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読書 「天子蒙塵 第一巻」 浅田次郎_激動期の大スキャンダル清朝最後の皇帝と側妃の離婚劇

f0090954_06041462.jpg1922年に清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀は16歳で結婚します。相手は上級貴族栄源の娘、婉容(えんよう)、それと端恭の娘、文繍(ぶんしゅう)でした。皇妃・婉容が17歳、側妃・文繍が14歳でした。
そう、溥儀は同時に2人と結婚してしまったのです。

映画「ラストエンペラー」で、溥儀と婉容が同じ布団で仲睦ましく寝ているところに文繍が「私も仲間に入れて」とばかり布団にもぐり込んでくるシーンがありました。 子供の遊びのようにも見えました。

その後、1924年にクーデターにより溥儀達は紫禁城から退去することになります。 溥儀は1912年の辛亥革命の折事実上退位していました。結婚した1922年には清朝皇帝とはもはやいえなかったのですが、紫禁城内に住む溥儀はそのことを知らなかったようです。

紫禁城を退去した溥儀達は、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ベルギー、イタリア、ロシア、日本等が租界を設置していた天津を目指しました。イギリスやオランダ公使館へ庇護を要請するものの拒否され、結局、天津日本租界内張園に移転することになりました。

皇帝一家が天津に移ったのは大正14年(1925年)2月です。張作霖は翌1926年12月に北京政府を掌握し、中原の覇者となります。それから1年半の間、張作霖 はいつ紫禁城の王座に登ってもおかしくありませんでした。長男の張学良は自他ともに認めるその後継者でした。

皇帝溥儀が天津に移ったころ、張学良も天津にいました。彼は天津社交界の大スターでした。

そんな中、天津で張学良や溥儀たちが舞踏会三昧の生活を6年過ごしても、中国国民に平安は訪れませんでした。天下を目前に張作霖は、国民革命軍との決戦を回避して北京から謎の退却をし、本拠地奉天郊外で列車ごと爆破されてしまったのです。

そして、1931年に文繍が離婚の申し立てを行います。

この1931年~1933年は激動の年でした。

1931年9月18日、柳条湖事件に端を発して満洲事変が勃発、関東軍により満洲全土が占領されます。その後、関東軍主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年3月1日の満洲国建国に至ります。そして元首(満洲国執政、後に満洲国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が就きました。

そうした背景をみると、文繍は天津を離れて満州の地に行きたくなかったことから離婚の申し立てを行ったらしいということがわかります。

「天子蒙塵 第一巻」は、日本人の新聞記者によるラストエンペラー溥儀の元側妃というか第二夫人・文繍へのインタビュー物語という体裁でした。溥儀との離婚に至ったいきさつ、その後の様子等が事細かく描かれていました。時代設定は離婚後2年という時期になっていたと記憶しています。

この頃文繍は、溥儀に愛想が尽きています。インタビューの話の端々から、彼女が生理的に溥儀に嫌悪し離れたがっていたことが伺えます。

「あの人と初めて出会ったとき、なんという凶相の持ち主だろうと思った。これが龍顔と言えるだろうか、と。背は高いけど病人のように薄ぺっらな体で、ひどいなで肩だった。」 (映画「ラストエンペラー」では溥儀を演じたジョン・ローンが格好良かったので、私にはこの文繍の言葉に違和感がありましたが)

「小さくて虚ろな目に、度の強い近眼鏡をかけていた。すべての部分が華奢で小さいのに、唇だけがまるで海鼠(なまこ)のようにぼってりと厚かった。ともかくすべてが、ひどく不均衡に見えた。」

「夫はオンドルに腰をおろしたまま、新妻をぼんやりと見つめていた。それはまるで知性も勘定もない爬虫類が、ただおのれの存在だけを信じてじっとしているように見えた。」

「もそも皇帝が複数の妻を持つ理由は、皇統をつなぐためなのです。だから溥儀が男性としての能力を欠いている以上、側妃などは必要ありません。おそらく誰もがそう思っていた。思っていても噂だにできない。玉体に重大な欠陥があるなどと、誰のどの口が言えましょう。」

「女の領分は真実の愛を求めることです。」

「彼の人となりは、人格者どころか、人間に等しく備わる能力をことごとく欠いた、かわいそうな人です。未来のことなどわかりませんが、あの類まれなる凶相が、恐ろしい結末を暗示しているような気がしてなりません。」

「夫に対して反旗を翻すだけではありません。夫を保護し、いずれは政治に利用しようとする日本を敵に回すのです。」

1931年8月末に、奉天特務機関長の土肥原大佐から廃帝(宣統帝溥儀)と側妃の離婚に纏わる醜聞の一切に対する報道規制の申し入れがありました。 もちろん日本の記者クラブに対してだけです。 欧州系の新聞はこの大スキャンダルに飛びつきました。

1931年9月18日に満州事変が勃発しました。奉天郊外の柳条湖で、日本の国策会社である満鉄の線路が爆破され、中国軍の犯行と断定した関東軍が出動して張学良軍との間に戦端を開きます。

戦局は一方的でした。数に勝る張学良軍はほとんど応戦せずに、本拠地の奉天を放棄しました。

そして、11月には、宣統帝溥儀が天津を脱出し、彼を盟主とする親日国家「満州国」が樹立されたのです。

文繍の離婚に関わるインタビューとその歴史的背景が時々交じり合いながら織り成す物語が、まさに激動期の大スキャンダル清朝最後の皇帝と側妃の離婚劇なのでした。

by zoompac | 2017-09-15 06:04 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「黎明の世紀」 深田祐介_アジアの解放を目指した大東亜会議(The Assembly of Greater East Asiatic Nations)

f0090954_07090162.jpg今、改築中の「東京會舘」が戦後の日本を統治していたGHQの本部だったということは知っていましたが、1943年11月に東京で大東亜会議が開催された頃は、大東亜会館と呼ばれていたことは知りませんでした。大正11年に皇居の前に建てられ国際社交場をはじめ時代に応じて様々な役割を果たしてきた東京會舘の大正、昭和、平成という時代の歩みについては辻村深月の「東京會舘とわたし」に詳しいですが、大東亜会館と呼ばれていた時代があったということは、私が読み落としていたのかもしれません。

