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読書「忍びの国」和田竜_脚本先にありきの天正伊賀の乱小説!

f0090954_05513532.jpg著者の和田竜は元々TV番組制作会社のシナリオライターとして働いていました。 そうした経歴からか、彼は小説を書き下ろす前にシナリオを書くそうです。

すなわち、小説を原作にして映画脚本を作成する手間が要らないということです。

それは、この「忍びの国」だけでなく、すでに映画化された「のぼうの城」、水面下での映画化の権利獲得競争激化の「村上海賊の娘」(主演は杏とか綾瀬はるかとかいろいろ噂はありますが)にもあてはまります。 脚本、先にありきですね。

そして和田竜の作品の素晴らしいところは、融通無碍、荒唐無稽、奇想天外の物語にしっかりとした歴史的根拠を絶妙に挟み込んでくれているところです。 このリアリティとフィクションの調合具合がまことに読者の側にとっては嬉しいのです。

適度に自分の歴史知識が刺激され、かつ面白い物語に仕上がっているのです。

物語は、天正4年(1576年)11月25日の織田信長と当時北畠家の養子となっていた信長の次男の信雄の命を受けた北畠家の旧臣(長野左京亮、日置(へき)大膳、柘植三郎左衛門)等が、南北朝時代から足利尊氏、足利義満等、足利幕府に敵対してきた伊勢(現在の三重県)を本拠とする名門北畠家の八代目の国司北畠具教(とものり)を討つ、三瀬の変から始まります。

そして、天正6年(1578年)の第一次天正伊賀の乱が物語の目玉です。 そうした歴史事件を軸に、桁外れに強いものの怠け者で剽軽な「無門(映画では大野智)」と呼ばれる伊賀百地家の下人や彼が唯一頭の上がらない簒奪嫁?武家出身の「お国(石原さとみ)」や後の石川五右衛門「文吾」、百地家頭領の百地三太夫(國村準)、裏切り者となって北畠信雄陣営に加わる下山平兵衛(鈴木亮平)等のキャラクターが丁寧に描かれていきます。ちなみに伊勢谷友介は日置大膳役です。

少数の伊賀勢が8000人の北畠信雄軍を壊走させた第一次伊賀の乱の後、「村上海賊の娘」が活躍する石山本願寺との抗争が激しくなり、信雄もそちらに駆り出されます。

伊賀の国が、再び織田信雄を総大将に5万の兵の侵攻を受け、壊滅状態になったのは天正9年(1581年)の第二次天正伊賀の乱のことです。

忍びとして、お金に汚く、人殺しをなんとも思わなかった「無門」の成長物語という側面が好印象の物語でした。

さて、原作は読んだ。 その原作の前に作成されたシナリオ(脚本)を下敷きにした映画を観に行きますかね?

そろそろ夏休みですね。 小5の「歴坊」の孫君からは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「関ケ原」とこの「忍びの国」のリクエストがありましたが、小1の孫嬢はどうでしょう? 興味を持ってくれるかな?

by zoompac | 2017-07-19 05:59 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「あとは野となれ大和撫子」 宮内悠介

f0090954_05554832.jpg今年、「彼女がエスパーだったころ」で吉川英志文学新人賞、「カブールの園」で三島由紀夫賞を受賞され、勢いのある作家さんです。

過去にも直木賞だけでなく芥川賞候補にもなっています。

2012年に「盤上の夜」で147回の直木賞候補、2013年に「ヨハネスブルグの天使たち」で149回の直木賞候補、2016年に「カブールの園」で芥川賞候補になりました。

それで彼の3度目の直木賞候補となった「あとは野となれ大和撫子」を読んでみたのですが、私にとっては大外れ。 この本を読む時間をもっと有意義に他にたくさんある読みたい本に向けるべきだったと思わず「機会損失」の臍を噛んでしまいました。

