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映画、読書、ワイン、旅、駅伝、柔道、スポーツ観戦、趣味の世界
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2017年8月のスポーツ記事_陸上に柔道にイベント満載の月!

陸上は、インターハイ、世界陸上@ロンドン、全日中の記事で9本になりました。世界陸上で寝不足気味な日々が続きました。 日本人選手の実力と世界のレベルに大きな差があることを痛感しました。

高校選抜陸上女子5000mを制した小笠原朱里、男子10000mのタイムでトップだった中谷雄飛、北海道マラソンで優勝した村沢明伸(日清食品グループ)、前田穂南(天満屋)等の記事もアップしたかったです。

陸上、インターハイ、世界陸上@ロンドン、全日中等(9本)
170803- インターハイ陸上2017 結果_男子800m、1500m、5000m
170804- インターハイ陸上2017 結果_女子1500m、3000m_田中希美が3000で8分台ランナーに名乗り!
170805- 続・高校生スーパールーキー達(佐々木塁、服部凱杏、馬場勇一郎、林田洋翔)のインターハイ陸上イ2017の総括
170807- 超人モハメド・ファラーの底力_世界陸上2017@ロンドン男子10000m
170808- 女子10000mは超人A.アヤナの独り旅_周回遅れ選手続出の世界陸上2017@ロンドン
170809- もっと見たい!男子マラソン川内優輝の根性走り_世界陸上2017@ロンドン
170817- 2017年も陸上1500mの中学生記録更新_石田洸介、浅川中(福岡)
170823- 男子は石田洸介が1500、3000で二冠、去年のリベンジを果たす_2017全日中陸上
170824- お待たせ不破聖衣来、予選敗退の去年から一転、今年は大化けで女子1500mの頂点に君臨!_全日中陸上2017

柔道も、インターハイ、世界柔道@ブダペストで6本の記事をアップできました。世界柔道での日本人選手のゴールドラッシュがまだまだ続きそうな予感がしています。

柔道、インターハイ、世界柔道@ブダペスト(6本)
170812- 村尾三四郎、三冠となった団体優勝に続いて、インターハイ柔道個人90㎏でも優勝!
170814- 女子52㎏級阿部詩、今季春夏個人戦を連覇_インターハイ柔道
170815- 素根輝が研究しつくされ苦しんだものの最重量級制覇_インターハイ柔道2017
170816- 70kg級の朝飛七海・真実姉妹に注目!_ インターハイ柔道2017
170830- 4年ぶりに世界柔道選手権チャンピオンに返り咲いた新生高藤直寿_男子柔道60㎏と驚異のバランスの良さで初出場初優勝を飾った遅咲きの渡名喜風南_女子柔道48㎏
170831- 日本勢の勢い止まらず、2日続けて男女が金_男子66㎏級の阿部一二三と女子52㎏級の志々目愛、2人の共通点は兄妹柔道家!

ゴルフ
170813- メジャー初制覇の期待高まる松山英樹の2日目_全米プロ首位タイ!

バドミントン
170829- 奥原希望_世界バド@グラスゴーで粘り抜いて悲願のV_日本女子シングルス初の快挙!

総括
170802- 2017年7月のスポーツ記事の総括_今月のイチオシは女子高柔道家素根輝(あきら)の団体戦5人抜き優勝!

# by zoompac | 2017-09-03 06:51 | スポーツ | Comments(0)

2017年8月の読書、映画などの総括_連想ゲームのように繋がった乱読のセレンディピティ

大航海時代をこじ開けた胡椒の歴史から、東インド会社、インド独立運動、大東亜会議と連想ゲームのように展開した8月の読書でした。 切れ切れの事項が、結びついて流れになった印象を持ちました。 ジグソーパズルの真ん中あたりがカチッとはまったような感じです。

深田祐介の「黎明の世紀」の流れから、今は、小池百合子氏の愛読書と言われる「失敗の本質(日本軍の組織的研究)」を読んでいます。

読書(6冊)
170806- 読書 「胡椒_暴虐の世界史」 マージョリー・シェファー _血塗られた胡椒と2つの東インド会社の歴史
170810- 読書 「翔ぶが如く 1巻」司馬遼太郎_明治維新の功労者たちの過去とこれからのモザイク画
170821- 読書 「翔ぶが如く 1巻」の司馬遼太郎の余談_シュテファン・ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」を読者に勧める名文章!
170825- 読書 「東インド会社」浅田實_江戸時代300年の時代、中国、インド、東南アジアで交易にいそしみやがて植民地帝国主義を呼び込んだ東インド会社の足跡!
170826- 読書 「中村屋のボース」 中島岳志_新宿中村屋のインドカリーの創始者で、大東亜共栄圏構想の下インド独立運動に生涯を捧げた帰化インド人の波乱万丈物語
170827- 読書 「黎明の世紀」 深田祐介_アジアの解放を目指した大東亜会議(The Assembly of Greater East Asiatic Nations)