その1943年の大東亜会議(アジア地域の首脳会議)は、同年5月の御前会議で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催されました。参加した国と、国の代表は次の通りです。
(ちなみに「東亜」とは日満支(日本、満州、支那)、それに南方を加えたものが「大東亜」とされました)

日本(大東亜共同宣言中の表記は「日本国」):東條英機内閣総理大臣
中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
満州国:張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)
インド:この時点では本土がまだイギリスの植民地支配下にあったインドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた亡命政権である自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加しました。

また、イギリスの植民地であったマライや、オランダの植民地であったインドネシアは会議当時は日本軍の占領下であったものの、大東亜政略指導大綱において帝国領とすることとされ、独立検討の対象ですらなかったようです。仏領インドシナは日本と友好関係にあるフランスのヴィシー政権の植民地のままであったため参加していません。

ただ、インドネシアのスカルノ・ジャワ中央参議院議長は、11月5日~6日の大東亜会議の後、13日に来日し、17日間に渡って東條英機等軍人の歓待を受けました。独立国の元首でないから、外務省も大東亜省も関りを持ちませんでしたが、なんと予想外にも昭和天皇拝謁の機会を得たのです。

ただ敬礼をして、御前を退出するものと教えられたスカルノは驚愕することになります。 なんと、天皇が歩み寄りスカルノに握手を求め、スカルノの手を握ったのです。仰天した高官曰く、天皇陛下は外国の高位にある人に対してでないかぎりこんなことはしないのだそうです。

著者の深田祐介氏は、「スカルノに握手を求めた天皇の真意は、(大東亜)戦争目的が、「アジアの解放」にあることを、宮中慣例を破ってまで率先身をもって示そうとしたのではないか」と言っています。これは、軍側が認識している戦争目的「自存自衛」への天皇の不満の表れではないかとも感想をもらしていました。

皮肉なことに、「アジアの解放」の理念は、大東亜会議に正式に招かれず、大東亜共同宣言にも署名しなかったスカルノのインドネシアにおいて発揮されました。1949年12月にオランダは全蘭領インド諸島を、インドネシア共和国初代大統領スカルノに引き渡すことに同意しました。

アジア解放を信念として行動した日本人が存在したのもまぎれもない事実でした。日本の敗戦が決まった後のインドネシアで、故国への望郷の想いを捨て、オランダに対する独立戦争に参加した約1000人の日本兵がいたそうです。

私は1980年~1983年にインドネシアのジャカルタに赴任していましたが、私の前任の日本人が1941年に当時の拓南省が創設した教育機関「拓南塾」出身の方でした。今月の文藝春秋に記事が載っていますが、2つの行動規範1)南方を墳墓の地と覚悟せよ、2)日本人として完成し内外人の模範たれ、を徹底し、マレー語と英語の習得に大きな比重(適正語として排斥する世間の風潮にはお構いなく)を置いた学習をしたそうです。その他、南方経済、南方土俗学、南方地理、南方史、南方事業経営を学びました。

その後、主管が拓南省から大東亜省に変更、昭和18年にはさらに大東亜錬成院に変更され、南方だけでなく中国への派遣員養成機関の統合され、当初の民間会社への派遣から、軍属への派遣に派遣先が変えられ、入魂教育の名の下鉄拳制裁が横行したそうです。

伸び伸びと大東亜共栄圏創設の理想に燃えて学習に専念できた一期生とその後の生徒とでは軍の介入によって大きく学習環境が変わったようですが、日本の戦後もオランダに対する独立戦争に参加した約1000人の日本兵の中にこうしたアジアの解放を実現せんとし初志貫徹された拓南塾の第一期生も多かったと思われます。

by zoompac | 2017-08-27 07:09 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「中村屋のボース」 中島岳志_新宿中村屋のインドカリーの創始者で、大東亜共栄圏構想の下インド独立運動に生涯を捧げた帰化インド人の波乱万丈物語

f0090954_06433032.jpg私は、新宿中村屋のインドカリーが好きです。 通算で10年あまり監査役の仕事に従事していますが、その監査役研修会が新宿にある会場で開催されることが年に複数回あり、その度にランチを新宿中村屋でとる機会があります。 私が食べるのは決まって「インドカリー」です。

私にとっては、今から約40年前の大学生活を送った大阪在住時代からの好物カレーです。 今は無くなってしまいましたが、昔梅田駅の阪急三番街の地下に新宿中村屋のレストランがありました。 下宿先から梅田駅に出たときは、この新宿中村屋のインドカリーか、同じく三番街地下にある(これは今でもあります)店名「インディアンカレー」のカレーを食べるのが楽しみでした。そうです私の好きなカレーは「インドカリー」と「インディアンカレー」のカレーなのです。紛らわしいですね。

その中村屋の目玉商品・インドカリーを誕生させたのが、ラース・ビハリー・ボースでした。

その伝説のカレー誕生秘話かと思い、この「中村屋のボース」の本を手に取りました。

内容はイメージしていたものとは似て非なるものでした。

ラース・ビハリー・ボース(R.B.ボース)は、1915年に日本に亡命したインドの反英独立運動の闘士でした。 インドを植民地支配するイギリスに対する過激なテロリストだったと言っていいかもしれません。 彼が日本に亡命した後も、イギリスは外交筋(在日イギリス大使館)を通じて日本政府にR.B.ボースの身柄拘束、引き渡しを執拗に要求していました。

R.B。ボースの日本亡命は彼が58歳の生涯を日本で閉じる1945年1月まで約30年続きました。多くの人命を奪った大東亜戦争が終結する7ヶ月前であり、彼が15歳の時に目覚めた祖国インドが独立(1947年8月15日)した2年半前のことでした。

