たそがれ御留書:酒・ワイン・珈琲・旅
2018-12-31T21:58:34+09:00
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映画、読書、ワイン、旅、駅伝、柔道、スポーツ観戦、趣味の世界
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食べ歩き_マガーリmanaged byふみきり@自由が丘
http://zoompac.exblog.jp/30211393/
2018-12-10T14:35:00+09:00
2018-12-11T12:45:57+09:00
2018-12-10T14:35:44+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
以前働いていた外資系企業のワイン飲み仲間と総勢9人で12月の第1週の金曜日に”マガーリmanaged byふみきり”@自由が丘に行ってきました。
以前の職場が六本木にあったためその頃赤坂で営業していたマガーリにはよく通った仲間です。マガーリの赤坂店オープンが2006年でしたのでかれこれ12年お付き合いさせていただいている仲間とお店ということになります。その後マガーリは2011年か2012年頃赤坂から洗足池に移られ、2018年にここ自由が丘に移転されました。
スターターは左の写真の牛のタルタルとオリーブオイルのヌーボーというか一番搾り(ノヴェッロ・オイル)がかけられた人参です。
続いてスズキのソテーにバーニャカウダソース
さらのドイツのメルケル首相もフィレンツェ訪問で食べたというトスカーナ名物パッパ・アル・ポモドーロ(トマトソースのパン粥)です(写真右)。
私にはパンを使ったリボッリータとの区別がつきませんが、リボリータ・トスカーナというスープも名物料理です。
マガーリのマダムに確認したところマガーリで出した右上の写真の料理はパッパではなくリボリータ(野菜たっぷりのパン粥)だということでしたので訂正しておきます。
その後に、猪(チンギアーレ)の赤ワイン煮とトリッパです。(写真左)
皿の左下にあるのがトリッパです。牛の第二番目の胃で日本ではハチノスと呼ばれていますが、それをトマトソース等で煮込んだ料理です。
牛には胃が4つあってミノ・ハチノス・センマイ・ギアラの順に並んでいます。ハチノスは下処理に結構手間暇がかかるので日本のホルモン焼き屋ではほとんど扱っていません。一方、イタリアではハチノス以外の部位の料理がほとんどないというのも不思議ですね。
トリッパはフィレンツェの名物料理としても有名でフイレンツェ式トリッパにはトリッパ・アッラ・フィオレンティーナというご大層な名があります。
この後、トリュフの香りを際立たせるためバターとチーズで作ったソースが混ぜ込まれたタリオリーニが出てきました。
この会に12月に誕生日を迎える主役の方がいて、その人のパスタにだけお店のシェフからストップがかかるまで白トリュフを削り落としてくれる趣向でした。
写真にシェフとその誕生日の方が映っているため料理の写真も割愛させていただきましたが、その主役の方は立ち込めるゴージャスな香りに束の間我を忘れ、ストップ!という言葉が白トリュフが城トリュフ(山盛り)になるまで出てきませんでした。
デザートはオレンジソースのかかったムースショコラにヴィスコッティとヴィンサントです。(写真右)
ちなみにヴィンサントはトスカーナの代表的なデザートワインで食後酒です。聖なるワインの意味です。
堅いヴィスコッティをヴィンサントに浸けて食べながら飲むのがトスカーナ流です。
ヴィンサントにオレンジの味があったので、ソースもオレンジソースにしたというマダムからの説明がありました。細やかな配慮、恐れ”入谷”のクリヤキンでした。
飲んだワインは、最初にシャンパーニュ、ディディエショパン。
ボランジェの傘下にある作り手でボランジェ監修というそのときの説明はマダムの勘違いだったと後からわかったことですが、飲んでいるときは007の映画に出てくるシャンパン・ボランジェ談義に話の花が咲いてしまいました。
ディディエショパンは新進気鋭の作りてとして注目されているようです。
白ワインはアルザスのジェラールメッツという生産者のエデルツベッカー(ブドウ品種のブレンドという意味です。エーデルは高貴なという意味でツヴィッカーにブレンドの意味があるそうです。合成語ですが、A.O.C.アルザスで認められているラベル表記になっています。)です。ライチとか洋梨っぽい味わいがありましたので、ゲヴルツトラミネール、リースリング、ピノブランあたりのブレンドでしょうか?
アルザスのエデルツベッカーものとしては有名になり過ぎて高価になってしまいましたが、以前マガーリで何度も飲ませてもらった生産者マルセル・ダイスのワインが私は好きです。
このアルザスのジェラールメッツのワインも日本では入手困難のレアものだそうです。
チンギアーレ&トリッパ、そして白トリュフのタリオリーニを食したときにいただいたのは、ピエモンテ州アルバの生産者ダンテ・リヴィエッティのバルバレスコリゼルバ1998です。国内外で高い評価を受けている作り手さんのワインは白トリュフパスタとの相性もよかったです。白トリュフがアルバ産であったことも相性のよさに拍車をかけてくれたのかもしれません。
マダムの音頭でドリカムのHappy happy birthdayという曲のアカペラ合唱で盛り上がりをみせ、誰かさんにとって至福の誕生祝賀会となったようです。
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2018年11月の食べ歩き総括
http://zoompac.exblog.jp/30204358/
2018-12-06T13:07:00+09:00
2018-12-11T09:29:08+09:00
2018-12-06T13:07:24+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
2018年11月の食べ歩きの記事は11月9日付けの大阪の「あなぐま亭」だけでしたが、奈良や大阪北浜高麗橋筋等いろいろな場所でランチをしたので追記しておきます。
* 食べ歩き_大阪の通天閣の近くの「あなぐま亭」に来ています!