夏休みの孫のお泊りのメインイベントとなった恒例の映画鑑賞ということでお子様向け映画を中心観ました。読書の東インド会社(パイレーツ・オブ・カリビアンにも登場していますね)の流れからアヘン戦争、アヘン戦争から映画「ラストエンペラー」に繋がり、今はその「ラストエンペラー」の流れに乗って、浅田次郎の「「天子蒙塵」を読んでいます。
8月の最後の日曜日に、午前十時の映画祭@TOHOシネマズ日本橋でオードリー・ヘップバーンとピーター・オトゥール主演の「おしゃれ泥棒」を観たのですが、8月最後の週は世界柔道の記事アップに忙しく、8月の映画に割り込ませることができませんでした。お子様向け映画を観た反動で、大人の映画が観たくなりました。

映画(5本)
170811- 映画 「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」_世代交代を感じた映画
170818- 映画 「忍びの国」 小説より断然わかりやすかった銭ゲバ伊賀忍者軍団!
170819- 映画 「メアリと魔法の花」_7年に一度しか咲かない禁断の魔法の花「夜間飛行」を巡っての物語
170820- 映画 「スパイダーマン ホームカミング」_いろいろな意味でお帰りって言いたくなる映画!
170828- 映画 「ラストエンペラー」_浅田次郎著作の「天子蒙塵」を興味深く読むためにうってつけの映画!

TVドラマ
170822- NHK海外ドラマ 「女王ヴィクトリア 愛に生きる」_興味深いヴィクトリア王朝の内幕!

総括
170801- 2017年7月の読書と映画の総括

# by zoompac | 2017-09-02 06:56 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

男子73㎏級は橋本壮一が初出場初優勝(日本人選手4人目)、 新ルールというか審判の優柔不断さに屈した女子57㎏級芳田司の銀メダル獲得は本戦と併せて13分近い消耗戦の末_世界柔道2017@ブダペスト

f0090954_05581376.jpg男子73㎏級五輪覇者の大野将平が休んでいるうちに橋本壮市(パーク24)が国際大会で実績を上げ、ランキング1位で世界選手権大会@ブダべストを迎えました。

2015年のグランプリ青島、2016年のアジア柔道選手権@タシュケント、ワールドマスターズ@グアダハラ、グランドスラム東京、2017年2月のグランドスラムパリ、5月のグランドスラム@エカテリンブルグと国際大会6連勝中でした。

そしてこの世界選手権で彼の実力は証明されましたね。

奇しくも、決勝での対戦相手はリオ五輪で大野将平から決勝で1本負けを喫して銀メダリストとなったアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフでした。

橋本壮市も大野将平が下した相手に負けるわけにはいかない試合でした。 GSに入って体落としで技ありを獲っての初出場初優勝を飾りました。(今大会での日本人選手の初出場初優勝が多いことに驚きます。女子48㎏級の渡名喜風南、女子52㎏級志々目愛、男子66㎏級阿部一二三に続いて4人目が73㎏級の橋本壮一でした。)

国際大会での連勝記録を7に伸ばしましたが、その7つ目は世界選手権という頂上にそびえ立つ檜舞台でした。これで橋本も正真正銘の頂点に立つこととなりました。

今年26歳の橋本壮市は、しかし、これで東京五輪に向けての戦いのスタートラインに立ったところです。この階級にはリオ五輪チャンピオンの大野将平(25歳)がいますし、東海大の6年後輩の立川新(19歳)も急成長してきています。今年4月の体重別でも決勝で立川と対戦し結局橋本が優勝しましたが、圧勝ではなくGSに入って指導2差での勝ちでした。今後の三つ巴の戦いが楽しみです。

女子57㎏級ではロンドン五輪金メダリスト、リオ五輪銅メダリストの松本薫が産休中です。f0090954_05590346.jpg

そこで代表入りを果たしたのが世界ランキング2位の芳田司(21歳、コマツ)でした。

順当に勝ち上がって決勝まで進み、そこで対戦したのが世界ランキング1位のリオ五輪銀メダリストのスミヤ・ドルジスレン(モンゴル)でした。

芳田にとっての決勝戦はまさに死闘でした。結果を先に言うと、芳田司は銀メダルでした。初出場で銀メダルは立派ですが、金に手が届きかけていただけに残念な結果に思えました。新ルール適用に戸惑う審判の微妙な判断、判定に左右された試合に思えました。

本戦4分の後ゴールデンスコア(GS)の延長戦での戦いは8分55秒に及びました。すなわち本戦、GS戦併せて約13分近くの体力消耗戦となったのです。

今までのルールであれば、芳田が繰り出す足技で芳田の勝利が何度も確定していました。しかしこれまで通用した「有効」「効果」のポイントがなくなったのです。技あり以上しか認められなくなったのです。それでもGS形式の延長戦では技ありの解釈が拡大され、芳田の足技も技ありに近いと思えるものが3回はありました。

勝負に決着をつけたドルジスレンの首投げ風の腰車でしたが、芳田の体が回転して腹這い風に逃れたように見えました。

GS方式で互いに決め手を欠き千日手のような形で時間が経っていくので審判も焦ったでしょうね。ここであの程度の決めでで技ありにするなら芳田の今まで繰り出した技のどれでも技ありでよかったじゃないかと思えました。

こんな消耗戦のようなGS延長戦が今後増えるようだと、柔道にも相撲でいうところの「水入り」休憩制度を採用することを検討しないと選手には過酷ですね。

# by zoompac | 2017-09-01 05:59 | スポーツ | Comments(0)

日本勢の勢い止まらず、2日続けて男女が金_男子66㎏級の阿部一二三と女子52㎏級の志々目愛、2人の共通点は兄妹柔道家!