日本へ亡命したR.B.ボースを執拗に追いかけるイギリス政府筋/日本の警察から、彼の身を守ったのが、頭山満を筆頭とする玄洋社・黒龍会のアジア主義者たちでした。

亡命後のR.B.ボースは、留学中の孫文や、頭山満、大川周明、北一輝、宮崎滔天等と親交を深めていきますが、日本政府がついに日英同盟(1922年に廃止)の下で英国外交筋からの圧力に屈し、R.B.ボースに国外退去命令を下します。

このとき、新宿中村屋の常連に玄洋社と係わりをもつ者がいて、R.B.ボースを新宿中村屋の離れに匿ったのです。 困難な地下生活は1918年まで続きました。 1918年にドイツが連合国との第一次大戦の休戦協定に応じたため、英国がR.B.ボースを「ドイツの諜報活動と通じている」として日本国外撤去を求めていた大義名分が失効しました。

R.B.ボースの1915年~1918年の地下生活時代のなぐさみの1つがカレー作りでした。 後の中村屋の「インドカリー」として正式に商品化されたのはその時代から10年以上たった1927年のことでした。

R.B.ボースは、この年に地下生活を献身的に支えてくれた中村屋店主の娘と結婚し、1920年に長男、1922年に長女を設け、翌1923年に日本に帰化しました。 日本のナショナリスト、政治家、軍人たちと交流し日本国内での発言力を高めていきます。 堂々とインド独立実現へ向けて反英独立運動に奮闘する中、アジア大陸進出を急速に推し進める日本の壮大な軍事作戦にも深くかかわっていくことになります。

中村屋のインドカレーには、過酷な地下生活、ささやかなロマン、さらに過酷な20世紀前半のアジア史に翻弄された革命家R.B.ボースの夢がたっぷり隠し味になっているようです。

英国の植民地政策でインド以外のビルマ、マレー半島、シンガポール統治で重要な役割を果たしていたインド人傭兵(セポイ)が、日本軍の大陸侵攻に触発され、日本軍の捕虜になるよりインド独立戦争を共に勝ち取る大義名分を与えられ、マレー大陸侵攻、シンガポール陥落に大きな貢献をしたエピソードは特に興味深く読みました。

さらに状勢が悪化する中でのインパール作戦もそうしたインド人兵士たちのインドへの夢の実現のため敢行された一面があったこと、1943年の東京で開催された大東亜会議に参加したインド代表のチャンドラー・ボースはR.B.ボースからマレー大陸に点在するインド独立のためのインド兵を統括する役割を引き継いだ別人というか後継者であることも知ることができました。

この本を読んだ後食べる中村屋のインドカリーはさぞかし複雑で深い味わいカリーとなる予感がしています。

by zoompac | 2017-08-26 06:44 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「東インド会社」浅田實_江戸時代300年の時代、中国、インド、東南アジアで交易にいそしみやがて植民地帝国主義を呼び込んだ東インド会社の足跡!

f0090954_05355667.jpg大雑把な言い方になりますが、イギリス東インド会社の設立から終焉は日本の江戸時代とほぼ重なります。

イギリス東インド会社は1600年に設立され、1858年に解散しました。ただ会社株主への配当金を支払う義務が1874年まで続きましたので正式な解散は1874年としたほうがいいかもしれません。東インド会社は1877年にインドの統治権をヴィクトリア女王に譲り英領インドである「インド帝国」が成立しました。

余談ですが、今、NHK海外ドラマで「女王ヴィクトリア 愛に生きる」が全8話が放映中です。日曜日の午後11時からの放送で、先週第4話が終わったところです。幼くして女王の座に就いたヴィクトリアを巡って親戚一同が様々な手管で女王の指南役になろうとするのですが、女王が確固たる主張を持ってそれらの画策を砕いていく様が痛快です。 指南役として女王を操れないのなら、次なる策略は、女王との婚姻です。親戚一同、自分の血筋に近い年頃の息子や甥等を女王に近づけて何とか気を引こうとします。そんな中、女王ヴィクトリアはドイツ人アルバートと婚約を交わします。

閑話休題

「東インド会社」の東インドとはインドネシアのことです。

そういう意味では、東インド会社としては1602年に設立し、後にインドネシアを植民地にしたオランダ東インド会社が設立当初は特に胡椒貿易の実績でイギリス東インド会社を圧倒していました。

設立当初、スパイス取引の特許状を与えられただけのイギリス東インド会社に対し、オランダの東インド会社はオランダの国そのものだったのです。小さなオランダ本国より、むしろこのオランダの東インド会社のほうが権威も権力も大きかったかもしれないくらいでした。

外国の指導者との条約交渉権限も与えられていましたし、兵を雇って、外国の地に要塞を建て、船を武装することもできました。基本的には軍隊まで擁した会社で、植民地政策もこの会社が自在に実施できたのです。

インドネシア等の胡椒栽培に恵まれた土地はいち早くオランダに占められます。その繁栄ぶりは、一大海上帝国といった様相で、17世紀の東南アジアでの胡椒取引の支配者はオランダ東インド会社だといっていいほど、イギリス東インド会社との開きがありました。

さらに、イギリスの東インド会社が、航海一巡りだけの単発ベースでの資金集めだったのに反し、オランダ東インド会社は、一航海貿易単位の資金集めではなく、会社が永続的に貿易をするという前提で、出資者の投資も10年単位の長期投資という縛りをつけました。

イギリスの東インド会社も、1657年に議会が介入し、一航海が終わるたびに出資金+分配金を投資家に返す資本分割を止め、株主への配当金は収益部分だけから行う、いわゆるオランダ東インド会社方式に変えました。オランダの東インド会社が世界最初の株式会社と言われた所以もそのあたりにあります。

オランダは、その資金力の大きさと交渉権を持つ現地での外交力の強みを生かして17世紀の東南アジアにおける胡椒・スパイス交易で独占的な利益を上げました。17世紀はオランダの黄金の世紀であったと言えます。

オランダのインドネシア交易独占のきっかけとなった事件が1623年に起きています。オランダがインドネシア・アンボイナ島のイギリス商館を襲って、イギリス人を追い出してしまったのです。資金力・軍事力に劣るイギリスはこの事件の後、活動方針を変え、インドネシアから撤退し活動拠点をインド中心に絞り込みました。このとき日本の平戸のイギリス商館も閉鎖されました。