[ 2018-11 -29 08:55 ]
冒頭の左の写真は奈良の般若寺の横にある植村牧場の食堂でいただいたランチです。
般若寺見学のときプ~ンと堆肥の匂いがするなと思っていたのですが、この牧場が匂いの根源でした。
牧場でのランチということでお肉が出てくるのかなと思っていましたらメインディッシュはサーモンでした。
何だか場にそぐわない料理だと思ったのですが、美味しかったです。義兄(私のツレさんのお姉さんのおツレさん)から、奈良ホテルで修行された方が厨房で腕をふるっていると聞きました。
デザートも立派でした。アップルパイ、チーズケーキ等も美味しかったです。ソフトクリームだけが堆肥の匂いプンプンのこの牧場の乳牛との結びつきを想像させてくれましたが、他の料理やデザートは奈良ホテルで出されても違和感のない気品に満ちたものでした。
鄙びた牧場の牧場らしい匂いに包まれて奈良ホテルで提供されるような繊細で上品な味のランチを印象深く頂戴しました。
左は、私が大阪に来た時定宿としている三井ガーデンホテル淀屋橋の対面にある「カカオティエ五感」です。
チョコレートに特化した五感の姉妹店です。
意外なのですが、2階では、チョコレートを使ったビーフシチューが限定30食のランチでいただけます。それにチョコレートのデザートと飲み物付きで1,300円を切る驚きの安さで提供していました。
女性サイズと言ったら語弊があるかもしれませんが、小ぶりなビーフシチューにパンが3つ付いていました。サラダはジュレのドレッシングがお洒落でした。右の写真も小ぶりで見づらいかもしれませんが・・・。
300円プラスするとショコラショー(ホットドリンク)に変更できるということでしたので、やわらかなカカオ感/芳醇な渋味が自慢のサンタンデール(コロンビア)ベースとしたドリンクに変更しました。
もったいぶった名前ですが、リッチな味わいのココアでした。
ここは、ソフトクリームも食べられます。食後にチョコレート味のソフトクリームを1階でいただきました。これは単品で550円ですので、ランチに比べると割高に感じました。これまた濃厚で美味しかったです。
右下の写真は、ホテルの高麗橋筋から老舗製薬会社が並ぶ道修町筋の少彦名神社方面に南に少し入った場所に最近店を構えた「北の浜部屋」というお店の「喜界島担々麺 香」です。高価な喜界島の白胡麻100%仕様で、値段は1,500円です。ブレンド胡麻であれば1,000円以下で食べられます。
店名から想像できるように、店主は元九重部屋の力士出身で、東京の有名ホテルや福臨門などで本格広東料理を学んだ方です。喜界島の貴重な白胡麻に出会い、その味に惚れ込んで、独立し喜界島の白胡麻を使った担々麺の専門店をこの北浜の地にオープンしました・・・と思っていたら、最近、西中島から北浜に移転してこられたそうです。
高価な喜界島の胡麻100%のスープを味わって欲しいという思いで、肉味噌と辣油を後のせにするため、別皿で提供しています。
「先ずは、胡麻だけのスープを味って下さい」という店主の言葉もよく聞かず、東京からの旅行客にも関わらず大阪のイラチぶりを発揮して、肉味噌と辣油をいきなり混ぜ込んで、「辛さが足ら~ん!」と追加の薬味が乗った小皿を3皿(辛み2皿、痺れ1皿)を注文し矢継ぎ早やにぶち込んで、高級な担々麺をお腹にかき入れてしまいました。
後から、香り立つ芳醇な白胡麻に、「しもた~!これは辛さを求める担々麺ではなく、白胡麻の風味を味わうための担々麺やった~!」と思いましたが後の祭りでした。
高級な和食店で女将に給仕されながら食べるしゃぶしゃぶに出てくる高級白胡麻だれで、麺と肉味噌をしゃぶしゃぶして食べたような気分にさせられた、濃厚で香り高い「喜界島担々麺 香」でした。
トリを飾るのは、私が大阪に来た時必ず食べるインディアンカレー淀屋橋店のインディアンカレー生玉子乗せです。ピクルス増量!このカレーを食べた後の水も相変わらず甘露でした。私にとってのカレーの東の横綱は新宿中村屋のインドカリー、西の横綱がこの淀屋橋駅チカのインディアンカレーです。
私の好きなカレーはインド繋がりですが、何故かインド人の方が多く住んでいる私の居住地である東京江戸川区西葛西にあるインド・レストランには足が向きません。
「カルカッタ」、「アムダスラビー」、「ムナル」等3軒の有名なレストランを含め11軒のインド料理レストランが西葛西・葛西駅周辺に林立しているようです。さすが日本最大のインド人街・西葛西ですね。
あなぐま亭の夜(夜あなぐま)のお任せ5品は11月29日の記事にしました。あなぐま亭の昼(昼あなぐま)のランチも掲載しようと思ったのですが、1回目のときは義兄と奈良旅の打合せを名目に昼呑みセットにしてしまいました。2回目のときはランチをいただいたのですが、姪(義兄の長女)と一緒で、何となくシャッターチャンスを逸してしまいました。
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食べ歩き_シンガポール料理「HILLMAN Restaurant(喜臨門飯店)」@裏難波、大阪
http://zoompac.exblog.jp/30198633/
2018-12-03T10:21:00+09:00
2018-12-31T21:58:34+09:00
2018-12-03T10:21:43+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
最近、アジア系エスニック料理を自ら営む居酒屋の夜部門で工夫して料理することの多くなった長男君とシンガポール料理をいただきました。
場所は、大阪の東は千日前の道具屋街、西は南海電鉄難波駅や高島屋(なんばCITY)に挟まれた一角で、多くの居酒屋とバルが林立するウラなんば(裏難波)です。
若い店主たちによる個性的で、また国際的な店が安くて旨い料理を提供するため、大阪ミナミで群を抜くホットスポットになっています。
そのウラなんば内(大阪市中央区難波千日前15-16)のオクバビル2階にある「HILLMAN Restaurant(喜臨門飯店)」に行ってきました。
前菜をオーダーし忘れたため、パクチーサラダとチリクラブ(タラバ蟹)とマントウ(蒸しパン)からスタートしました。
強烈な辛さを想定していたのですが、意外とマイルドなチリソースでした。それでも濃厚なカニの出汁と辛旨な餡のハーモニーが絶妙でした。
かにフォークを使いながら身離れのいいタラバを堪能し、残った飴をマントウで拭いながらそのチリソースも美味しくいただきました。
次に注文したのが、この店HILLMANの名物料理のペーパーチキンです。
鶏を紙(オーヴン・ペーパー)に包み旨味を閉じ込めるようにじっくり揚げていました。
門外不出の秘伝のタレソースにチキンの肉汁が絡み取られ濃縮された旨味になっていました。とりあえず3人で6ピースをいただきました。
紙にチキンの外皮がくっつくことが難でしたが、紙は上口がひねっているだけでしたので開けやすく思ったよりは食べやすかったです。
ただ、手は相当汚れます。おしぼりを一人に三本づつ出してもらいました。
合わせた飲み物はタイガービールです。
続いて登場したのは、肉骨茶(バクテー)です。
沖縄料理や沖縄ソバ等でお馴染みのチャーシューですが、クレイポットに入って運ばれたことと、 真っ赤な刻みチリと濃厚醤油が付いていたことがエスニック調の雰囲気を盛り上げていました。
濃厚醤油はやや甘く、インドネシアのケチャップマニスを彷彿させました。父親(私)の仕事の関係で、小学校1年~3年の期間をインドネシア・ジャカルタで過ごした長男君も同様の感想をもらしていました。
そこで、インドネシア繋がりの乗りでメニューにあった空芯菜のサンバル炒めも注文しました。
サンバルは唐辛子、ニンニク、シャロット、その他香辛料を配合して作られたインドネシアの万能調理ソースです。
インドネシア人女中の作るナシゴレン、ミーゴレン、野菜炒めなどの料理にはこのソースがたっぷり使われていました。
案の定、長男君はこの味を懐かしんでくれていました。
ひとしきり食べて、一息ついたところで、長男君が、先に食べたタラバ蟹について美味しかったと感想を述べた後、いつ以来このタラバ蟹を食べたのか記憶がないとまで言いました。
身離れの良さにとその食べやすさから、タラバが高額い理由がわかったとも言っていました。
ということで、今度はペッパークラブ(タラバ蟹)を注文しました。
そのままチリソースで茹で上げるチリクラブと違って、ペッパークラブは、いったんタラバ蟹を揚げてから、ブラックペッパーを使ったタレで炒めるそうです。
ペーパーチキンのタレと味が似通っているように思ったのですが、店の人に言わせると「全然別物」だそうです。
手はべとべとに汚れますが、身離れのよいタラバは食べやすかったです。これで長男君も次にタラバを食すときにこの好き日を思い起こしてくれるでしょう。(親バカですね。)
右の写真の左の皿がペッパークラブで、右が牛肉と海老の炒め物です。
左の写真は、締めにいただいたココナッツミルクやターメリックなどの香辛料を用いたシンガポール汁麺の定番「ラクサ」です。
やはり土鍋というかクレイポットに入って出てきた「ラクサ」は、ココナツカレー味の汁ソバをイメージしていたのですが、意外に濃厚で豆乳ラーメンに近い味わいのココナツミルクラーメンでした。
デザートには、ヴァニラアイス付きのマンゴーをいただきました。インドネシアではマンゴーは安い果物で、長男君もジャカルタ居住中は晩御飯の後などに頻繁に食べていたので懐かしい味だったと思います。
シンガポール料理ではありましたが、本日の主役はタラバ蟹、そしていろいろインドネシアを思い出す脇役が活躍してくれた晩餐でした。クレイポットに入った料理はマレーシアっぽかったかもしれません。シンガポールのことやインドネシアの思い出話 なども飛び出して楽しい長男君とのひとときでした。
店の人からは、タラバ蟹も美味しいけど、マッドクラブを使ったチリクラブも美味しいと言われました。
HILLMAN@シンガポールではチリクラブは提供していないようです。
シンガポールに行く機会があれば、ノーサイドボード@ゲイランのチリクラブがいいですよと勧められました。
最後の写真はこのHILLMAN@裏難波の入り口に飾ってあった木彫りのマッドクラブです。
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近江八幡の旅_YMCAの青年海外伝道士として近江八幡にやってきてその地に骨を埋めた壮絶な米国人の人生!