あくまでも私との相性とか感性の問題であると思います。作品に対する誹謗中傷の意図は全くありません。

途中で挫けそうになりましたが、それでも何かあるのではないかと最後まで読み続けたのですがまったく面白さを感じることができなかったことに虚しさが残りました。

私が芥川賞受賞作品の多くに面白さを感じられないこととある意味同じことかもしれません。 小説世界に入り込めないまま読了してしまいました。

直木賞発表の19日まで後わずか。木下昌輝の「敵の名は、宮本武蔵」を読むか、それとも佐藤巖太郎の「会津執権の栄誉」を読むか迷っています。

by zoompac | 2017-07-13 05:56 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「蛇の王(下)」 東郷隆_一時インドで暗躍していた殺人カルト集団と東インド会社の物語

f0090954_05572966.jpg19世紀のインドに実在した殺人宗教団(タグ)を題材として描いた歴史・時代小説です。

このタグの実態を小説化しようと試みたアイルランド人作家が、インドの北部に幽閉されているタグの最後の首領・蛇の王(ナーガ・ラージ)ラージ・シンに面会し、彼の数奇としかいいようのない生涯を聴き取り取材をするという形式がとられています。

その殺人宗教団タグの起源は紀元前にまで遡ります。カーリー神を崇拝し、業に苦しむ人々を現世から抹消し、次の世に転生させることを教義としているのが殺人集団タグです。 黄色い布で相手の首を絞めて殺害するタグはその点単なる殺人強盗集団ではありません。死こそが平等であり救いであるとして、私利私欲を捨て、カーリー神の御心で殺人を儀式として行うのです。

ちょうど英国がインドの民から土地を奪い、飢饉を起こし、多くの命を奪っている状況との比較が興味深く描かれています。インドの各地で対英国独立運動の兆しが現れ、本来英国人を守るはずのインド人傭兵は英国から渡された武器を使って蜂起する動きも観て取れます。

英国が、東インド会社と名乗る商館をインドに設置したのは1613年でした。虎視眈々とインドの植民地化を狙い、18世紀初頭にムガル帝国が崩壊してからは、本格的にインドを侵略していきました。 その後、1857年のインドの大乱を経て、インドの統治権をイギリス王室に譲渡し、1858年に解散しましたが、この「蛇の王」で、アイルランド人作家が聴き取りをしている時代背景は、東インド会社は撤退して、インドが英女王の直接統治を受けているときです。

殺人集団タグでラージ・シンが首領として台頭していく過去の話とその話を聴き取り取材しているときの不穏なインド情勢がシャッフルしながら緊張の物語が展開していきます。

少年時代のラージ・シンが、武具選びで宿命のように黄色い布を手にし、タグになったこと。 タグが集まった渓谷で、ナーガ・ラージと呼ばれる伝説の大蛇を倒し、「蛇の王(ナーガ・ラージ」の尊称を奉ら、クマールという美しい恋人を得たこと。父親が殺されたことを知り、復讐を果たしたものの、その過程でイギリス人に手をかけたことから、タグ狩りに執心するウィリアム・ヘンリー・スリーマン(実在の人物)に追われるようになったこと。 そして、激しい戦闘を経て、故郷の村に帰ったものの、ついに捕らえられてしまうこと。そして彼の幽閉が30年近く続いたこと等が語られていました。

軍人だったヘンリー・スリーマンは1835年から2年間タグ掃討作戦の指揮を執っていましたので、ナーガ・ラージもその頃捕らえられたと思われます。

インドの大地で繰り広げられた波乱万丈の「蛇の王(ナーガ・ラージ)」の人生が綴られていたのですが、当時のインドに関する克明な描写に加えて、英国の植民地政策のエピソード等も興味をそそられる内容でした。

by zoompac | 2017-07-11 05:57 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「城をひとつ」伊東潤_入れ込みの術を駆使したスパイ一族と北条五代の物語

f0090954_05425651.jpg「城をひとつ」では、「孟徳新書」というかの曹操が「孫氏」に対抗して自ら軍略をしたためた「極意書」のようなものが出てきます。

「孫氏」に注解を加えた物まねと揶揄されたため、曹操が怒って写しを含めたすべてを焼き尽くしたと言い伝えられているものですが、大陸帰りの僧が「孟徳新書」全巻を持ち帰り、失火などから灰燼に帰すことを恐れたその僧が大藤信基(だいとうのぶもと)に暗記するまで読み込むことを命じたということでした。

僧の不安通り、人の心を操ることのできる魔性の書である「孟徳新書」は灰になりますが、その中身は大藤家に口伝継承されることになったのです。

余談ながら、WOWOWで放映中の「三国志 趙雲伝」は、まさにその曹操が活躍した時代ですが、今は趙雲の持っている「楽毅百戦術」という戦略の虎の巻を夏候傑や高則が結託して手に入れようとしています。