アンボイナ島事件は、アンボン事件あるいはアンボン虐殺と言われ、その商館のイギリス人のみならず平戸経由でその島に来ていたと思われる日本人も殺されました。オランダの言い分では、この日本人たちがオランダに対するスパイ活動を行っていたということでした。利益と支配を巡るこの事件が遠因となり、17世紀後半の英蘭戦争を引き起こしたと言われています。

17世紀を風靡した胡椒取引はしかし18世紀になると低迷してきます。必要以上の胡椒が欧州に出回って値段が下がってしまったせいです。

胡椒に替わって主役の座に就いたのがインド産のキャラコ(木綿布)でした。18世紀は、オランダ方式の株式資本調達に切り替えたイギリス東インド会社がキャラコブームに乗ってオランダ東インド会社を圧倒し始めます。

やがて、1757年のインドでのプラッシーの戦いで、結果として地方の徴税取立て権を授与されたイギリス東インド会社はその利得の大きさに目がくらみ、商業資本事業からインド各地を侵略する植民地経営にいそしむことになります。

セポイと呼ばれるインド東部のベンガル出身の傭兵を使ってインド国内の侵略戦争が続きましたが、ちょうど100年後の1857年のセポイの反乱が潮時となります。1858年にはこのあおりを喰らってムガール帝国が滅亡してしまいますが、インドの植民地統治もイギリス国家が行うこととなり東インド会社の役目も終了してしまいました。

東インド会社の役割は終わりますが、本国イギリスは産業革命の波に乗り、ヴィクトリア女王の下で、自由貿易と植民地化を情勢に応じて使い分けパックス・ブリタニカと呼ばれるイギリス帝国の最盛期を迎えることになります。

話しが戻りますが、セポイの反乱の原因がおかしかったです。インド人傭兵のために用意された新しい銃の薬莢に牛脂や豚脂が塗られていたのです。ベンガル出身のセポイはイスラム教やヒンズー教の信徒が多く、牛脂(ヒンズー教徒にとっては神聖な牛)も豚脂(イスラム教にとって不浄な豚)も宗教上受け入れられなかったことから起きた反乱でした。

そのセポイの反乱の前あたりから、中国からの茶の輸入も活発になり、インド農民に栽培させたアヘンをその茶の購入資金に充て始めました。そして、1840年から2年に渡って中国清との間にアヘン戦争を引き起こしました。そのアヘン取引にも関わったジャディーン・マセソン社は、アヘン戦争の賠償としてイギリス統治となった香港を足場にその後も長く活動を続けましたが、著者はジャディーン・マセソン社こそイギリス東インド会社の末裔だと結んでいました。

東インド会社の歴史を通じて、東南アジアにおけるイギリス帝国の植民地統治の歴史も学べる好著でした。

南海泡沫事件や、アメリカ人がお茶を避けてコーヒーを好むきっかけというかアメリカ独立戦争の発端となったボストン茶会事件のエピソードもなかなか勉強になりました。


by zoompac | 2017-08-25 05:36 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「翔ぶが如く 1巻」の司馬遼太郎の余談_シュテファン・ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」を読者に勧める名文章!

f0090954_05470771.jpg私は、以前、「翔ぶが如く」を読んだとき、司馬遼太郎氏の余談に影響を受けて、ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」を読みました。当時はフランス革命の知識が皆無で、読み取り辛かった記憶が残りました。佐藤賢一の「小説フランス革命18巻」を今年6月に読み終わりましたが、それをよむきっかけになった本がその「ジョゼフ・フーシェ」でした。

司馬遼太郎氏のお勧め本の宣伝文句として一流ではないでしょうか。

ここに備忘用に引用いたします。

「川路は、フランスで政治警察を仕入れてきた男である。フランスの警察では、「かつてフランスの警察を擁立したジョゼフ・フーシェこそ、文明社会の警察の聖者というべきである」ということを利かされ、フーシェについて知識のない川路はその通りに信じた。

川路の知らないことであったが、フーシェがヨーロッパの近代史上、信じがたいほどの変節の政治家であり、川路の時代よりずっと後、作家シュテファン・ツヴァイクの名作「ジョゼフ・フーシェ」によってその悪党としての性格と行跡を完膚なきまでに解剖されてしまった人物である。

ここまでくると引き込まれますね。司馬遼太郎氏は、実にこの読者の関心を引き込む、引き込み技の達人です。

フーシェは生涯を通じ、その保身において悪魔も及ばないほどの知恵をめぐらした。

かれは最初、カトリックの僧院にいた。フランス革命がおこると熱狂して僧院をとびだし、ジロンド派の仲間に入ったが、さらに過激なジャコバン派に投じ、ルイ14世を断頭台に送るについての強力な役割を演じた。

かれは典型的なジャコバンテロリストであり、南仏におこった反革命内乱を処理するについては残忍苛烈な刑をおこない、独裁者ロベスピエールの勢力が弱まってくると巧みにその反対側に回り、ロベスピエールを断頭台に送った。

フランス革命とその後の政治的変動期に、その時期その時期の主役は次の期にかならず没落したが、フーシェのみはいかなる政変がきても、つねに主流を嗅ぎわけて接近し、生きのびた。

総裁政府時代にはかれはパリの警視総監であり、いっさいの反政府勢力を弾圧して手も足も出なくした。

やがて、ナポレオンが執政になると、その警視総監として巧妙なスパイ網をめぐらしてナポレオンのために反対勢力の陰謀を封殺した。

かれは、その時々の主流に忠誠をささげ、その主流が没落しかけると死臭をいちはやく嗅ぎつけてつぎの主流に現在の主流を売りわたすという天才であり、このためフーシェはついに公爵にまでなった。