http://zoompac.exblog.jp/30195610/
2018-12-01T17:20:00+09:00
2018-12-09T16:15:55+09:00
2018-12-01T17:20:15+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
近畿の地理・歴史に詳しい義兄に連れられ近江八幡を訪ねました。
最初に訪れたのが、一柳記念館(ヴォーリズ記念館)です。
見学には事前の予約が必要だとタクシーの運転手さんから聞いたとき、一柳記念館(ヴォーリズ記念館)見学は無理かと思われました。
しかし義兄が電話するとたまたま予約のキャンセルがあって開けているので見学してもらって構わないとのことでした。
この幸運がなかったら、1905年に24歳で近江八幡にYMCAの青年伝道士
として来日し1964年83歳で亡くなるまで日本を愛し隣人愛の精神で人々に尽くしたウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留[ひとつやなぎめれる])の人となりを深く知ることはなかったと思います。
録画でウィリアム・メレル・ヴォーリズの生涯の概略を観て、その後記念館の女性の説明が付け加えられました。彼女も幼少期に満喜子先生に学んだ経験を持っていてその点ではなかなか面白い話が聴けました。
以前、波留と玉木宏主演のNHK朝ドラ「はるが来た」を観る前に、ドラマ原作の「小説土佐堀川 広岡浅子の生涯」 (古川智映子著)を読んだことがあります。
広岡浅子の娘・亀子と結婚して婿入りした二代目大同生命社長の広岡恵三(ドラマでは工藤亜須加が演じていました。東京帝国大学在学中に縁談がまとまりました)の妹が、後にウィリアム・メレル・ヴォーリズと結婚する一柳満喜子でした。
恵三は播磨小野藩の第11代(最後)の藩主で、貴族院議員を務めた子爵の一柳 末徳(ひとつやなぎ すえのり)の次男で、満喜子は三女でした。
この先は記念館の女性のお話と私が調べたことを加えて少し脚色が入ります。
満喜子は父末徳と不仲でした。彼女が幼いころ他界した母・栄子の影響があったかもしれません。
栄子は日本基督教婦人矯風会の「一夫一婦制」を訴えた運動に同道するなどの活動をしていました。
しかし、父は妾を正妻と同じ家に住まわせ、妾の子も同居していたため、満喜子にとって母のいなくなった実家は居心地のいい場所ではありませんでした。
そんな事情もあって、若いころ兄の養子先というか婿入り先である広岡家に身を寄せていました。
その後満喜子はアメリカに留学し、帰国後、広岡家のパーティーで出会ったのがヴォーリズだったのです。
ヴォーリズは旧大同生命肥後橋本社ビル(大正14年)や支社の多くを手掛けましたが、そのときはたまたま恵三邸の建築を頼まれていました。
満喜子とヴォーリスは意気投合し、結婚を考えますが、片や華族のお嬢様で片や事業の儲けはほとんど慈善事業や伝道活動に費やすという伝道師の外国人です。
父・末徳の反対はもちろん、頼りにしていた兄・恵三や兄嫁にまで反対されてしまいます。
そんな中、唯一賛同してくれたのが、女性の社会的地位向上や女性の教育活動に熱心な広岡浅子でした。
浅子の説得で兄・恵三が賛成してくれたことで1919年にヴォーリスとの結婚にこぎつけた満喜子は、ヴォーリズの主宰する近江ミッションに加わり、結婚後は近江八幡で生涯を過ごすことになりました。教育活動に携わりまたヴォーリズと共に海外の宣教団体との交流も活発に行いました。
ヴォーリズが満喜子と結婚した時、彼の年齢は38歳でしたが、彼が近江八幡に24歳でやってきたときまで時代を遡ります。
近江八幡にやってきたヴォーリスは滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業学校)で英語教師として働きます。
課外で行っていたバイブルクラスでの熱心な生徒への伝道活動が仏教色の強い近江八幡の父兄の反感を高めたため、しかしながら教職は当初の契約の2年で辞めざるを得ませんでした。
しかし、そうした教育・伝道活動を通じて強い絆を築くことのできた村田幸一郎・吉田悦蔵が商業学校を卒業すると3人で事業を始めます。
当初は、キリスト教伝道のかたわら生活の糧を得るために建設設計の仕事を手掛けました。ヴォーリスには建設設計の経験がなかったため事業が軌道に乗るまで、米国から専門家を呼び手伝ってもらいました。そうしている間に日本人のどちらかは忘れましたが、しっかり勉強を重ね建築設計士として働けるまでになりました。
さらにアメリカ合衆国の「メンソレータム社」の創始者アルバート・アレキサンダー・ハイドとの出会いが縁でヴォーリズに日本での販売権が与えられる幸運に恵まれます。
実際、メンソレータムの販売はヴォーリズの各事業を資金面で大きく支え、自給自足での事業運営と「事業を通じて神の証をする」という近江兄弟社の理念実現を後押ししました。
このメンソレータム事業が本格的に軌道に乗ったのは彼が40歳の時です。38歳のときの満喜子との結婚が何らかの追い風になってツキを呼び込んだのかもしれません。
彼ら3人で始めた事業会社が近江兄弟社と呼称改訂させるのはヴォーリズ53歳のときです。
社名の由来は創業者ヴォーリズの愛した「近江」の地名と、クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を一つにする仲間という意味を持った「兄弟」を合わせたということです。
太平洋戦争に突入し、ヴォーリズは日本に帰化し一柳米来留(めれる)と60歳の時改名します。
その後、78歳で近江八幡市名誉市民の第一号になりました。
ちなみに近江八幡市名誉市民の第二号は、13代目西川甚五郎(1902年10月 - 1967年5月16日)です。彼はアメリカ留学の経験を活かし、社員教育に英語・簿記を取り入れるなどしました。又、参議員議員としても池田内閣の国務大臣・北海道開発庁長官を務めるなどで活躍しました。
西川産業(ふとんの西川)の祖として知られる西川家は豊臣秀次の八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家です。
初代仁右衛門が19歳で商売を始めた永禄9年(1566年)が創業年で、天正15年(1587年)八幡に蚊帳・畳表などを商う屋号:山形屋を開設しました。元和元年(1615年)には江戸日本橋に出店しました。
初代の4男甚五郎が寛永5年(1628年)に2代目を継ぎ、製造や販売方法に工夫を凝らし西川家の基礎を固めました。
話を戻します。
ヴォーリズが手掛けた建築物は、旧大同生命肥後橋本社ビルの他、大丸心斎橋店、東京神田駿河台の山の上ホテル、同志社大学、関西学院、西南学院大学、各地ルーテル教会、ルーテル学院、YMCA、YWCAをはじめ200棟余りを数えます。
余談ながら、ミッション系の学校のキリスト教宗派の情報を集めてみました。
青山学院(プロテスタント・メソジスト系)
上智(カトリック・イエズス会)
立教(プロテスタント・聖公会)
南山(カトリック・神言会)
同志社(プロテスタント・超宗派系列伝道団体)
関西学院(プロテスタント・メソジスト系)
西南学院(プロテスタント、パブペスト系)
ルーテル学院(プロテスタント、「ルーテル」の呼称は宗教改革の中心人物マルティン・ルター)