f0090954_07370949.jpg初出場初優勝という初々しさは阿部一二三にはありませんでした。 「俺って強いんだぜぇ~!」と常に自分に言い聞かせている自信の塊って感じです。威風さえ感じる王者の風格が漂っていましたね。

強敵との前評判の高かったウクライナのザンタライアとの対戦も相手に柔道をさせず大人が子供をあしらっている風にさえ見えました。格の違いをまざまざと見せつけられました。

決勝でも、ロシアのミハエル・プリヤエフを袖釣り込み腰で豪快に投げ飛ばしていました。(写真) この高い打点からの投げ技は、92年バルセロナ五輪の覇者古賀稔彦氏を彷彿させますね。

6試合中5試合で1本勝ちを収め、「圧倒的な力を見せつけて優勝する」という言葉通りの有言実行ぶりを見せつけられました。海外からの注目度も高く評判で持ちっきりだったようで、阿部一二三は日本のスターから世界のレジェンドとしての第1歩を踏み出したようです。

ルールが変わって、技あり2つの合わせ1本が無くなったので、阿部にとって1試合で技あり3って試合もありました。しかしながら、有効とか効果がなくなり、本戦中は指導のポイントが加味されないルール変更まさに阿部にとっては追い風でしょう。投げて投げて投げまくって、これが本家日本の1本を獲れる柔道としての阿部の戦いぶりはブダべスト発の情報拡散で世界の柔道界に大きな衝撃を与えたと思います。

阿部一二三と違って、初出場初優勝の志々目愛(了徳寺学園職)は初々しくて微笑ましかったです。 試合後のインタビューでは、こみ上げる喜びに涙が止まりませんでした。 今まで流した悔し涙を超えるほどのうれし涙だったのでしょう。f0090954_07372430.jpg

準々決勝でリオ五輪銅メダリスト、準決勝でリオ五輪金メダリスト(コソボのケルメンディ)を破ると、決勝の相手は同じ了徳寺学園職員の1年先輩である角田夏実でした。その角田から見事な内股1本を奪って23歳の志々目愛が優勝を飾りました。(写真右が志々目、左が角田です。)

特に、準決勝での世界ランキング1位のマイリンダ・ケルメンディとの9分半の死闘を内股透かしの技有りで制した試合は今後の志々目にとって大きな自信となりそうです。

志々目愛は4月の体重別選手権の準決勝で過去2戦2敗の阿部詩を内股技ありで破り、決勝では昨年12月のグランドスラム東京の準決勝で腕挫十字固で敗れた相手角田夏実をGS入りした後大外刈り技ありで退けて初優勝を収めました。

阿部詩、角田夏美、志々目愛の代表選考は三つ巴となりましたが、他の二人に比べて志々目の国際試合での好成績の実績が評価され、結局、志々目愛と角田夏実の2人に決まりました。

角田は6月に寄生虫(アニサキス)による食中毒、そしてその後練習中に鼻の骨が曲がるアクシデントがありましたが、決勝に上がるまでの2試合でトレードマークの腕挫十字固で1本勝ちを収めるなど、彼女も初出場ながら銀メダルの快挙でした。世界選手権で存在感を示せたと思います。曲がった鼻の骨をボールペンを突っ込んで矯正したそうですよ。猛者ですね。

20歳の日大2年の阿部一二三の妹と17歳のスーパー高校生阿部詩(兵庫県の夙川学院高校2年)が柔道兄妹として有名ですが、元祖は60㎏級の志々目徹(25歳)と妹愛(23歳)です覚えておきましょう。

この女子52㎏級には福岡大3年の立川莉奈(21歳)という強豪もいます。彼女の弟が73㎏級の東海大の立川新(19歳)です。去年11月の講道館杯で姉莉奈は決勝で角田夏実に敗れて2位(このときの3位が阿部詩)、弟新は優勝でした。この姉弟の二人は今年8月20日~24日のユニバーシアード@台北の柔道でそれぞれ優勝していました。 2007年に穴井隆正、さやかの兄妹が優勝して以来の兄弟?優勝の快挙でした。

こうしてみると、柔道の強いお兄ちゃん、お姉ちゃんに触発されて、自分も柔道の道に入る、妹や弟が多いってことがわかりますね。

阿部兄妹、志々目兄妹、そして立川姉弟の今後の活躍に注目しましょう。

# by zoompac | 2017-08-31 07:41 | スポーツ | Comments(0)

4年ぶりに世界柔道選手権チャンピオンに返り咲いた新生高藤直寿_男子柔道60㎏と驚異のバランスの良さで初出場初優勝を飾った遅咲きの渡名喜風南_女子柔道48㎏

f0090954_05482192.jpgいよいよ世界柔道選手権@ブダベスト、ハンガリーが始まりました。 126か国、731選手が参加する史上最大の規模の試合が7日間に渡って繰り広げられます。

初戦となる男子60㎏級では、久々に強い高藤直寿(24歳、パーク24)を観ました。

派手さともろさが共存している試合が多く、豪快に技を決める場面もある反面ひやっとする場面もしばしばという高藤音頭が鳴りを潜めていました。

決勝では、アゼルバイジャンのオルカン・サファロフを相手に、相手の仕掛けた技にうまく体重を預け大内刈りで切り返しての1本勝ちでした。後の先に徹していたような試合運びでした。