川路は、そういうフーシェの残した政治警察を学び、近代国家を成立せしめるための文明の要素であると信じたのである。

シュテファン・ツヴァイクが引用していたバルザックのフーシェ評によれば、フーシェの人間と生涯はつぎのような言葉でまとめられている。

「ナポレオンがもった唯一の名大臣」
「奇妙な天才」
「私の知り得るかぎりの最も強い頭脳」
「ナポレオンにさえ、ある種の恐怖を抱かしめた男」
「その容貌の底にうかがい知るべからざる深さをたたえ、そのときどきのかれの行動はその時期において誰も意味を察しないが、芝居がおわったずっとあとになってやっと合点のいく人物」

といったふうな男であったが、一方、川路はフーシェのはるかな後年の弟子でありながら、フーシェのようなマントをかぶった沈黙の政治芸や、権力に対する特異な執着というものをもっていなかった。

ただ、フーシェが敵の勢力どころか同僚の政治家たちをさえ戦慄させたほどの政治スパイの網をめぐらし、同僚の政治家の私行まで一手ににぎっていたということを、川路もできればその先哲にあやかりたいとねがっていた。

もっともフーシェはその陰鬱な特技を自分の保身のために用いた。しかし川路の可愛らしさはそのことが国家を愛する道につながっていると信じていたことである。」

どうですか? シュテファン・ツヴァイクの「ジョセフ・フーシェ」を読みたくなりませんか?

ちなみに、ジョセフ・フーシェがコティという名で登場し、フランス革命史を描いた「静粛に、只今天才勉強中」という倉多江美の漫画もあります。 今、読んでいますが、若きナポレオンやフーシェが出てきてフランス革命時代を生きた青年像が垣間見えて興味深いです。

ジョゼフ・フーシェを信望し、日本の警察組織の創始者となった川路利良については、伊東潤氏が「走狗」という小説を書いていますね。「翔ぶが如く」の番外編(スピン・オフ)として、NHK大河ドラマ「せごどん」が始まる前に是非読んでおきたいと思っています。
「下層武士から初代大警視(警視総監)にまで上り詰めた 川路利良は、剣の達人にして史上稀なる「国家デザイナー」でもあった」ってキャッチフレーズがいいですね。

by zoompac | 2017-08-21 05:47 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「翔ぶが如く 1巻」司馬遼太郎_明治維新の功労者たちの過去とこれからのモザイク画

f0090954_05380349.jpg来年のNHK大河ドラマ「せご(西郷)どん」を見据えて、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を三度目ですが読み返しています。

この巻では後に日本の警察機構の創始者となる川路利良(としなが)が、パリに留学し、フランス警察のあり様を学ぶところから始まります。

パリへ向かう列車で、おなかが痛くなって苦しむエピソードは本当におかしいですね。

この小説の主人公は、大将然とした大山巌や西郷従道でさえ、「兄の隆盛にくらべると月の前の星だった」といわれる器が桁外れに大きい西郷隆盛と、実利的で私心がない「冷厳なること北海の氷山の如し」と言われる大久保利通なのです。この二人の前では皆小僧扱いになってしまいますが、維新後の日本の構築にいそしむ綺羅星のごとき人物達(大久保派)やこんな国にするために戦ってきたのではないという不満層の人物達(西郷派)、その他の有名人物をを点描のように細かく丁寧に描きながら大きな絵図柄をみせてくれる小説だったと記憶しています。

全国300万と言われる士族たちがその既得権を明治政権によって奪われた後の時代です。 薩長土三藩の士族から成っている官軍の名残の近衛軍がやっかいな存在になりつつありました。廃藩置県という一大変革を断行するにあたって各地の内乱を予想し東京に近衛兵を集めましたが、廃藩置県がうまくいってしまい無用の存在になっていたのです。

西郷隆盛は彼らのエネルギー放散のため征韓論を強く求めましたが、日本の内政確立を優先する大久保利通や他の参議の承認を取れず流れてしまいます。

結局、西郷が鹿児島に下野し、不満分子をその地に集め、自爆させたような印象を以前読了した時持ちました。天皇好きの西郷が、反政府不満分子の親玉という汚名を被ってまで国のために尽くしたという印象でした。

司馬遼太郎氏は、スケッチが大好きで自ら視覚型人間と任じているようです。去年NHK大河の「真田丸」に合わせて、司馬氏の大阪冬の陣、夏の陣を描いた「城塞」という小説を読んだのですが、その中で、大阪城を上町台地というナマコ状の端に乗っかった城であると表現されていたのが強く印象に残りました。字面を通して、頭の中に視覚として大阪城のあり様が浮かんでくるかのような感じでした。

この「翔ぶが如く 1巻」でも、同じような読者の視覚に訴えかける表現がありましたよ。樺太のことを「北海道の北につらなるこの塩鮭のような形をした島」と表現していました。読者の視覚を刺激するわかりやすい表現ですね。

2巻か3巻に、北海の氷山と恐れられた大久保利通が、日本漁船を襲った台湾の部族が起こした事件の補償を中国の高官にねじ込む外交折衝のシーンが出てくるはずです。このとき、交渉に倦んだ中国から、台湾は中国の領土ではないという正式コメントを引き出し、台湾を日本の領土にするという離れ業を大久保はやったのです。もう一度、そのエピソードを読む楽しみにわくわくしております。

by zoompac | 2017-08-10 05:38 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「胡椒_暴虐の世界史」 マージョリー・シェファー _血塗られた胡椒と2つの東インド会社の歴史

f0090954_06315948.jpg胡椒が出てくる落語では、「くしゃみ講釈」というのがありまして、講釈師が講釈の最中に、八百屋で買ってきた胡椒を火鉢にくべて、講釈師のくしゃみを誘い、恨みを晴らすという噺でした。 八百屋で買う胡椒の値は大したものではないという印象があります。

ところが、1世紀のローマにおいて、金や銀と胡椒が同重量で交換されたという記録もあったくらい貴重な香辛料で、実際、貨幣の代用として用いられたりもしていたようです。

塩野七生のヴェネツィア共和国の一千年を描いた「海の都の物語 第5巻」でも、ペルシアから黒海、コンスタンチノーブル経由、あるいは紅海からアレクサンドリア経由での取引をほぼ独占していたヴェネツィアが胡椒でいかに儲けていたかということが詳しく書かれていました。