バプテストは17世紀頃にイギリスで始まり、現在ではアメリカ合衆国に多く分布しています。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いのですがが、その中で最も多いのがバプテストで、2番目に多いのがメソジストです。
ちなみに、ヴォーリズを日本に伝道献身させたYMCA( Young Men's Christian Association)は、1844年に、ジョージ・ウィリアムズら教派を異にする12名のキリスト教青年によって、イギリス・ロンドンで、キリスト者に限らず青年層に対する啓蒙および生活改善事業のための奉仕組織として創立されました。
キリスト教の宗派を超えた活動をしていますが、ジョージ・ウィリアムズはプロテスタントで、クリスチャンでなくとも参加できるという点で運営もプロテスタントの精神で行われています。
そういう観点でヴォーリズの建築事業を眺めると、ミッション系スクールに関する限り、ほとんどがプロテスタント系の建物だといえます。
話を近江八幡の旅に戻します。
名物としては、「赤こんにゃく」(写真の右手前)や「丁子麩」があります。
ランチは自家牧場で近江牛を飼育しているという「まるたけ近江西川」で近江牛尽くし弁当をいただきました。
酸化鉄で赤くなっているというベンガラ色の「赤こんにゃく」もしっかり入っていました。
このレストランには、中国人らしきカップルの観光客数組と町内会と思しき老人の団体客でいっぱいでした。予約をしていない人たちは入れないほどの混雑ぶりでした。
最初の一柳記念館(ヴォーリズ記念館)が貸切のような状態だったので、我々も観光客だという現実に引き戻されました。
国の選択無形民俗文化財である「左義長まつり」と「八幡まつり」の二大火祭で有名な日牟禮八幡宮には、近江八幡で創業の和菓子屋「たねや」と「たねやグループ」の洋菓子専門店としてバームクーヘンが名物の「クラブハリエ」がありました。
バームクーヘンは甘さ抑え目でしっとりした生地で美味しかったです。
八幡山城は後の事件で破却を命じられたために現存しませんが、日牟禮八幡宮の上宮を移築して山頂の尾根に三層の天守閣が築かれた山城があったそうです。
城下町の町人は主に安土から転居しており、計画的に造られた町並みは、八幡堀として現在もその姿を留めています。
日牟禮八幡宮の周りも掘割され琵琶湖から運河がひかれていました。
紅葉に映える運河の美しさが、秀頼が誕生したことで切腹させられた秀次の悲惨な運命を思うにつけ、冷え冷えと感じさせられました。
いろいろ感じることの多い、近江八幡の旅でした。
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奈良の般若坂巡り
http://zoompac.exblog.jp/30192916/
2018-11-30T07:59:00+09:00
2018-11-30T15:16:31+09:00
2018-11-30T07:59:05+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
地理と歴史に詳しい元中学校の校長を務めた義兄に連れられ奈良の裏観光をしてまいりました。
時空を飛び越え、観光客とほとんど出くわすこともない天平時代から室町時代、そして江戸時代の奈良を垣間見るような気分にさせられたそぞろ歩きの旅でした。
今年の6月に興福寺から奈良公園経由で東大寺を見物しましたが、そのときは、外国人観光客の大群の間をねり歩きました。その東大寺のすぐ裏手にあたる一画なのですが隔世の感がありました。
近鉄奈良駅からバスに乗り般若寺前で下車しました。
奈良から京都に向かってバスは上り坂を走りました。その路線の途中にある“今在家”の信号で佐保川に架かる「石橋」を渡りました。奈良から京都に向かう道は国道369号線というバスの路線も含めて2,3本まとめて全体的に奈良坂と呼ばれているようです。
般若寺からさらに北上すると、奈良坂というバス停があってそのあたりが大和の国(奈良)から山城の国(京都)へ結ぶ奈良坂のてっぺんになるようです。
その峠の頂点付近に奈良豆比古(ならつひこ)神社があって、そこからバス路線と並行して、先ほど述べた佐保川にかかった石橋まで下りの旧道があります。
その途中に般若寺(冒頭の写真)があることから、奈良坂の1つでもあるその道は般若坂と呼ばれています。京都方面を北側にみてバスの路線が般若寺の右側を走り、般若坂は寺の左側を縦に走っている感じです。
この旧道・般若坂は車や観光客はおろか地元の人もあまりみかけないひっそりした住宅地を通った道でした。
般若寺見物の後、寺の向かいにある「植村牧場」でランチをいただきました。
この般若寺の境内にある碑や置物から、室町時代の南北朝の般若坂の戦いや江戸時代の宮本武蔵の般若坂の決闘があったことを知りました。このことについてはまた別途書かせてもらいます。
植村牧場のランチの食レポもまた別の機会に書きます。
植村牧場を出て般若坂を下って、煉瓦造りの建築物として重要文化財に指定された奈良少年刑務所(写真右)に寄りました
ジャズ音楽家の山下洋輔氏の祖父の建築家山下啓次郎設計による「明治の五大監獄」の一つです。国の重要文化財に指定されています。
法務省の管轄で、保存・活用という観点から、ホテル・リゾートの複合施設開設も検討されましたが、採算という経済的な観点からそのプロジェクトの実現は頓挫しているようです。
そこからさらに道を下ると夕日地蔵やハンセン病患者のための福祉施設である「北山十八間戸」(きたやまじゅうはちけんこ)がありました。(写真左)
奈良時代の聖武天皇の皇后の光明皇后は、仏教に篤く帰依し、東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられています。貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行ったことでも有名です。この「北山十八間戸」も光明皇后が創建されたとされています。
光明皇后は藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉です。
余談ながら、澤田瞳子の小説に「火定」という作品があります。藤原四子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)をはじめ、寧楽の人々を死に至らしめた天平時代の天然痘の流行とその疫病の蔓延を食い止めようとする施薬院の医師たちの人間模様が描かれていました。
“今在家”の信号で佐保川に架かる「石橋」まで下った後は、東大寺の裏手からこれまたひっそりと佇む「正倉院」をみました。
この正倉院にも光明皇后が関わっています。夫・聖武天皇の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進したのです。その宝物を収めるために正倉院が創設されました。
天平時代から1300年もの間、天災、火災から免れた建物として有名なのが法華堂とこの正倉院です。もう1つ東大寺の7つの門の1つである転害門(てがいもん)も天平時代からの姿が残っていますが、その門をくぐりぬけたところにあるバス停からバスに乗って天平時代から現代へと戻って参りました。
ほとんど人に出会わない不思議な時空の旅でした。
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食べ歩き_大阪の通天閣の近くの「あなぐま亭」に来ています!