強力な攻撃力を誇る高藤が勝負にこだわって研究し防御から攻撃に瞬時に切り返す技を相当磨いたという感想を持ちました。

ジュニア時代から独創的な発想から繰り出す変幻自在の攻撃で天才の名を欲しいままにし2013年の世界選手権には初出場初優勝という快挙を成し遂げました。

金メダルの期待のかかったリオでは準々決勝で一瞬の隙を突かれ、攻撃の天才性を発揮する間もなく、やっと掴んだ銅メダルでした。その後も、後輩の永山竜樹に一瞬の隙を突かれ投げ飛ばされるなど脆さが目立っていた高藤が勝負に目覚めましたね。 派手な攻撃柔道から防御を固めたカウンター攻撃にスタイルを変えました。

4年の雌伏の時を経て新生高藤が誕生してくれました。 この世界選手権の大舞台で3大会ぶり2度目の優勝を飾ることができました。

ちなみに高藤と共に世界柔道@ブダペストの60㎏級に出場した永山竜樹は3回戦敗退でした。

女子は帝京大の渡名喜風南(となき・ふうな、22歳)が優勝でした。f0090954_05490170.jpg

4月の体重別では、この大会で銅メダルとなった三井住友海上の近藤亜美と延長戦にもつれ込む死闘の末、敗れはしましたが、近藤と共に世界代表に選ばれ、初出場初優勝の快挙を達成しました。 両親が沖縄出身ですが、彼女は神奈川県生まれの神奈川県育ちだそうです。

実は、渡名喜風南と近藤亜美は同学年です。

2013年8月のインターハイの決勝で当時高3だったこの二人は対決し、近藤が優勝をしています。

その後、近藤は2013年のグランドスラム東京、2014年の体重別で優勝すると、世界選手権@チェリアビンスク(ロシア)の代表に選ばれ、初出場初優勝に輝いたのです。

華々しく世界の大舞台に登場した近藤の背中は遠かったでしょうね。 遅ればせながら、渡名喜風南、参上です! 今大会もランキング3位の近藤亜美が優勝候補筆頭とされる中、ランキング13位の渡名喜が世界選手権、初出場初優勝の快挙でした。

今後も、近藤と渡名喜が切磋琢磨して日本の柔道を盛り上げていって欲しいです。


# by zoompac | 2017-08-30 05:51 | スポーツ | Comments(0)

奥原希望_世界バド@グラスゴーで粘り抜いて悲願のV_日本女子シングルス初の快挙!

f0090954_04482700.jpg日曜日の深夜に録画した、奥原希望(オクハラノゾミ、日本ユニシス、22歳)の決勝を観ました。

決勝の相手は、リオ五輪の準決勝でストレート負けを喫した同じ22歳のシンドゥ・プルサラ(インド、リオ五輪銀メダリスト)でした。(ちなみに五輪金メダリストのマリン(スペイン)は、この大会三連覇を狙っていましたが、準々決勝で奥原に屈していました。)

リオ五輪では、奥原は結局銅メダルを獲得し、日本のバドミントン史上初のシングルスでのオリンピックメダリストとなりましたが、それで満足はしていませんでした。

五輪後に右肩を痛め、昨年末の全日本総合選手権で涙の途中棄権でした。このときの彼女の涙を見ていたからこそ嬉しさも倍加した奥原の快挙でした。

今年3月に実践復帰となったものの、完全復活までまだ時間がかかると思っていたのに凄いですね。

粘りが身上だと言います。しぶとく球を拾い、得意の我慢比べに持ち込んで勝機を見出すのが得意のパターンなのだそうです。(背面に飛びながら自分の後方にあるシャトルをスマッシュするこの一枚の写真に魅せられました。これは決勝ではなく準決勝の試合でのシーンだと思います。)

テニスでも卓球でもそうですが、「決めた!」と思った球が拾われてしまうと、対戦相手の調子は狂ってしまいますよね。

奥原の身長が156㎝だそうです。185㎝の竹内涼真と映画やドラマで共演してその身長差がちょっとした話題になっていた高畑充希(ドラマ「過保護のカホコ」155㎝~157㎝)や土屋太鳳(映画「青空エール」155㎝)とさほど変わりません。ただ、その奥原の小さな体には底知れぬ忍耐力と根性が詰まっているようです。

一方決勝戦の対戦相手シンドゥ・プルサラの身長はなんと179㎝でした。 その差、なんと23㎝です。 そんな長身から繰り出されるスマッシュを拾いまくっていました。 ラリーが73回って局面もありました。 一進一退のゲーム展開で、まさに驚異の粘り、驚愕の”おしん”ぶりでした。

21-19、20-22、22-20でのゲームで僅差であったものの勝利は奥原に転がり込んできました。 死闘といった表現が大げさでない展開でした。 最後の瞬間までどちらが勝つかわからないフルセット2時間に及ぶ接戦でした。