その「孟徳新書」の秘伝のひとつ「子曰く、捕らわれると思えば捕らわれ、捕らわれざると思えば捕らわれることなし」の一節から、信基は入れ込み術の名人となります。間者として敵の懐深く入り込み、信用を勝ち得て、いわば獅子身中の虫となるのです。いわゆる諜報活動というかスパイですね。

伊勢新九郎こと北条早雲からその才を見出された大藤信基は、早雲に請われ早雲の子北条氏綱に仕えることになりますが、北条早雲自身こそそうした諜報・調略才に恵まれた人物でした。

身一つで、駿河に下向した伊勢新九郎盛時は、駿河今川家の跡取りである外甥(龍王丸=今川氏親、今川義元のお父さんです)を助け、今川家の宿老筆頭の座に就きます。そのとき今川氏親から贈られた駿河国興国寺城を足場に、1493年の幕府の管領・細川政元による政変(足利義澄の将軍擁立)に呼応し、伊豆の堀越公方を落し、伊豆一国を手中に収めます。そこから、1495年に相模に進出し大森氏と三浦氏を退け、相模一国も奪って、本拠地を大森氏の居城だった小田原城に移したのです。

このあたりの物語は、司馬遼太郎氏の「箱根の坂」全3巻に詳しく書かれています。私の好きな司馬氏の作品のひとつです。

早雲以降北条氏は、北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直と小田原城を本拠に五代続きます。

その氏綱以降、4代の北条家に仕えた大藤家(だいとうけ)の信基、景長、秀信、政信、直信の五代の活躍を描いた歴史小説がこの「城をひとつ」です。

「城をひとつ」「当代無双」「落葉一掃」「一期の名折れ」「幻の軍師」「黄金の城」の6つの連作短編で構成されています。

「城をひとつ」では、当時江戸城の城主だった扇谷上杉朝興の馬数寄に乗じて馬商人となった大藤信基が、北条氏綱のためにその江戸城をまんまと奪取する話でした。 それが1524年のことです。 そこから秀吉の小田原城攻めが1590年ですから、約65年の間北条家の影の軍師として暗躍した大藤氏5代の話でした。

大藤氏もれっきとした史実に残る家柄で、信基の出自は根来衆だとされています。

背景には下剋上の世相がありました。元々鎌倉公方の執事(家来)の立場だった関東管領の上杉家が公方以上の力を持ち、扇谷と山内上杉家の内紛に乗じて、新興勢力として堀越公方を落とした今川家というか北条家が台頭する背景もしっかり描かれ興味深い物語になっていました。 その意味では、関東管領の一族に繋がる上杉謙信も結局は幕府の秩序の枠から出られない旧勢力の擁護者にすぎなかったということがよくわかります。

私が住んでいる江戸川区にある「葛西城」も登場し、なんやら親しみのある小説に感じられました。 何故、直木賞のノミネート作品に漏れたのか不思議に思いました。直木賞に値すると思えるいい作品です。


by zoompac | 2017-06-30 06:00 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「海の都の物語 ヴェネツイア共和国の一千年」塩野七生_ナポレオンによる共和国の滅亡

f0090954_06540714.jpg著者塩野七生が言います。

「イエス・キリストは、その短い生涯の中で、いくつかの洞察に富んだ言葉を残したが、その中で、最も洞察に富みながら、もっとも守られることの少なかった一句がある」と。

それは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉です。

他者の存在を認めない非寛容の精神は、異端撲滅の公会議や十字軍運動に、また法王派と皇帝派の争いに結集し多くの血を流しました。

こうした宗教のお仕着せの窒息状況から人間を解き放ったのがルネサンス運動でした。

ヴェネツィア共和国は、元々から個人の自由を尊重し、信教の自由、表現の自由、政教分離が行き届いていました。 政治でも専制的な寡頭制を受け入れませんでした。

ヴェネツィアはレオナルド・ダ・ヴィンチもマキャベリも生みませんでした。個人の自由を尊重する一貫した姿勢があったからです。

盛者必衰は平家に限らず、歴史の理のようですね。

1645年~1669年の対トルコとの25年に渡るクレタ島の攻防戦を戦い抜いたヴェネツイアの総司令官フランチェスコ・モロシーニは後に海軍総司令官と元首を兼任することになります。