http://zoompac.exblog.jp/30191067/
2018-11-29T08:55:00+09:00
2018-11-29T08:55:51+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
久々に大阪にやってきました。
浪速区の恵美須町の恵美小学校前というか、今宮戎神社への参道に見えない参道沿いにある「あなぐま亭」にやってきました。
おまかせ5品で「ハートランド」の生ビールと山口県周南市の「はつもみぢ」さんの「原田」というお酒を飲みました。
最初に出てきたのが、突出しの自家製レーズンバターに浅利とオリーブのワイン蒸しでした。自家製レーズンバターにはレーズンの他にこりこりの梅のドライフルーツも入っていていいアクセントになっていました。
その次に登場したのは刺身です。
とらふぐ、すずき、メバチマグロ、さごし(さわらの子)の盛り合わせになっていました。
ちょっとイタリアンっぽいスタートから、和食の定番の刺し盛りに引き継いで、その次の三番手に出てきたのは、中華風の煮込みでした。
中の具は、中国湯葉、セロリ、海老(シュリンプ)、きくらげ、牡蠣、そして中国マッシュルームの「ふくろたけ」でした。オイスタソースを中心とした味付けでしたが、香辛料もいろいろ入っているようで残った煮汁がとても美味しかったです。
イタリアン、和食、中華の次に出てきたのは、インドのベジタリアン料理のサブジでした。
メニューには「安納芋と卯の花のサブジ」と書かれていました。卯の花の中には、シメジ、エノキ、マイタケが入っていて噛み合わせの配合を楽しめました。
次は、セコガニのライスコロッケでした。セコガニは勢子蟹と書きます。一説には、精子蟹とも。ズワイガニのメスで、私が山中温泉の旅館「かよう亭」で食べたときは「香箱蟹」と呼んでいました。
昔、東京駅の八重洲側の京橋のある一角が開発される前に「ドンピエール」(フランス語読みではあのシャンパンで有名な「ドンペリ」になります。)というレストランがありました。
そこでの私のお子に入りはタラバガニをふんだんに使ったカニクリームコロッケでしたが、このあなぐま亭のセコガニライスコロッケは味は違えどそのフレンチレストランのカニコロッケを彷彿させてくれたので、ちょっと無理があるかもしれませんが、私にとっての分類はフレンチということにしておきます。
突出し2品を除いた5品目の締めは、インドネシア料理定番のサテでした。マトンを使ったサテ・カンビンです。インドネシアのやせた羊の肉と違って、しっかりとした塊で出てきました。
9時からは貸切になるということだったので、8時過ぎに引き上げましたが、同じ時間帯には接待に使っている3人のサラリーマン風のお客さんもいました。居酒屋としては風変りの料理を驚きながら楽しんでいました。
隣はカップルでしたが、通天閣あたりから口コミを聴きつけてやってきたようでした。
大阪の通天閣の近くの「あなぐま亭」で、イタリアン、日本食、中華、インド、フレンチ、インドネシアの国際色豊かな絶品の数々を堪能してきました。
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食べ歩き _ 酒処「侘助」@入谷 日本酒版ホイリゲというべき栃木の鳳凰美田で食べたブリの刺身が美味しゅうございました!
http://zoompac.exblog.jp/30125217/
2018-10-25T09:18:00+09:00
2018-10-25T09:20:07+09:00
2018-10-25T09:18:20+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
三男君の誕生会という名目で、大阪で居酒屋の共同経営に従事している長男君から紹介された東京は日比谷線入谷駅3番出口から徒歩3分の道沿いにある酒処「侘助」に妻さんと3人で行ってきました。
ここの若ご主人は大阪のクッキングスクールで料理を学び、その後も大阪の有名なお店で修行された方で長男君とも親交のある方でした。歳も長男君とほぼ同じです。
つい最近も何かお酒のイベントがあって大阪へ行ってきたそうです。長男君と旧交を温めたとおっしゃっていました。
さてさて、最初に注文の酒は私の好きな山口県は萩市の「東洋美人」の”西都の雫”でした。やや酸味のある味でしたが、これが岩手県産の岩ガキに合っていました。お酒と牡蠣を一緒に喉に流し込んだ時の美味さはえもいわれぬものでした。小ぶりの牡蠣ならシャブリやヴェルメンティーノがよいのでしょうが、日本独特の岩ガキはこの日本酒が最高に合っていると思いました。
2杯目は、栃木の「鳳凰美田」をいただきました。軽めスッキリ系です。新米おろしたてといった酒で、赤ワインならフランスのボジョレー・ヌーボー、白ワインだったらオーストリアのホイリゲといったワインをイメージさせる日本酒でした。刺身の盛り合わせをいただきましたが、北海道産のブリがとても美味しかったです。いやいや刺身はどれも新鮮で美味しかったのですが、このスッキリ系との相性はブリが最高でした。
3杯目は、島根県東出雲の「王禄」の丈経(たけみち)をいただきました。なかなか入手困難な酒です。秋味にふさわしいしっかり目のお酒でした。一緒に食べたサンマの山椒煮が美味しかったです。最近食した浜名湖の鰻の蒲焼に匹敵する味でした。
大皿料理の取り合わせや、ピーマンの肉味噌和え、蟹シュウマイ、タラの白子の醤油煮?等も美味しくいただきました。
続いていただいたのが、2016年の伊勢志摩サミットの乾杯酒に選ばれた三重県の「作(ざく)恵乃智」です。華やかな香りの割にはしっかりした味のお酒でした。
このあたりまでくると料理との組み合わせの記憶が飛んでいますね。フロマージュ・ブランやチーズの燻製をはじめとするお酒のおつまみ群が登場していたと思います。
最後に、ブリしゃぶと雑炊をいただきました。
合わせたお酒は、佐賀県の東一(あずまいち)です。
昔、佐賀を旅した時についぞ出会えなかった私にとっての幻の酒がこの東一でした。似たような経験は土佐の高知でもありましたね。「酔鯨」という東京で有名な酒は地元では見つけられませんでした。「土佐鶴」という酒が地元で幅をきかせていました。
お酒も、料理もおいしくいただきました。
居酒屋というより料亭に近い料理の味でした。日本酒も隠し玉が豊富にありそうです。また来たいと思わされた酒処でした。
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食べ歩き 「Van San 西葛西」_コスパのよさを感じたヤンママたちの棲息レストラン!