奥原は、高1、高2で全日本ジュニア連覇、高2、高3のインターハイ連覇等、高校時代から天才ぶりを発揮していました。 高2のとき2012年のアジアユースU19で銀メダルも獲得していますが、テレビ解説を聞く限り、そのときの決勝の対戦相手がこのプルサラでした。そういう意味では去年のリオ五輪の雪辱戦だけではなく、5年越しのライバル対決でもありました。 過去7回対決しているらしいですが対戦成績情報はアナウンサーの口からは語られませんでした。

そして奥原は高3の2013年1月に左膝の半月板を損傷し、手術を受けています。

重なる怪我を何度も克服し、日本のバドミントン史上初の五輪メダリストに輝いた翌年の2017年8月というか27日の日曜日ですが遂に世界バドミントンの女子シングルスで日本人女子初となる頂点に立ったのです。

英国スコットランドのグラスゴーで開催されたバドミントン世界選手権のこの大会で、リオ五輪の金さん、銀さんを打ち破り、五輪銅メダリストだった奥原が現時点では実質世界一の座に君臨することになりました。

奥原の世界選手権参戦は2度目だそうです。 2年前の初出場のときは初戦敗退だったようですが、2度目に日本バドミントン界の歴史が変わる偉業を達成してくれました。

東京五輪に向けてやや早すぎる快挙という気がしないでもありませんが、ここから世界選手権も連覇し、東京開催の五輪大会では是非金メダルを獲って欲しいですね。おしん奥原希望が大きな一歩を踏み出しました。


# by zoompac | 2017-08-29 04:56 | スポーツ | Comments(0)

映画 「ラストエンペラー」_浅田次郎著作の「天子蒙塵」を興味深く読むためにうってつけの映画!

f0090954_06065660.jpg「ラストエンペラー」(The Last Emperor)は、1987年公開のイタリア、中華人民共和国、イギリス合作による、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画です。

この映画の歴史的背景を軽く振り返っておきます。

朝鮮の支配を巡り1894年に日清戦争が起きますが、この戦争に負けたこと、その後義和団という排外運動が鎮圧され、日・露等八か国の連合軍により首都北京が1901年に列強の手に落ちることによって、清王朝の半植民地化が決定づけられます。

そんな中、民族資本家の孫文が外国で成功していた民族資本の華僑に呼びかけその勢力を結集、1905年に東京で中国同盟会を立ち上げ、民族独立、民権伸長、民生安定の三民主義を揚げ、近代化をを主張します。

清朝、最後の皇帝愛新覚羅溥儀は、その1年後の1906年に、3歳で清朝第12代皇帝にして最後の皇帝となるのです。 孫文の民族資本の革命運動が全国に拡大し、武装蜂起に繋がった辛亥革命の起きた1912年、宣統帝溥儀が退位し清朝が滅亡するのです。

映画では、しかし溥儀は紫禁城の外のことは何も教えられず、彼が紫禁城から追放されるのは1924年なのです。

ピーター・オトゥール演じる英国人(厳密にはスコットランド人)レジナルド・ジョンストンが溥儀の家庭教師となるのは1919年ですし、溥儀が正妻、第二夫人と結婚するのは1922年です。 そのときの溥儀は紫禁城の主でしたが、もはや中国国家の主ではありませんでした。

今、浅田次郎の「天子蒙塵」を読んでいます。というか、浅田次郎の「天子蒙塵」を興味深く読むために、この映画 「ラストエンペラー」を観たというのが実のところです。

一巻では、ラストエンペラー溥儀の離婚劇が離別する側妃・文繍の視点から描かれています。映画ではよくわからなかった宮中でのしきたりや人間関係がよくわかります。

映画では、結婚したばかりの溥儀が正妻と布団の中でいちゃいちゃしていたところに側室の文繍がまるでお遊びのような感じで私も仲間に入れてと布団にもぐり込んでいわゆる3Pのシーンが印象的でしたが、「天子蒙塵」では、正室、側室の家柄のことや、正室と側室の分岐となった要因等がまことに興味深く語られています。

まだ三分の一しか読んでいないのですが、映画で一通りの展開は頭に入っているので、これからの展開が楽しみです。

映画では坂本龍一の演じた片腕の甘粕正彦大尉や川島芳子(清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。川島家の養女となり、諜報活動に従事した事で有名です。映画では甘粕の愛人のようにも捉えられていました。)が強烈なカリスマ性を発揮していたことも大変印象に残りました。満州国は日本軍の傀儡政権だったってことですね。「天子蒙塵」の二巻では、その謀略に石原莞爾や後の総理大臣吉田茂ら日本人が絡んでくるようです。

東亜という日(日本)、満(満州)、支(支那)を核にして、南方の国々も満州化(日本の傀儡、植民地化)しようとした大東亜共栄圏構築に向けて、大東亜戦争の足音が迫ってくる中、この物語の展開から目が離せなくなってきそうです。

ちなみに、「天子蒙塵」とは、天子が塵をかぶって逃げ出すことです。 紫禁城脱出のときのイメージでしょうか。

# by zoompac | 2017-08-28 06:08 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「黎明の世紀」 深田祐介_アジアの解放を目指した大東亜会議(The Assembly of Greater East Asiatic Nations)

f0090954_07090162.jpg今、改築中の「東京會舘」が戦後の日本を統治していたGHQの本部だったということは知っていましたが、1943年11月に東京で大東亜会議が開催された頃は、大東亜会館と呼ばれていたことは知りませんでした。大正11年に皇居の前に建てられ国際社交場をはじめ時代に応じて様々な役割を果たしてきた東京會舘の大正、昭和、平成という時代の歩みについては辻村深月の「東京會舘とわたし」に詳しいですが、大東亜会館と呼ばれていた時代があったということは、私が読み落としていたのかもしれません。