ヴェネツィアのような抑制力や牽制の効いた共和政体ではかつてない異例なことでした。しかも半身像までつくって功を讃えたのです。

英雄待望論は、報われること等期待もしない犠牲を払うこれまでのヴェネツィアを支えてきた精神とは相いれないものです。

しかし時代の流れや環境の大きな変化がそうした自力本願のヴェネツィア精神を他力本願の英雄待望に変えてしまったのかもしれません。

クレタ島という地中海最後の砦を失い、アフリカ大陸を南下する新航路開拓から地中海交易の重要性が下がり、中西欧経済の主導権を失ったヴェネツィアは、これまでのアンチ・ヒーローの気概まで失ったようです。

最期は、ナポレオンによって息の根を止められ、その後オーストリアとフランスに分割されてしまいましたが、海の都ヴェネツィアの壮絶で知恵に溢れた都市国家運営を6巻に渡って楽しませてもらいました。

分割前のヴェネツィア共和国は、今のクロアチアのほぼ全域と北イタリアはヴェネト州からさらに西のロンバルディア地方までの広大な領地を所有していたことも知ることができました。

by zoompac | 2017-06-29 06:54 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

「小説フランス革命18 革命の終焉」佐藤賢一_あっけなく淋しい幕切れ!

f0090954_05595059.jpgロベスピエールもサン・ジェストも断頭台の露となってこの「小説フランス革命18巻」が終わってしまいました。

まさに「仁義なき戦い」でしたね。主役を張れる魅力あふれる登場人物たちが次々死んで、そして誰もいなくなってしまいました。

革命とか戦争という大義の下では、人間の命がなんて軽く扱われてしまうのかということに改めて驚かされました。

ロベスピエールが、理想を高く掲げそれにしがみついているだけで権力の使い方もよく知らない不器用な男だったってことがショックだったですね。 本人の自覚とは裏腹に「独裁者」という恐怖感を漂わせる虚像だけが大きくなって独り歩きしていたようです。

昔、ツヴァイクの「ジョセフ・フーシェ」を読んだとき、フランス革命という背景知識の欠如から読み進めるのに苦労しました。 この「小説フランス革命」18巻を読み終わった今、まだ読後の余韻温度の高いうちに「ジョセフ・フーシェ」をもう一度読み返してみたいです。

佐藤賢一氏の「ナポレオン」はいつ頃発刊予定なのかなと思っていたら、今読んでいる塩野七生の「海の都の物語 ヴェネツイア共和国の一千年 第6巻」の最後の章「ベネツィアの死」で、ナポレオンが登場していました。 ベネツィア共和国の幕を閉じさせフランス軍の統治下にしたのはナポレオンだったのですね。 塩野七生と佐藤賢一の著書の不思議な結びつきを感じた読書でした。

by zoompac | 2017-06-26 06:00 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「月の満ち欠け」佐藤正午_直木賞ノミネートされてもいい作品だと思うのだけど・・・

f0090954_05553211.jpg佐藤正午といえば、宝くじにあたってしまったことから運命が大きく狂いだす女の物語を書いた「身の上話」が面白かったです。2009年9月12日に感想分をブログにアップしています。http://zoompac.exblog.jp/11917149/
後の2013年に戸田恵梨香主演の「書店員ミチルの身の上話」ってタイトルのNHKドラマになりました。

その著者が5年ぶりに出した「鳩の撃退法」って作品で選考委員の筒井康隆等に激賞され山田風太郎賞を受賞していました。

読もう読もうと思いながら、上下二巻というプレッシャーから積読の月日が経ち、2017年4月に本屋でこの手頃な厚さの一冊本を見つけて喜び勇んで読み始めました。

やはり面白い、引き込まれていきました。

この小説の目次をみると、13章の物語が、5編に分類されていて、その5編は、午前11時から午後1時までの2時間の間に組み込まれています。

この小説の大きな時間軸は、小山内堅(つよし)という初老の男が東京駅のホテルの2階にあるカフェで一組の母娘と対面している午前11時から午後1時過ぎまでの2時間余りなのです。