http://zoompac.exblog.jp/30032757/
2018-09-06T09:07:00+09:00
2018-09-06T09:15:15+09:00
2018-09-06T09:07:35+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
そろそろVan San 西葛西店がオープンして1年です。
西葛西駅から南に歩くとまずエル・トリートというメキシコ料理レストランがあります。このエル・トリートを右折し、俗称・恐竜公園(恐竜の石像が2,3体置かれているので、孫達はそう呼んでいます。)に沿って歩きますとこのVAN SAN西葛西が見えてきます。
リトル・インディアと呼ばれる西葛西にも関わらずインド人のお客さんをこのVan Sanではめったに見ないのがちょっと不思議です。近くの大阪王将やエル・トリートではインド人のお客さんも多いのにです。行列を作ってまで待ちたくないのでしょうか。
オープン当初は大変な賑わいで予約を受け付けていませんでしたが、1年経って落ち着いたせいでしょうか、平日のランチタイムに電話をするとランチ・コース(2,500円)であれば予約OKということでしたので大人4人で行ってきました。
予約席3席以外は相変わらずの繁盛ぶりでほぼ埋まっていました。
子連れの若ママ同志のお客さんが多いですね。キッズコーナーもありトイレも広くお子さん用のスペースをとっています。子連れのヤンママに優しいレストランです。皆、長尻で、2時間くらい粘っていました。という私たちも2時間くらいかけて飲み食いしていたのですが・・・。
お通し(生ハム大盛り乗せサラダ)、マルゲリータ、お肉3種盛、お好きなパスタ1品、プレミアカップ(アイスのようなソフトクリーム)、赤白のスパークリングとソフトドリンク飲み放題・・・というコースでした。ミラノ風カツレツ、エビのアヒージョ、キャベツのアンチョビ蒸しを追加しました。
赤のスパークリングがやや甘めで、スペインの果汁を加えたフレーバーワインのサングリアを炭酸で割ったような感じでした。結構いけます。グイグイいけます。
締めて12,000円でした。
内装もお洒落で、吊るしのイペリコ豚の生ハムがいいアクセントになっていい雰囲気を醸していました。恐竜公園の前に位置するこのレストランもママ友に優しいお洒落な店ということで西葛西のいいアクセントになってくれていると思いました。
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食べ歩き 「桜華樓」@大久保_高級食材を使った中華料理
http://zoompac.exblog.jp/30031028/
2018-09-05T11:13:00+09:00
2018-09-05T12:17:01+09:00
2018-09-05T11:13:34+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
新宿から総武線で1駅の大久保駅からすぐの場所にある関東ITソフトウェア健保直営の中華料理店です。
外観からはわかりにくいのですが、北口改札を出て横断歩道を渡って左折し、道路を隔てた反対側に牛丼の松屋が見えてきたあたりで右手をみるとそこにあるのがガラス張りのビルのIT健保会館です。その地下1Fです。1階から高級中華料理屋らしい佇まいが見ることができます。
法事ということで、大人6人、子供2人で使いました。
IT健保組合の被保険者・被扶養者 5,400円/同伴者 8,640円、お子様ランチ1,296円のコースです。飲み代含めて総額で大体5万円でした。
フカヒレ・北京ダック・帆立・和牛・伊勢海老など、いい食材の料理に舌鼓を打ちました。
フカヒレはスープの中にどっかり姿煮が入っていましたし、伊勢海老は肉厚で、エビカニ用のスプーン兼フォークを使っていただきました。イソジンうがい薬の液のようなものが入ったフィンガーボールを久々に使いました。
北京ダックの量が少なかったこと以外は大変満足でした。同伴者の評判もよく無事法事を終えることができました。
次は4年後の17回忌です。3回忌、7回忌、今回が12年目の干支一回りとなる13回忌でした。
大人は年々確実に年を重ねるだけですが、孫君は1歳、5歳、そして今回が小学6年生の11歳、孫嬢は3回忌にはまだ誕生しておらず、7回忌で1歳、13回忌で小学2年の7歳でした。
17回忌には、孫君が高校1年、孫嬢は小学6年です。法事の節目が孫たちの学年で明確になるってことを教えられました。
23回忌では、孫君は成人後の21歳ですし、孫嬢は花も恥じらう17歳です。それまで私が生きているかどうか心もとないのですが・・・。
ちなみに、3回忌、7回忌では芝大門にあるパークホテル内の「北京」を使いました。「北京」の料理も満足していましたが、これまで利用していた週末オーダーバイキングのメニューが2016年に終了してしまいました。
次回17回忌に再びこのIT健保組合直営の「桜華樓」を使えるかどうかは、私が4年後も今の会社で働いているかどうか次第です。有為転変の世の中です、どうなっていますことやら。
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食べ歩き 「韓の台所 別邸」@渋谷道玄坂_佐藤さん考案の「シャトーブリアン」との駄洒落を信じて気を抜いて食してしまった極上のお肉!
http://zoompac.exblog.jp/30018025/
2018-08-29T10:12:00+09:00
2018-08-29T10:12:19+09:00
2018-08-29T10:12:19+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
「韓」(ちなみに「かん」ではなく「はん」と読むのだそうです)の名を持ちながら、扱っているお肉が山形牛というお店でした。
渋谷駅から道玄坂を上がっていくとファミマが1階に入っている道玄坂センタービルが見えますがその7Fにあります。
この道玄坂付近に、「韓の台所」と名のつく店が3軒あって、それぞれ違う客層をターゲットにしているようです。
おひとり様でも楽しめるバルのような店、カジュアルな店等‥。
この「韓の台所 別邸」はちょっと高級でお洒落な店でした。
お店はかなり広く個室も充実しているので接待用に使えます。
外国人観光客らしい人たちも多く入っていました。
「山形牛」ということがよくわからないらしく、「神戸ビーフ」かと聞き返していました。
和牛上タン(分厚い肉と普通に薄い肉の2種類)、特選和牛上ハラミ(牛肉の大トロって感じ)、すき焼きロース(大きな肉でご飯を巻いていました)、そしてシャトーブリアンステーキ。
「シャトーブリアン」の名の由来についてお店の人に聞いたところ、うちの社長の名が佐藤なのでダジャレでなないでしょうかとの答えでした。
妙に納得させられて笑ってしまったのですが、後で調べたところ全然違っていました。
シャトーブリアン(Chateaubriand)とは牛のヒレ肉(テンダーロイン)の中で中央部の最も太い部分のこと(牛1頭からとれるヒレ肉およそ4kgから600g程しか取れない)、およびそれを使ったステーキです。
最高級のフィレ肉(テンダーロイン)からさらに中心部を選んだもののみをシャトーブリアンといい、脂肪が少なく、肉質に優れた極上のステーキなのです。
名前は、佐藤のシャトーという駄洒落ではなく、19世紀初頭のフランスの政治家フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンが料理人に命じて作らせたことから、このように呼ばれるようになったそうです。そのおいしさから、その部位ばかり食べていたグルメのシャトーブリアンの名前が由来だったのですね。
ついでながら、彼は作家でもありました。「レ・ミゼラブル」や「ノートルダムの背むし男」で有名なヴィクトル・ユゴーの御師匠さんらしいのですが、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンの作品はカトリック色が強いためかあまり日本には紹介されていないようです。