その1943年の大東亜会議(アジア地域の首脳会議)は、同年5月の御前会議で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催されました。参加した国と、国の代表は次の通りです。
(ちなみに「東亜」とは日満支(日本、満州、支那)、それに南方を加えたものが「大東亜」とされました)

日本(大東亜共同宣言中の表記は「日本国」):東條英機内閣総理大臣
中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
満州国:張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)
インド:この時点では本土がまだイギリスの植民地支配下にあったインドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた亡命政権である自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加しました。

また、イギリスの植民地であったマライや、オランダの植民地であったインドネシアは会議当時は日本軍の占領下であったものの、大東亜政略指導大綱において帝国領とすることとされ、独立検討の対象ですらなかったようです。仏領インドシナは日本と友好関係にあるフランスのヴィシー政権の植民地のままであったため参加していません。

ただ、インドネシアのスカルノ・ジャワ中央参議院議長は、11月5日~6日の大東亜会議の後、13日に来日し、17日間に渡って東條英機等軍人の歓待を受けました。独立国の元首でないから、外務省も大東亜省も関りを持ちませんでしたが、なんと予想外にも昭和天皇拝謁の機会を得たのです。

ただ敬礼をして、御前を退出するものと教えられたスカルノは驚愕することになります。 なんと、天皇が歩み寄りスカルノに握手を求め、スカルノの手を握ったのです。仰天した高官曰く、天皇陛下は外国の高位にある人に対してでないかぎりこんなことはしないのだそうです。

著者の深田祐介氏は、「スカルノに握手を求めた天皇の真意は、(大東亜)戦争目的が、「アジアの解放」にあることを、宮中慣例を破ってまで率先身をもって示そうとしたのではないか」と言っています。これは、軍側が認識している戦争目的「自存自衛」への天皇の不満の表れではないかとも感想をもらしていました。

皮肉なことに、「アジアの解放」の理念は、大東亜会議に正式に招かれず、大東亜共同宣言にも署名しなかったスカルノのインドネシアにおいて発揮されました。1949年12月にオランダは全蘭領インド諸島を、インドネシア共和国初代大統領スカルノに引き渡すことに同意しました。

アジア解放を信念として行動した日本人が存在したのもまぎれもない事実でした。日本の敗戦が決まった後のインドネシアで、故国への望郷の想いを捨て、オランダに対する独立戦争に参加した約1000人の日本兵がいたそうです。

私は1980年~1983年にインドネシアのジャカルタに赴任していましたが、私の前任の日本人が1941年に当時の拓南省が創設した教育機関「拓南塾」出身の方でした。今月の文藝春秋に記事が載っていますが、2つの行動規範1)南方を墳墓の地と覚悟せよ、2)日本人として完成し内外人の模範たれ、を徹底し、マレー語と英語の習得に大きな比重(適正語として排斥する世間の風潮にはお構いなく)を置いた学習をしたそうです。その他、南方経済、南方土俗学、南方地理、南方史、南方事業経営を学びました。

その後、主管が拓南省から大東亜省に変更、昭和18年にはさらに大東亜錬成院に変更され、南方だけでなく中国への派遣員養成機関の統合され、当初の民間会社への派遣から、軍属への派遣に派遣先が変えられ、入魂教育の名の下鉄拳制裁が横行したそうです。

伸び伸びと大東亜共栄圏創設の理想に燃えて学習に専念できた一期生とその後の生徒とでは軍の介入によって大きく学習環境が変わったようですが、日本の戦後もオランダに対する独立戦争に参加した約1000人の日本兵の中にこうしたアジアの解放を実現せんとし初志貫徹された拓南塾の第一期生も多かったと思われます。

# by zoompac | 2017-08-27 07:09 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書 「中村屋のボース」 中島岳志_新宿中村屋のインドカリーの創始者で、大東亜共栄圏構想の下インド独立運動に生涯を捧げた帰化インド人の波乱万丈物語

f0090954_06433032.jpg私は、新宿中村屋のインドカリーが好きです。 通算で10年あまり監査役の仕事に従事していますが、その監査役研修会が新宿にある会場で開催されることが年に複数回あり、その度にランチを新宿中村屋でとる機会があります。 私が食べるのは決まって「インドカリー」です。

私にとっては、今から約40年前の大学生活を送った大阪在住時代からの好物カレーです。 今は無くなってしまいましたが、昔梅田駅の阪急三番街の地下に新宿中村屋のレストランがありました。 下宿先から梅田駅に出たときは、この新宿中村屋のインドカリーか、同じく三番街地下にある(これは今でもあります)店名「インディアンカレー」のカレーを食べるのが楽しみでした。そうです私の好きなカレーは「インドカリー」と「インディアンカレー」のカレーなのです。紛らわしいですね。