小山内は八戸から上京してきたのですが、有名な女優の母親ではなく彼女の7歳の娘「るり」に会うためでした。

小山内の娘「瑠璃」は15年前、18歳のとき交通事故で亡くなっており、この7歳の「るり」はその「瑠璃」の生まれ変わりだと言うのです。

何かの書評でこの小説は人形の中から人形が出てくるマトリョーシカのようだって表現が使われていたと記憶しているのですが、東京駅のカフェにいる女優緑坂ゆいの7歳の娘の「るり」、そして15年前18歳で亡くなった小山内の娘の「瑠璃」、さらに小山内瑠璃の前世の正木瑠璃の人生にも触れていくのです。

三角(みすみ)という当時学生の恋人だった20歳台後半(29歳?)の人妻正木瑠璃が死んだ年に小山内瑠璃が生まれ、小山内瑠璃が死んだ年に希美という名の娘が産まれています。希美は本来「瑠璃」という名を持つはずでした。そして正木瑠璃の夫はその希美の両親の経営する会社というか店で働いていたのです。おそらく、「るり」は希美の生まれ変わりでしょうね。

事の始まりはこの三角と人妻正木瑠璃の恋物語からです。この恋の記憶が生まれ変わった瑠璃に引き継がれていくのです。

三角の恋人の瑠璃は、三角にかつてこう語っています。「神は、最初の男女に、種子を残して樹木のように死んでいく道と月の満ち欠けのように死んでも何回も生まれ変わる道を与えた」と。 そして彼女は「月のように死ぬ」という言葉を残して電車に撥ねられて亡くなるのです。

これ以上話すと完全にネタバレになってしまうし記憶もやや曖昧なので、ここらで止めておきますが、希美を含めて4人の瑠璃に纏わる不思議な物語に二組の恋物語が仕組まれています。(ここまででもずいぶんなネタバレになっています。平にご容赦!)

次から次へ瑠璃が出てきますが、「瑠璃も玻璃も照らせば光る」という言葉に導かれた瑠璃の恋物語だけに気を取られていると主人公小山内同様足を掬われてしまいますよ。小山内は気づきましたけどね。

希代の大嘘つき作者の詐術にまんまと騙されて楽しい読書タイムをお過ごしください。いくつもの人生を俯瞰(ふかん)して、語る時間と視点を変えてモザイク状に物語が巧緻に綴(つづ)られています。

伏線が多くてフラッシュバックの時間も人間関係も複雑ですが、大雑把に読んでも、素敵な二つ恋物語が浮き出てきます。楽しめます。一粒で二度おいしいってやつですね。

それにしても、小学校に今年入学した孫娘が、突然、前世の記憶を蘇らせ、黛ジュンの「夕月」とかはもったらどうしましょう。

まだ直木賞にノミネートもされていないうちから予想するのも変ですが、この作品はノミネートされると思いますし、ノミネートされたら受賞の可能性も高いと思います。完成度の高い小説です。

と思って、「直木賞のすべて」って非公式直木賞応援HPを開けてみましたが、一般読者が直木賞を予想する作家・作品リストの中に佐藤正午の「月の満ち欠け」は無かったですね。何かの間違いであればいいのですが。

一両日中に直木賞ノミネート作品が発表されると思います。 今、伊東潤の「城をひとつ」を読んでいますが、伊東潤氏にもそろそろ「直木賞をひとつ」となって欲しいです。

追伸

今朝、「直木賞のすべて」に直木賞候補が発表されていました。 伊藤潤氏の作品はノミネートされていませんでしたが、佐藤正午氏の「月の満ち欠け」はノミネート作品の中に入っていましたね。本命だと思いますよ。



by zoompac | 2017-06-20 05:56 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

「オランダ紀行 街道をゆく35」司馬遼太郎_日本の近代化に大きな影響を与えた小さな国オランダ!

f0090954_05592463.jpg日本に大きな影響を与えた国といえば、中国と米国です。その次に大きな影響を与えた国が実はオランダなのだということがこの司馬遼太郎の「オランダ紀行」によって納得させられます。

明治維新の後の文明開化で、あれほどの短期間に西洋の技術や文化を取り入れることができたのも「蘭学」によって、日本人が医学、天文学、植物学、兵学、化学、さらには絵画まで書物で基礎知識をすでに吸収していたからに他なりません。

ドイツ人ですがオランダ商館の医員としてやってきたシーボルトや日本で初めての洋式病院を長崎に建てたポンぺ等の「生きた実学」の功績もありましたが、オランダからの書物を通じて学ぶという「蘭学」の貢献が大きかったということです。