ナポレオンから教皇庁大使参事官に任命されましたが、大使のフェッシュ枢機卿(ナポレオンの叔父)と折り合いが悪くさらにアンギャン公ルイ・アントワーヌ処刑にも反発して辞任しました。さらにナポレオンをネロに例えた批判を書き、パリから追放されました。
ナポレオン没落後、ブルボン王家の王政復古の下でプロイセン大使、イギリス大使、そして外務大臣(1822年 - 1824年)を歴任しました。その後、王制を支持する一方で自由主義的な主張をするようになり、1830年の7月革命後は新王ルイ・フィリップに忠誠を誓わず、再び文学生活に戻った人物です。
柔らかくて美味しい肉でしたが、店員さんの説明にあった佐藤さんのシャトーじゃないですかという駄洒落で笑いながら気を抜いて食するのではなく、フランスの有名なグルメ人のことに想いを馳せながら腹筋に気合を入れて食べるべきだったと深く反省した「韓の台所 別邸」@渋谷道玄坂での食事でした。
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伝説の名店「マリークロード」@赤坂でワイン会
http://zoompac.exblog.jp/29992348/
2018-08-15T09:07:00+09:00
2018-08-15T14:57:14+09:00
2018-08-15T09:07:11+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
ワイン会仲間の1人が還暦を迎えたのでその祝いを「マリクロード」で行いました。総勢15人の貸し切りです。
フランス料理界の日本人女性シェフの先駆け、長尾和子さんが厨房に立っていらっしゃる店です。御年70歳だそうで、還暦なんかまだ若い!とおっしゃっていました。
髪を赤紫に染めた小柄な長尾さんもかくしゃくとしてお元気そうにみえました。(私は観ていませんが、長尾和子さんは先月のTBSの「ジョブチューン」という番組に出演されていたようです。)
彼女は、25歳のときフランスに渡りリヨンの1つ星レストラン「クリスチャン・ブリヨー」でコックとして修行しました。店名の「マリークロード」は由来はわかりませんが修行中の彼女のニックネームだったそうです。カズコという発音がフランス人には難しかったようです。
いきなりコックとしての修行でしたが、彼女には下地がありました。20歳の時、高校生のときから5年間通い続けたフランス料理教室の助手を務めるようになり、22歳の時には自らフランス料理の教室を開く程の実力があったのです。不足していたのは本場での修行と経験だけでした。
リヨンでの修行の後帰国し、1978年(1979年?)にフランス料理店「マリークロード」を東京の六本木のサントリーホールの近くにオープンしました。
当時、女性オーナーシェフとして日本では草分け的存在で脚光を浴びました。今年8月の御年が70歳ということですから逆算すると長尾さんが30歳のときのことになります。
バブルの勢いに乗り、一時コックを6人にするまで繁盛しましたが、やがてバブルがはじけます。経営が悪化する中1995年に、17年続けた「マリクロード」@六本木を閉業することになりました。
そして実家のある相模湾に面した二宮に戻ります。
1年も休まないうちに彼女は、実家の1階を改装し、1997年1月に「マリークロード」@二宮をオープンさせました。
二宮の土が育てるおいしい野菜、とれたての新鮮な魚介などの食材を活かす料理法を考えるのが楽しくて仕方ないほど料理が好きだったということでしょうね。
それでも、いつかはもう一度、東京にお店を持ちたい夢を持ち続けていたようです。1人で切り盛りする、カウンターのみの小さなお店を考えていました。
その長尾和子さんが、2012年に満を持して東京・赤坂にフレンチレストランをリニューアルオープンしたのがこの「マリークロード」@赤坂です。
以前は「マガーリ」というイタリアレストランが営業していた場所で、このワイン会のメンバーでその店をよく使っていました。
そのメンバーの中にも、六本木時代のマリクロードを知っている人や、二宮の店に行ったことのある人、二宮に行って丁度赤坂に移ったため閉業で残念な思いをした人等が含まれていました。
ということで15人のワイン好きがマリークロード」@赤坂で舌鼓を打ちました。
私は、赤い大根の乗っかった白身魚のカルパッチョと赤いビーツの中にサワークリームの浮いたスープが特に印象深かったです。猛暑に映えた赤白赤白の色模様でした。
ワインは赤白赤白とはいかず、泡白赤の順に、プロセッコから入り、シャブリのプリュミエから、シャトーボーモンをボトルで2本づついただきました。
長尾シェフから美味しい料理と元気をいただいた真夏の赤坂の一夜でした。
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2018年7月の「食べ歩き」総括_山口県の阿武で2016年に新たな産声を上げた再生「阿武の鶴」や新生「三好」との出会い@いわ月 大阪天神橋四丁目
http://zoompac.exblog.jp/29970578/
2018-08-03T09:37:00+09:00
2018-08-03T09:37:45+09:00
2018-08-03T09:37:45+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
7月は、大阪や奈良を旅したこともあって7店舗の食べ歩きを紹介させてもらいました。
大阪天神橋四丁目の「いわ月」で飲んだ夏向きの吟醸酒の数々が印象に残っています。最近は飲み過ぎてつらいというより飲んでいる途中からつらくなることも多く寄る年波かと思っていたのですが、久々に調子よくグイグイ飲めました。いい仕事をされた肴が手際よく出され美味しかったことも大きかったと思います。
今回、いわ月で飲んだ日本酒はどれも美味しかったのですが、7月13日のブログでは写真掲載しなかった山口県の萩の酒、「東洋美人」の「地帆紅(じぱんぐ)」(山口県萩市澄川酒造)とその澄川酒造の澄川宜史(たかふみ)さんの協力で(醸造タンクを借りて使用させてもらったそうです)、萩市の隣の阿武郡で休眠していた実家の酒蔵「阿武の鶴」(1915年創業、1983年から休業)を復活させ、新たな酒造りに挑んでいる若き作り手三好隆太郎さんが手掛けた酒「ABU no TSURU」の写真を貼り付けました。
私はこの方の造った「三好」という酒も気に入っています。
この「三好」のラベルはいろいろな思いが詰まったデザインになっています。
ラベルは三好さんのデザイナー時代の人脈を生かし、東京のデザイン会社に制作を依頼。数字の“一”を“三”つ並べ、「一つ一つの素材を丁寧に扱う」「一つ一つの醸造工程をより丁寧に」「最後の一滴まで美味しく味わえるお酒」をイメージしているのだそうです。酒造りにおける三つの材料「米、麹、水」、商売において重要な三者「売り手、買い手、世間」の調和を願って選んだともいわれています。
このラベルを眺めながら飲む「三好」も美味しかったです。今回は掲載していませんが、大阪浪速区恵比寿西にある「あなぐま亭」で、ベレー帽のマスターの「阿武の鶴」再生物語を聞かせてもらいながら飲みました。
山口県の日本酒は岩国の「獺祭」や「五橋」が有名ですが、日本海側の「東洋美人」や「三好」(阿武の鶴酒造)も美味しいです。
7月の食べ歩き7店舗の記事目録は以下の通りです。
* 甘露を味わうためのインディアンカレー
[ 2018-07 -10 09:20 ]
* 大阪の中でも、コスパ抜群の「たこ焼き」の淡路屋
[ 2018-07 -11 10:14 ]
* 新宿中村屋のインドカリー_恋と革命のインドカレーを彩る将軍家へ上納していた白目米
[ 2018-07 -12 10:36 ]
* 食べ歩き 大阪 扇町(天神橋四丁目)「いわ月」肴もお酒も美味しくいただきました!
[ 2018-07 -13 09:49 ]
* 食べ歩き 奈良の老舗料亭「菊水楼」
[ 2018-07 -17 08:54 ]
* 食べ歩き_ワヤンバリ 六本木店_集った人それぞれが35年前のジャカルタにタイムスリップしたような雰囲気を味わえました!
[ 2018-07 -30 09:25 ]
* 食べ歩き_市ヶ谷のリストランテ「アル・ファーロ」で非日常的な簿記解法の話で盛り上がり?
