読んだ作品は青春テニス小説「青が散る」くらいです)が、雑誌か何かに自分が20歳台に電車の中でパニック障害を起こしてそれがきっかけで会社を退職し、家に引き籠り、小説家となったということを書かれていました。

最近、「流転の海」シリーズ9巻が完結したことで話題になっていました。

1982年から2018年まで36年かけて、宮本自身の父をモデルとした松坂熊吾の半生が描かれた小説です。

1巻「流転の海」、2巻 「地の星」、3巻「血脈の火」、4巻「天の夜曲」、5巻「花の回廊」、6巻 「慈雨の音」、7巻 「満月の道 」、8巻「長流の畔」、9巻「野の春」となります。

最近、サントリーの創業者・鳥井信治郎を描いた「琥珀の夢」や日清食品の創業者・安藤百福関連の本を読んだ影響からか、昭和の初期から、戦前、戦中、戦後を生きた男の物語としてこの流転の海シリーズ9巻も大いに興味があります。

昨日のブログで紹介した「今後読みたい本」のリストに追加しておきたいです。

# by zoompac | 2019-02-08 08:45 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)
RELEASE INFORMATION NEW ALBUM

[通常盤]「Now On Sale!!」
TOCP-66380/¥2,548(税込)

[DVD付 初回生産限定盤]
「Now On Sale!!」
TOCP-66381/¥3,500(税込)

NEW SINGLE
WMP HIGH LOW
REAL HIGH LOW
OFFICIAL SITE
海外オフィシャルサイト
http://www.gorillaz.com/
日本オフィシャルサイト
(PC&携帯共通)
http://toemi.jp/gorillaz/
excite MUSIC