そしてその金の成る実である胡椒の貴重さが、ヴァスコ・ダ・ガマのような冒険家をして、アフリカ経由の航路で胡椒をインドからリスボン、アントワープという経路を開発する大航海時代を拓くきっかけになったのです。

ポルトガルが1580年にスペインに統合され「沈まぬ太陽」と呼ばれたスペインでしたが、1588年のアルマダの海戦でイングランドに敗退した後は衰退の道をたどりました。

替わって台頭したのが、イギリス、オランダ等のプロテスタント国です。オランダは1581年にスペイン国王フェリペ2世の統治権を否認し、1600年頃までに北部7州はネーデルラント連邦共和国として実質的に独立を果たしていました。

1600年にはイギリス東インド会社がエリザベス1世から特許状を与えられ、その2年後にオランダ東インド会社が設立されます。

設立当初、スパイス取引の特許状を与えられただけのイギリス東インド会社に対し、オランダの東インド会社はオランダの国そのものでした。外国の指導者との条約交渉権限も与えられていましたし、兵を雇って、外国の地に要塞を建て、船を武装することもできました。基本的には軍隊まで擁した会社で、植民地政策も実施できたのです。インドネシア等の胡椒栽培に恵まれた土地はいち早くオランダに占められます。その繁栄ぶりは、一大海上帝国といった様相で、17世紀の東南アジアでの胡椒取引の支配者はオランダ東インド会社だといっていいほど、イギリス東インド会社との開きがありました。

さらに、イギリスの東インド会社が、航海一巡りだけの単発ベースでの資金集めだったのに反し、オランダ東インド会社は、一航海貿易単位の資金集めではなく、会社が永続的に貿易をするという前提で、出資者の投資も10年単位の長期投資という縛りをつけました。

イギリスの東インド会社も、1657年に議会が介入し、一航海が終わるたびに出資金+分配金を投資家に返す資本分割を止め、株主への配当金は収益部分だけから行う、いわゆるオランダ東インド会社方式に変えました。オランダの東インド会社が世界最初の株式会社と言われた所以もそのあたりにあります。

オランダは、その資金力の大きさと交渉権を持つ現地での外交力の強みを生かして17世紀の東南アジアにおける胡椒・スパイス交易で独占的な利益を上げました。17世紀はオランダの黄金の世紀であったと言えます。

ところが、イギリスの東インド会社が17世紀後半から巻き返し始めますと、大量の胡椒が欧州市場に出回って、胡椒の値段が下がり、一時は400%の利益を生んだ胡椒交易の旨みが薄れてきてしまいます。17世紀後半に3度に渡って行われた英蘭戦争もオランダ東インド会社には痛手でした。

17世紀には、75%近く占めていた胡椒・スパイスの交易も、1700年に入ってくると主役をキャラコ(木綿布)に奪われ、25%近くまで落としてしまいます。17世紀に黄金の世紀と言われたオランダ東インド会社は、18世紀に入ると、急にその力を弱め、中身の乏しい空疎な飾りだけの時代という意味で「かつらの世紀」と揶揄されるに至ります。

反対にイギリス東インド会社は、イギリス政府肝煎りで、1709年に新東インド会社を設立し、旧東インド会社と合併し、強固な体制を築きました。17世紀半ばから、やがてイギリスで始まる産業革命の18世紀半ばまでの商業革命の時代をイギリス東インド会社が担うことになったのです。

やがて、交易で払っていた金銀をアヘンに変えたりして、植民地政策の出先機関、帝国主義の先鋒と呼び変えられる東インド会社ですが、大航海時代を呼び寄せる吸引力となった胡椒の魅力は17世紀で終わってしまっていたと言えます。

長崎・出島にあったオランダ商館(1609年に平戸に設置され、その後出島に移転)が、オランダ東インド会社の支店として機能していたことを知って驚きました。東南アジアで胡椒やスパイスの買い付けに支払っていた銀を主に日本で入手していたようです。

一方、イギリスは1613年に長崎、平戸に商館を構えましたが、1623年にインドネシア・アンボイナ島のイギリス商館をオランダが襲って、インドネシアでのオランダのスパイス交易独占体制を確立した後、イギリスが活動拠点をインド中心に絞った折、日本の平戸のイギリス商館も閉鎖されました。アンボイナ島事件は、アンボン事件あるいはアンボン虐殺と言われ、その商館のイギリス人のみならず平戸経由できていたと思われる日本人も殺されました。オランダの言い分では、この日本人たちがスパイ活動を行っていたということでした。利益と支配を巡るこの事件が遠因となり、17世紀後半の英蘭戦争を引き起こしたと言われています。

他に、興味を持った記述は、胡椒航路に乗っかってくる船乗りたちの食料や油に、アザラシ、ペンギン、ドードー鳥、鯨等が殺戮され、大きな頭と不格好な飛べない鳥であるドードーは絶滅の憂き目にあってしまいました。胡椒の歴史は血で赤く染まっっているとは、ヴォルテールの言葉の引用ですが、それは人間の血だけではなかったようです。

by zoompac | 2017-08-06 06:32 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

2017年上半期 読書(2017年1月~6月)_私の一押し3冊は司馬遼太郎、塚本哲也と相場英雄の著作

上半期は、1月の直木賞と4月の本屋大賞で話題になった恩田陸の「蜜蜂と遠雷」や3月に発売された村上春樹の「騎士団長殺し」等が読物としては面白かったです。

ただ、私の上半期のベスト3は、司馬遼太郎氏の「覇王の家(上下)」、塚本哲也氏の「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女(上、下)」と相場英雄氏の「不発弾」の3冊です。

「覇王の家」では、司馬遼太郎氏がこれまで全く思いもよらなかった家康像を切り取ってくれていて驚きました。茶の湯をはじめ、絢爛豪華な安土桃山文化には興味も示さなかった家康が、大の模倣家だと言うのです。

武田信玄を尊敬していて、灌漑用水、治水政策、農本主義、鉱山開発から、赤備えの軍団等の軍備に至るまで信玄の政策を取り入れていたのは知っていましたが、小牧長久手の戦いでの秀吉の外交・調略の手腕に感じ入り、秀吉亡き後の数々の謀略・調略が秀吉の外交政治の踏襲を実験的に行ったというのです。