その中村屋の目玉商品・インドカリーを誕生させたのが、ラース・ビハリー・ボースでした。

その伝説のカレー誕生秘話かと思い、この「中村屋のボース」の本を手に取りました。

内容はイメージしていたものとは似て非なるものでした。

ラース・ビハリー・ボース(R.B.ボース)は、1915年に日本に亡命したインドの反英独立運動の闘士でした。 インドを植民地支配するイギリスに対する過激なテロリストだったと言っていいかもしれません。 彼が日本に亡命した後も、イギリスは外交筋(在日イギリス大使館)を通じて日本政府にR.B.ボースの身柄拘束、引き渡しを執拗に要求していました。

R.B。ボースの日本亡命は彼が58歳の生涯を日本で閉じる1945年1月まで約30年続きました。多くの人命を奪った大東亜戦争が終結する7ヶ月前であり、彼が15歳の時に目覚めた祖国インドが独立(1947年8月15日)した2年半前のことでした。

日本へ亡命したR.B.ボースを執拗に追いかけるイギリス政府筋/日本の警察から、彼の身を守ったのが、頭山満を筆頭とする玄洋社・黒龍会のアジア主義者たちでした。

亡命後のR.B.ボースは、留学中の孫文や、頭山満、大川周明、北一輝、宮崎滔天等と親交を深めていきますが、日本政府がついに日英同盟(1922年に廃止)の下で英国外交筋からの圧力に屈し、R.B.ボースに国外退去命令を下します。

このとき、新宿中村屋の常連に玄洋社と係わりをもつ者がいて、R.B.ボースを新宿中村屋の離れに匿ったのです。 困難な地下生活は1918年まで続きました。 1918年にドイツが連合国との第一次大戦の休戦協定に応じたため、英国がR.B.ボースを「ドイツの諜報活動と通じている」として日本国外撤去を求めていた大義名分が失効しました。

R.B.ボースの1915年~1918年の地下生活時代のなぐさみの1つがカレー作りでした。 後の中村屋の「インドカリー」として正式に商品化されたのはその時代から10年以上たった1927年のことでした。

R.B.ボースは、この年に地下生活を献身的に支えてくれた中村屋店主の娘と結婚し、1920年に長男、1922年に長女を設け、翌1923年に日本に帰化しました。 日本のナショナリスト、政治家、軍人たちと交流し日本国内での発言力を高めていきます。 堂々とインド独立実現へ向けて反英独立運動に奮闘する中、アジア大陸進出を急速に推し進める日本の壮大な軍事作戦にも深くかかわっていくことになります。

中村屋のインドカレーには、過酷な地下生活、ささやかなロマン、さらに過酷な20世紀前半のアジア史に翻弄された革命家R.B.ボースの夢がたっぷり隠し味になっているようです。

英国の植民地政策でインド以外のビルマ、マレー半島、シンガポール統治で重要な役割を果たしていたインド人傭兵(セポイ)が、日本軍の大陸侵攻に触発され、日本軍の捕虜になるよりインド独立戦争を共に勝ち取る大義名分を与えられ、マレー大陸侵攻、シンガポール陥落に大きな貢献をしたエピソードは特に興味深く読みました。

さらに状勢が悪化する中でのインパール作戦もそうしたインド人兵士たちのインドへの夢の実現のため敢行された一面があったこと、1943年の東京で開催された大東亜会議に参加したインド代表のチャンドラー・ボースはR.B.ボースからマレー大陸に点在するインド独立のためのインド兵を統括する役割を引き継いだ別人というか後継者であることも知ることができました。

この本を読んだ後食べる中村屋のインドカリーはさぞかし複雑で深い味わいカリーとなる予感がしています。

# by zoompac | 2017-08-26 06:44 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)

読書「東インド会社」浅田實_江戸時代300年の時代、中国、インド、東南アジアで交易にいそしみやがて植民地帝国主義を呼び込んだ東インド会社の足跡!

f0090954_05355667.jpg大雑把な言い方になりますが、イギリス東インド会社の設立から終焉は日本の江戸時代とほぼ重なります。

イギリス東インド会社は1600年に設立され、1858年に解散しました。ただ会社株主への配当金を支払う義務が1874年まで続きましたので正式な解散は1874年としたほうがいいかもしれません。東インド会社は1877年にインドの統治権をヴィクトリア女王に譲り英領インドである「インド帝国」が成立しました。

余談ですが、今、NHK海外ドラマで「女王ヴィクトリア 愛に生きる」が全8話が放映中です。日曜日の午後11時からの放送で、先週第4話が終わったところです。幼くして女王の座に就いたヴィクトリアを巡って親戚一同が様々な手管で女王の指南役になろうとするのですが、女王が確固たる主張を持ってそれらの画策を砕いていく様が痛快です。 指南役として女王を操れないのなら、次なる策略は、女王との婚姻です。親戚一同、自分の血筋に近い年頃の息子や甥等を女王に近づけて何とか気を引こうとします。そんな中、女王ヴィクトリアはドイツ人アルバートと婚約を交わします。

閑話休題

「東インド会社」の東インドとはインドネシアのことです。

そういう意味では、東インド会社としては1602年に設立し、後にインドネシアを植民地にしたオランダ東インド会社が設立当初は特に胡椒貿易の実績でイギリス東インド会社を圧倒していました。