戦国期にポルトガル人(イエズス会)やスペイン人(フランシスコ会)が日本にやってきて、きりしたん(カトリック)をひろめたことはよく知られています。
やがて布教の裏に両国の領土的野心が見え隠れしていることがわかって、禁教になり、それが昂じて江戸日本は鎖国をしたことも周知のとおりです。

ところが遅れてやってきたオランダ人(1600年にリーフデ号でウィリアム・アダムス=三浦按針が今の大分県臼杵市に漂着、ちなみにウィリアム・アダムスは英国人)は、きりしたん(旧教)に抵抗した新教のひとびとであり、きりしたんと違って仏僧を悪魔と呼ぶこともなく寺社を焼いたりする物騒な意欲もなく、ときに国土をかすめとろうとする気配もありませんでした。

宗教を前面に出さず商売にしか興味をしめさなかったため、幕府は制限下での交易をゆるしました。1600年の漂着の9年後に、オランダ国王の親書をたずさえた特使が駿府で徳川家康に謁見して国交が開かれたのです。 ちなみに当時はポルトガル人・スペイン人を南蛮人、オランダ人を紅毛人と区別していました。

ただし、幕府は紅毛人を長崎の出島に閉じ込め、彼らの日本での自由行動を抑制しました。 漂着した三浦按針や八重洲に住んだヤン=ヨーステンは別格でしたが。

その外国の窓口を出島に押し込めた流れを変えたのが、荻生徂徠の思想の影響を受けた開明的な8代将軍吉宗です。サツマイモの普及に努めた儒者青木昆陽は、吉宗の命で初歩オランダ語を学びました。さらに吉宗は1720年にそれまで禁止されていた洋書を読むことを解禁したのです。

そのことでオランダの外科技術等を通詞を通じて学ぼうとする輩が増えてきます。閉ざされた鎖国日本にあって、当時の文化人の知識吸収力には驚くべきものがありました。

その知識吸収力は1771年の杉田玄白や前野良沢等による「解体新書(ターヘル・アナトミア)」の翻訳、さらには「蘭学事始」に繋がり、緒方洪庵の「適塾」の発展に繋がっていくのです。

大阪の適塾は西洋医学を看板にしていましたが、その実体は医学校というより語学校だったと司馬遼太郎氏は言っています。

その適塾の初期の生徒に長州藩の村医者の息子の村田蔵六(後の大村益次郎)がいました。火吹きだるまとあだ名されるほどの顔立ちでしたがシーボルトの娘のイネとはねんごろになったりします。蘭語の実力を買われ伊予宇和島藩に招かれ士分に取り立てられます。やがて幕府からも正式に兵学に関する書物の翻訳の仕事を依頼され働いていた時、桂小五郎(木戸孝允)からスカウトされ、長州藩の軍の洋式化プロジェクト長に抜擢されます。戊辰戦争にあっては、新政府軍の総司令官になりました。

軍人としての訓練を一度も受けていないこの人物が、明治維新における唯一の軍略家でありえたのは、オランダの兵学書からさまざまに想像したおかげだったと思われます。

蘭学と旺盛な想像力で異文化を摂取することが行われたのは、この時代の日本だけだったのではないかと司馬氏は語っていました。

村田蔵六が、ひたすらその蘭学を駆使して、軍制、戦略、兵器について書かれた洋書を翻訳することで西洋の当時の最新技術を学び、やがてその知識を活かしを討幕の実質的な最高司令官として江戸を荒らすことなく上野戦争に勝利したことは司馬遼太郎氏の「花神」に詳しく書かれています。

村田蔵六の後輩として適塾で学んだ福沢諭吉は、咸臨丸で太平洋を横断しました。

ちなみに世に埋もれていた杉田玄白の「蘭学事始」の内容に感動し、自費で刊行し世に広めたのが福沢諭吉でした。

「蘭学事始」は、玄白が「解体新書」翻訳当時のことを回想した読物です。 諭吉は玄白の次の言葉に滂沱の涙を流したそうです。

「誠に濾舵(ろかじ)なき大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれていたるまでなり」

たとえば、オランダ語の辞書から目の上にはえた毛=眉というオランダ語(ウエインブラーウ。英語のeyebrow)一語を知るのに一日以上かかった苦労話等のエピソードも「蘭学事始め」に紹介されているようです。