[ 2018-07 -31 09:54 ]
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食べ歩き_市ヶ谷のリストランテ「アル・ファーロ」で非日常的な簿記解法の話で盛り上がり?
http://zoompac.exblog.jp/29964737/
2018-07-31T09:54:00+09:00
2018-07-31T09:54:11+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
市ヶ谷にあるリストランテ 「アル・ファーロ」に行ってきました。
都営新宿線の「曙橋」駅から歩いて徒歩8分の場所にありました。
簿記を勉強していた友と、簿記学習における論点等を語らいました。
昼呑みにしたかったのですが、私が今ピロリ菌退治の薬を服用中(1週間、朝夕連続で、その間アルコール禁止!)だったので、ドリンクメニューだけ眺めてお酒は次回の楽しみにさせてもらいました。
ドリンクメニューを見ますと、飲み放題1000円で、赤ワインがモンテプルチアーノ、白ワインがソアヴェ(ソアヴェクラシコではないようです)ということでした。グラスワインの品揃えも豊富で(私の好きなベルメンティーノもヴァルボリチェッラはさすがにグラスワインメニューにはありませんでしたが、プロセッコはありました)大体550円均一で出しているようですので、次回は飲みのほうを中心にしたいと思いました。
注文は、予約コースとしては最も廉価な1000円コース(健保会員は税込み1,080円、非会員は1,620円)にしましたが、パスタは6種類の中から選べるし、前菜のサラダにはチーズもついていたし、メインは魚(カジキマグロのグリル)か肉(ポークカツレッツ)かが選べるし、デザートに飲み物付き、しかも焼き立てのパンがお替り自由でした。
「味わっていただきたいのは“非日常”です」という謳い文句のシックで落ち着いた空間のレストランで、料理とキメの細かいサービスを楽しみながら、少々理屈っぽい簿記友がまとめ上げた、材料の平均的投入についての研究発表を聞きました。始点からの平均投入、途中点までの平均投入、途中点からの平均投入の解法が説明されていました。
こうしたケースに仕損が発生して、その仕損も定点発生、平均発生に枝分かれになり、さらに非度外視法か度外視法かに分かれ、そこから完成品のみ負担か期末製品にも負担させる両者負担かの選択もするとなるといくらでもこの手の問題は複雑になるので、条件反射で解いていくには、様々なケースの問題を解くだけではなく、そのケースに応じた解き方を、材料の平均的投入、仕損の平均的発生のケースでしっかりまとめ上げておく必要があるようです。
日常の中では時間に追われて忙しさの中に埋没してしまいそうなテーマについて話し合う非日常の時間を楽しめました。
ワインを途中点投入しようかとおもいましたが、今回はぐっと我慢しました
次回は、ひたすらワインを飲んで、揺蕩う非日常を味わってみたいです。
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食べ歩き_ワヤンバリ 六本木店_集った人それぞれが35年前のジャカルタにタイムスリップしたような雰囲気を味わえました!
http://zoompac.exblog.jp/29962717/
2018-07-30T09:25:00+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
今から約35年前にインドネシアで働いた経験を持つ人たちで東京在住の人たちが同期会のような形式で定期的に懇親会を持っています。
大半の方は会社を退職されて、ゴルフや旅に悠々自適の生活を楽しまれていますが、私のようにまだ現役という方もいらっしゃいます。70歳の大台を越えた方が多いのですが酷暑のインドネシアで働いた経験が原動力なのか元気な方が多いです。
単にジャカルタ会という呼称ですが、大体10人前後の人達が集って昔話や近況を語らいながらワイワイと平和に飲んでいます。
今回も丁度10人が集まり、東京メトロ南北線の六本木一丁目の駅から直結の泉ガーデンタワー2F にある「ワヤン バリ 六本木店 (Wayang Bali)」に行ってきました。朝11時から23時まで通しで営業している店のようです。
ワヤン バリ(Wayang Bali)はスラバヤ料理のチェーン店の1つで調布や浦和にもスラバヤという名の店があります。京都にも「ワヤン・バリ」という名の店がありましたが、現在営業しているのかどうかは不明です。
ガムラン伴奏の人形影絵芝居をワヤンとかワヤン・クリ(ット)とかいいますが、このお店の名前は、バリ島の影絵芝居という意味なのでしょうか?
いろいろ小皿料理を多くそろえているようです。
ジャカルタのホテルインドネシアの前(35年前の記憶ですが)の道端の屋台で売っていたテンペ(納豆のから揚げ)等も名物料理の1つのようです。
テンペのサテなどもあるようですが、ちょっと創作料理っぽいですね。
サテの盛り合わせ(チャンプル)を期待していたのですが、結局出てきたのはサテ・アヤムだけでした。
スラバヤ料理の特徴ってほどではないでしょうが、鳥の唐揚げにダブダブソース(サンバル ダブダブ)という甘酢野菜ソースをかけたものが名物だそうです。
これは美味しくいたたきました。ただ、インドネシア人の給仕の方にソースのことを聴いたところ、ただ単にケチャップ・マニースだと言っていました。
まあ、いいか、美味しかったから。
飲み放題のビールでは、日本のモルツが出されていました。ジャカルタ時代によく飲んでいたビールビンタンはメニューにはなかったです。その代わり、バリハイという怪しげな名のビールがありました。
それぞれが、昔使っていたインドネシア語を思い出しながら、給仕さんと短い会話を楽しんでいました。
店の雰囲気から35年前の懐かしき良き時代へタイムスリップしたかのような中で話題もそれぞれが35歳程度若返った南十字星の国での苦労話等に集中していました。
記憶の彼方に押し込まれたセピア色の思い出を探り出しながら、酒を飲むのも、また楽しいものです。
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食べ歩き 奈良の老舗料亭「菊水楼」
http://zoompac.exblog.jp/29937701/
2018-07-17T08:54:00+09:00
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酒・ワイン・珈琲・旅
明治24年創業といいますから、120余年の歴史を紡ぐ奈良公園内にある(春日大社の一の鳥居近く)料亭の「菊水楼」で、和風のランチをいただきました。
司馬遼太郎氏の「街道をゆく24 奈良散歩」にも友人とのランチの場として登場しますが、荒池湖畔の「レストラン菊水」とだけで、まことにそっけない描写だけでした。
ただ、藤原氏の氏寺だった興福寺が明治維新の廃仏毀釈前はまことに広大な境内を持っていて、奈良ホテルはもちろん、菊水楼やこれまた料理旅館として有名な「江戸三」(春日大社の一の鳥居を入ってすぐ)が所在する奈良公園までもがその境内に含まれていたそうです。
廃仏毀釈で興福寺の僧たちは争って同じ藤原氏の氏神であった春日大社の神官に転職したそうです。
唐の長安(西安)の昔の面影は、今や奈良の都にしか存在しないと言われていますが、東大寺はともかくとして興福寺は廃仏毀釈後一時廃墟のようになったそうです。藤原家末裔の興福寺の僧達の狼狽ぶりの証が歴史に残ってしまいました。
しかし、この「菊水楼」の”のれん”は気になりますね。楠木正成の菊水の家紋です。蘊蓄好きの司馬遼太郎氏にとっては関心の外だったのでしょうか?
ただ、調べても、この老舗旅館・料亭と楠木正成の関係はよくわかりませんでした。創業も明治24年であれば楠木正成とは関係なさそうですね。
天皇とも姻戚関係の濃かった藤原家の親族関係からこの家紋が取り出されて使われていたのかもしれません。
建物は、登録有形文化財にも指定されているようです。
本来、敷居が高いはずのこうした建物の中で、ランチが2,500円で食べられるのは誠に結構なことでした。
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