一見、豪放磊落な秀吉と吝嗇の家康が同じ調略を行ってもこうも印象が違ってみえるものなのですね。 この模倣実験で、晩年の家康は、若い頃辛抱家・律義者で鳴らしたイメージから、腹黒い謀略家の狸親父に塗り替えられる代償を払わされてしまいました。

秀吉は死んで豊国大明神という神になりましたが、これも家康はきっちり真似ました。 東照大権現という神になりました。

自らは新しいものを何一つ産まず、ひたすら他人のいいものを模倣して工夫するという日本人の典型のような人物像が描かれていました。

塚本哲也氏の「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女(上、下)」も目からウロコでした。ヨーロッパを知るうえで、オーストリア・ハンガリー帝国という東ヨーロッパの寄りの視点をもつことで、欧州問題の景色が一転してしまいました。

相場英雄氏の「不発弾」も面白く読みました。

今の日本のデフレの元凶をバブル崩壊からの歴史を俯瞰することで浮き上がらせていました。

バブル崩壊当時、日本では財務会計に時価法が適用されておらず、取得原価法適用だったことから、財テク運用で失敗した投資運用債券の減損の認識をせず取得原価のまま塩漬けにするってことが行われました。

それに目を付けた外資系投資銀行がいろいろと財テク失敗の減損を取り返すためのデリバティブ絡みの金融商品を、元財テク企業や地方銀行等に売りつけたのです。

バブル崩壊の後相場が戻らず、背に腹変えられぬ企業の財テク担当者は、その不可解な金融商品の本来持つリスクの部分に目をつむって手を出しますます損失を雪だるま式に大きくしてしまいます。 いつその膨大な損失を顕在化することになるのかわからない時間との勝負の中で、アリ地獄に引きずり込まれるアリがもがくがごとく、ますます複雑化した様相の実は単なる丁半博打商品に懸け金額を大きくして熱をあげる様がフィクション小説を通してノンフィクション調に赤裸々に綴られていました。

その小手先のデリバティブではカバーしきれない運用損や減損の金額を、やがてM&A絡みの不透明な「のれん」に包み隠すような手法も編み出されていたことが、大手医療機器メーカーや電機メーカー等の巨額損失問題で明らかになりました。地方銀行の再編統括の話題もいまだにくすぶっています。

「不発弾」という本の題名が不気味に響きます。

何故か、この本はさほど話題になりませんでしたが、現総理や東芝の闇将軍と言われた人物もそれとわかる形で小説に登場しています。 私も35年近く外資系金融機関に努め、その半分のキャリアをディーリングルームで過ごしいろんな破綻企業をみてきました。筋立ての粗さはありますが、結構核心を突いた作品です。 今年上半期の3冊に入れるに値する作品だと思います。

読書(5冊)
170111「熊と踊れ(下)」アンデッシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ
170115「蜜蜂と遠雷」恩田陸
170125「室町無頼」垣根涼介
170127「覇王の家(上)」 司馬遼太郎
170129「本日はお日柄もよく」原田マハ

読書(5冊)
170203 「街道をゆく 濃尾参州記」司馬遼太郎
170210 私のイチ押し、2017年の本屋大賞ノミネート作品「みかづき」森絵都
170211 「海の都の物語 4 ヴェネツイア共和国の一千年」 塩野七生
170223 「沈黙」遠藤周作
170225 「小説フランス革命16 徳の政治」 佐藤賢一、残すところあと2巻!

読書(6冊)
170305「がん消滅の罠(完全寛解の謎)」岩木一麻
170308「DIVE‼(上)」森絵都
170311「覇王の家(下)」司馬遼太郎、模倣家としての家康像!
170312「i(アイ)」 西加奈子_あるがままに受け入れる提案小説?
170326「海の都の物語 5」 塩野七生_胡椒交易に関わるヴェネツイアの苦悩
170331「小説フランス革命17 ダントン派の処刑」

読書(7冊)
170410「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」 村上春樹_不思議なハルキ・イン・ワンダーランド
170414「三国志(第三巻)」宮城谷昌光_まるで人名辞典!
170420「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」村上春樹
170423「八朔の雪_みをつくし料理帖(1)」高田郁
170425「Dive‼(下)」 森絵都
170427「みをつくし料理帖2_花散らしの雨」高田郁
170428「ツバキ文具店」小川糸

読書(6冊)
170508 読書「想い雲_みをつくし料理帖3」高田郁
170509 読書「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女(上)」塚本哲也 _オーストリア視点の全ヨーロッパ史
170511 読書「今朝の春_みをつくし料理帖4」高田郁
170513 読書「小夜しぐれ_みをつくし料理帖5」高田郁
170530 読書「不発弾」相場英雄 170530(火)
170531 読書「エリザベート パプスブルク家最後の皇女(下)」塚本哲也 170531(水)

読書(6冊)
170608 「慈雨」柚月裕子_定年退職警官の四国お遍路旅小説
170616 「オランダ紀行 街道をゆく35」司馬遼太郎_日本の近代化に大きな影響を与えた小さな国オランダ!
170620 「月の満ち欠け」佐藤正午_直木賞にノミネートされてもいい作品だと思うのだけど・・・
170626 「小説フランス革命18 革命の終焉」佐藤賢一_あっけなく淋しい幕切れ!
170629 「海の都の物語 ヴェネツイア共和国の一千年」塩野七生
170630 「城をひとつ」伊東潤_入れ込みの術を駆使したスパイ一族と北条五代の物語

170624- 漫画 「疾風の勇人」 1巻~4巻 大和田秀樹_漫画と侮るなかれ、元気な戦後の政治家漫画


by zoompac | 2017-07-30 08:04 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「敵の名は宮本武蔵」 木下昌輝_墨絵の濃淡から武蔵の境地の変化を描く木下節!