福沢諭吉や勝海舟をアメリカに運んだ咸臨丸はオランダ製で、ゼーラント州にあるライン川のほとりのキンデルダイクの造船所でつくられました。

その場所を司馬遼太郎氏は訪ねます。そして函館五稜郭のモデルになったようなナールデンの星型の城郭都市も。そしてスペインからの独立の拠点となった大学の街ライデンも。

ちなみに函館の五稜郭を設計したのは武田斐三郎成彰という伊予出身の者でやはり緒方洪庵の適塾で学んでいます。彼はむろん西洋の要塞をみたことがなく、あくまでも書物でみたものに想像をまじえながら作図をしたにちがいないと司馬氏は想像していました。

コロッケやビール、さらにコーヒー等の言葉もオランダの影響だということも併せて楽しく読ませてもらいました。 さらにオランダ語の影響を受けた言葉には、船のマスト、外科医のメス、ブリキ、ガラス、カバンに、今年の春から孫嬢がぴかぴかの1年生として背にしたランドセル等があります。ランドセルはもちろん彼女の祖父からのお祝い品です。

by zoompac | 2017-06-16 06:01 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「慈雨」柚月裕子_定年退職警官の四国お遍路旅小説

f0090954_08055770.jpg柚月裕子氏の前作の「孤狼の血」の映画化が決定しました。2018年春公開予定だそうです。

役所広司と松坂桃李の広島弁の炸裂が今から楽しみです。

原作の「孤狼の血」は、警察小説×仁義なき戦いって感じの迫力ある悪徳警官小説で、2015年の第154回直木賞にノミネートされた作品です。

その彼女の「慈雨」って小説を読みました。

警察官を定年退職した神場智則は、妻の香代子と四国八十八ヶ所のお遍路の旅に出ます。そして42年の警察官人生を振り返る巡礼の旅の途中で神場は、幼女殺害事件の発生を知り動揺します。16年前、自らも捜査に加わり、犯人逮捕に至った幼女殺害事件に酷似していたのです。

当時は、DNA技術が未発達な時代で、神場は逮捕された犯人の目撃情報が事件解決後に出てきたことで冤罪を疑いましたが、警察組織の論理によって再捜査を拒まれ、その命に不本意ながら従ったのです。

お遍路の旅を続けながら、かつての部下を通して捜査に関わり始めた神場は、深い傷と悔恨を残した過去と向き合い始め、新たに起こった事件と16年前の事件は同一犯によるものではないかと疑い始めるのです・・・

なかなか上手い着想の小説でした。お遍路の先の宿や地元の人たちの親切、お寺の特徴やお土産物を描きながら、フラッシュバックで過去の事件、彼と彼の妻と娘の訳あり過去の出来事等が明らかにされていきます。

秀逸な作品で、映画化やドラマ化されやすい筋立てだと思います。ただ前作の「孤狼の血」の迫力に慣らされた読者としてはちょいと物足りなさを感じました。パイコーだんだん大辛から中辛に格下げしたかのような刺激度低下という意味合いで。

それにしても柚月裕子さんは美人作家さんですね。そのまま映画出演できるんじゃないですか。f0090954_08091749.jpg

経歴には、「岩手県出身、山形県在住。本好きの両親の影響で、子供の頃より読書に親しむ。中学1年生の時に「シャーロック・ホームズ」を全て読み尽くし、複数の出版社の翻訳を読み比べて、ニュアンスの違いを味わう。21歳で結婚。子育てに専念する日々を経て、山形市で毎月開かれている「小説家(ライター)になろう講座」に通い始める。」とありました。

「小説家(ライター)になろう講座」の講師が志水辰夫氏だってことにも驚きでした。山形って小説家に向いた環境なのでしょうか。藤沢周平、井上ひさし、飯嶋和一、佐藤賢一、小川糸、長岡弘樹、奥泉光、丸谷才一等々、私の好きな作家さんの多くが山形出身です。漫画家のラズウェル細木もそうですね。


by zoompac | 2017-06-08 08:10 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女(下)」塚本哲也

f0090954_05494658.jpgこの物語の主人公エリザベートは1883年に、ハプスブルグ家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの孫娘として生まれました。日本では鹿鳴館が開館し、憲法起草のため欧州への調査旅行から伊藤博文が帰ってきた年です。(大日本帝国憲法は1889年公布、1890年施行です) アジアではフランスがヴェトナムを植民地化し、清仏戦争が始まった年です。 ドイツではダイムラーが自動車を発明した年となっています。