設立当初、スパイス取引の特許状を与えられただけのイギリス東インド会社に対し、オランダの東インド会社はオランダの国そのものだったのです。小さなオランダ本国より、むしろこのオランダの東インド会社のほうが権威も権力も大きかったかもしれないくらいでした。

外国の指導者との条約交渉権限も与えられていましたし、兵を雇って、外国の地に要塞を建て、船を武装することもできました。基本的には軍隊まで擁した会社で、植民地政策もこの会社が自在に実施できたのです。

インドネシア等の胡椒栽培に恵まれた土地はいち早くオランダに占められます。その繁栄ぶりは、一大海上帝国といった様相で、17世紀の東南アジアでの胡椒取引の支配者はオランダ東インド会社だといっていいほど、イギリス東インド会社との開きがありました。

さらに、イギリスの東インド会社が、航海一巡りだけの単発ベースでの資金集めだったのに反し、オランダ東インド会社は、一航海貿易単位の資金集めではなく、会社が永続的に貿易をするという前提で、出資者の投資も10年単位の長期投資という縛りをつけました。

イギリスの東インド会社も、1657年に議会が介入し、一航海が終わるたびに出資金+分配金を投資家に返す資本分割を止め、株主への配当金は収益部分だけから行う、いわゆるオランダ東インド会社方式に変えました。オランダの東インド会社が世界最初の株式会社と言われた所以もそのあたりにあります。

オランダは、その資金力の大きさと交渉権を持つ現地での外交力の強みを生かして17世紀の東南アジアにおける胡椒・スパイス交易で独占的な利益を上げました。17世紀はオランダの黄金の世紀であったと言えます。

オランダのインドネシア交易独占のきっかけとなった事件が1623年に起きています。オランダがインドネシア・アンボイナ島のイギリス商館を襲って、イギリス人を追い出してしまったのです。資金力・軍事力に劣るイギリスはこの事件の後、活動方針を変え、インドネシアから撤退し活動拠点をインド中心に絞り込みました。このとき日本の平戸のイギリス商館も閉鎖されました。

アンボイナ島事件は、アンボン事件あるいはアンボン虐殺と言われ、その商館のイギリス人のみならず平戸経由でその島に来ていたと思われる日本人も殺されました。オランダの言い分では、この日本人たちがオランダに対するスパイ活動を行っていたということでした。利益と支配を巡るこの事件が遠因となり、17世紀後半の英蘭戦争を引き起こしたと言われています。

17世紀を風靡した胡椒取引はしかし18世紀になると低迷してきます。必要以上の胡椒が欧州に出回って値段が下がってしまったせいです。

胡椒に替わって主役の座に就いたのがインド産のキャラコ(木綿布)でした。18世紀は、オランダ方式の株式資本調達に切り替えたイギリス東インド会社がキャラコブームに乗ってオランダ東インド会社を圧倒し始めます。

やがて、1757年のインドでのプラッシーの戦いで、結果として地方の徴税取立て権を授与されたイギリス東インド会社はその利得の大きさに目がくらみ、商業資本事業からインド各地を侵略する植民地経営にいそしむことになります。

セポイと呼ばれるインド東部のベンガル出身の傭兵を使ってインド国内の侵略戦争が続きましたが、ちょうど100年後の1857年のセポイの反乱が潮時となります。1858年にはこのあおりを喰らってムガール帝国が滅亡してしまいますが、インドの植民地統治もイギリス国家が行うこととなり東インド会社の役目も終了してしまいました。

東インド会社の役割は終わりますが、本国イギリスは産業革命の波に乗り、ヴィクトリア女王の下で、自由貿易と植民地化を情勢に応じて使い分けパックス・ブリタニカと呼ばれるイギリス帝国の最盛期を迎えることになります。

話しが戻りますが、セポイの反乱の原因がおかしかったです。インド人傭兵のために用意された新しい銃の薬莢に牛脂や豚脂が塗られていたのです。ベンガル出身のセポイはイスラム教やヒンズー教の信徒が多く、牛脂(ヒンズー教徒にとっては神聖な牛)も豚脂(イスラム教にとって不浄な豚)も宗教上受け入れられなかったことから起きた反乱でした。

そのセポイの反乱の前あたりから、中国からの茶の輸入も活発になり、インド農民に栽培させたアヘンをその茶の購入資金に充て始めました。そして、1840年から2年に渡って中国清との間にアヘン戦争を引き起こしました。そのアヘン取引にも関わったジャディーン・マセソン社は、アヘン戦争の賠償としてイギリス統治となった香港を足場にその後も長く活動を続けましたが、著者はジャディーン・マセソン社こそイギリス東インド会社の末裔だと結んでいました。

東インド会社の歴史を通じて、東南アジアにおけるイギリス帝国の植民地統治の歴史も学べる好著でした。

南海泡沫事件や、アメリカ人がお茶を避けてコーヒーを好むきっかけというかアメリカ独立戦争の発端となったボストン茶会事件のエピソードもなかなか勉強になりました。


# by zoompac | 2017-08-25 05:36 | 読書・映画・音楽 | Comments(0)
RELEASE INFORMATION NEW ALBUM

[通常盤]「Now On Sale!!」
TOCP-66380/¥2,548(税込)

[DVD付 初回生産限定盤]
「Now On Sale!!」
TOCP-66381/¥3,500(税込)

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