f0090954_08062604.jpg7編から成る連作短編集でした。

有馬喜兵衛の童討ち
クサリ鎌のシシド
吉岡憲法の色
皆伝の太刀
巖流の剣
無二の十字架
武蔵の絵

武蔵に敗れた吉岡憲法が武蔵の描いた絵と立ち会った武蔵から立ち上がる闘気 に濃淡のない漆黒の黒色を視ました。 その色に憑りつかれ、自ら染料を工夫し「憲法黒」という黒染めの色を創り出し、染物屋の職人として生きてゆく様がサイドストーリーとして流れていました。 (「吉岡憲法の色」)

天下に鳴り響く京の剣術流派の筆頭に位置する「吉岡道場」の当主は武蔵との立ち合いで左腕を砕かれる代償に得た「憲法黒」で染料の世界で成功を収めました。 その彼が、巌流の戦いから20年経った武蔵の元を訪ね、今度は墨の濃淡だけで多彩な色を引き出しているかのような飛ぶ一羽の鴈の絵を視、武蔵の到達した境地に想いをはせるところで終わっていました。(「武蔵の絵」)

吉川英治の「宮本武蔵」からは想像もできない武蔵像が立ち上がってきます。

七人の敗者の視線から描かれた武蔵です。 名前から、吉川英治の宮本武蔵の脇を固める本因田又八を彷彿させる本因田外記、佐々木小次郎と思われる津田小次郎、於通に当たる於青、武蔵の弟子青木丈太郎少年を連想させる青木条右衛門等が登場しています。

ただ、吉川版宮本武蔵からは想像もつかない、それぞれのキャラクター像でした。 特に「無二の十字架」が圧巻です。 ネタバレになるので多くは語れませんが、武蔵の出生の秘密が語られています。 古いギャグで申し訳ありませんが、あっと驚く為五郎・・・・でした。

木下昌輝の腕にかかると、「宮本武蔵」という材料がこのように料理されるのかと感心しました。 その点では、木下節の味がよく浸みた満足な作品でした。

伏線が少し錯綜し過ぎているキライは否めませんが、7人の敵の視線から「白抜き文字」のように、武蔵像を浮き上がらせる試みなのですから仕方ないかもしれません。

「宇喜多の捨て嫁」では、宇喜多直家の凄まじき裏切り、調略の血生臭さと、直家自らの宿痾の肩傷から吹き出す血膿の腐臭が混ざりあって、読者の嗅覚を刺激していましたが、この木下版「武蔵」では、吉岡憲法が語る武蔵の描く墨絵を読者も視ているかのような気にさせられました。 活字を通して五感が刺激される木下節を楽しめます。

吉川版「宮本武蔵」のだまし絵のような木下版「宮本武蔵」を楽しんでください。

史実もしっかり押さえているようなので、案外、木下版のほうが史実に近い武蔵像を描いているかもしれません。

by zoompac | 2017-07-23 08:23 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「忍びの国」和田竜_脚本先にありきの天正伊賀の乱小説!

f0090954_05513532.jpg著者の和田竜は元々TV番組制作会社のシナリオライターとして働いていました。 そうした経歴からか、彼は小説を書き下ろす前にシナリオを書くそうです。

すなわち、小説を原作にして映画脚本を作成する手間が要らないということです。

それは、この「忍びの国」だけでなく、すでに映画化された「のぼうの城」、水面下での映画化の権利獲得競争激化の「村上海賊の娘」(主演は杏とか綾瀬はるかとかいろいろ噂はありますが)にもあてはまります。 脚本、先にありきですね。

そして和田竜の作品の素晴らしいところは、融通無碍、荒唐無稽、奇想天外の物語にしっかりとした歴史的根拠を絶妙に挟み込んでくれているところです。 このリアリティとフィクションの調合具合がまことに読者の側にとっては嬉しいのです。

適度に自分の歴史知識が刺激され、かつ面白い物語に仕上がっているのです。

物語は、天正4年(1576年)11月25日の織田信長と当時北畠家の養子となっていた信長の次男の信雄の命を受けた北畠家の旧臣(長野左京亮、日置(へき)大膳、柘植三郎左衛門)等が、南北朝時代から足利尊氏、足利義満等、足利幕府に敵対してきた伊勢(現在の三重県)を本拠とする名門北畠家の八代目の国司北畠具教(とものり)を討つ、三瀬の変から始まります。

そして、天正6年(1578年)の第一次天正伊賀の乱が物語の目玉です。 そうした歴史事件を軸に、桁外れに強いものの怠け者で剽軽な「無門(映画では大野智)」と呼ばれる伊賀百地家の下人や彼が唯一頭の上がらない簒奪嫁?武家出身の「お国(石原さとみ)」や後の石川五右衛門「文吾」、百地家頭領の百地三太夫(國村準)、裏切り者となって北畠信雄陣営に加わる下山平兵衛(鈴木亮平)等のキャラクターが丁寧に描かれていきます。ちなみに伊勢谷友介は日置大膳役です。

少数の伊賀勢が8000人の北畠信雄軍を壊走させた第一次伊賀の乱の後、「村上海賊の娘」が活躍する石山本願寺との抗争が激しくなり、信雄もそちらに駆り出されます。

伊賀の国が、再び織田信雄を総大将に5万の兵の侵攻を受け、壊滅状態になったのは天正9年(1581年)の第二次天正伊賀の乱のことです。

忍びとして、お金に汚く、人殺しをなんとも思わなかった「無門」の成長物語という側面が好印象の物語でした。

さて、原作は読んだ。 その原作の前に作成されたシナリオ(脚本)を下敷きにした映画を観に行きますかね?

そろそろ夏休みですね。 小5の「歴坊」の孫君からは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「関ケ原」とこの「忍びの国」のリクエストがありましたが、小1の孫嬢はどうでしょう? 興味を持ってくれるかな?

by zoompac | 2017-07-19 05:59 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)
RELEASE INFORMATION NEW ALBUM

[通常盤]「Now On Sale!!」
TOCP-66380/¥2,548(税込)

[DVD付 初回生産限定盤]
「Now On Sale!!」
TOCP-66381/¥3,500(税込)

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