彼女は、1963年に生涯を閉じます。

彼女の生きた80年は波乱万丈でした。

1914年~1918年の第一次世界大戦では、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦しました。

1918年に、敗戦国となったオーストリア・ハンガリー帝国が、ハンガリーやチェコスロバキア等が民族主義政府として独立したため解体の憂き目にあい、ハプスブルク家も崩壊してしまいます。このときドイツのホーエンツォレルン家も滅亡しました。

その後1930年頃ヒトラーのナチスが台頭し、1933年に政権を掌握するとワイマール共和国を廃止し国家元首なる総統の地位につきます。やがてヨーロッパにおける地続きの領土がドイツ民族を養うために必要だとの主張から、ドイツ民族居住地域の併合政策を推しすすめることになります。手始めに行われたのが、1938年のドイツによるオーストリアの軍事的恫喝による無血併合 (アンシュルス)でした。

1939年にドイツは不倶戴天の敵とされていたソ連と不可侵条約を結び、ポーランドの首都ワルシャワへ進撃し第二次世界大戦の勃発となります。この電撃戦でワルシャワは一夜にして廃墟となりました。ソ連のスターリンはこのとき明らかにヒトラーの共犯者でした。 ヒトラーが1年半のうちにオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドの中欧三国を入手したのに対して、バルト三国のリトアニア、ラトヴィア、エストニアに迫って軍事基地を確保し、さらにフィンランドにも襲い掛かってソ連・フィンランド戦争を始める始末でした。

1941年にフランスを降伏させたヒトラーは、突然独ソ不可侵条約を破ってソ連攻撃を開始します。このときの前線に立たされた主力がオーストリア軍だったそうです。 特に1942~43のスターリングラードでの凄絶な戦いで多くの死傷者を出してしまいました。 ドイツ軍85万人ソ連軍120万人死んだといわれています。 中でもドイツ軍の敗色濃くなったスターリングラードからの撤退時には、寒さや雪に強いということで選ばれたオーストリア出身の兵士が20万余ともいわれる犠牲を出したようです。 補給を断ち切られほぼ野ざらし状況で雪に埋もれて亡くなりました。 ナポレオンがロシアの冬将軍に敗れて撤退する悲惨な場面を彷彿させます。

1945年にドイツが遂に降伏するのですが、ウィーンは米英仏ソの4か国の占領軍の共同統治下に置かれてしまいます。オーストリアも戦争当事者だと主張するソ連とオーストリアはナチスドイツの被害国だとする米英仏に意見が対立し、その後ドイツは東西に分割され、前門の狼ヒトラーの後は後門の虎と化したスターリンが、ポーランドやハンガリーを武力と恫喝で共産主義化していきました。 オーストリアはなんとか分割は免れたものの、オーストリア・ハンガリー帝国という観点からは鉄のカーテンによって見事に分割されてしまったのです。

ナチス・ヒトラーも相当な脅威でしたが、ソ連のスターリンもヒトラーに勝るとも劣らない独裁者ぶりでした。

オーストリアの処分問題は、1945年から10年経った1955年にスイスのごとく中立を守るということで決着をみるのですが、その間、ウィーンにあったエリザベートの館はフランス代表団に接収されてしまいました。

他民族共存ともいわれたハプスブルク家のオーストリアでは絵画、音楽、文学、哲学が大いに栄えました。ハプスブルク家が滅亡した後のウィーンで文化的な業績が途絶えてしまったようにみえるのは淋しい限りです。 ロシア革命後のロシアと同じ印象です。

エリザベートが誕生した頃のウィーンは確かに世界の文化の中心でした。ヨハン・シュトラウス、マーラー、ブルックナーといった音楽家、画家のクリムト、ココシュカ、建築家のグロビウス、作家のツヴァイク、シュニッツラーのような人たちが活躍していました。


by zoompac | 2017-05-31 05:50 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)
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[通常盤]「Now On Sale!!」
TOCP-66380/¥2,548(税込)

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「Now On Sale!!」
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