大阪の船場といえば、北の東西を流れる土佐堀川、南北に二本流れる東横堀川と西横堀川、そして南は東西に流れる長堀川に囲まれた一帯の商家街でした。土佐堀川は今も堂島川と中ノ島を挟んだ淀川の支流ですし、東横堀川は今でも大阪城の外堀として残っています。 しかし、長堀川と西横堀川は埋め立てられてしまいました。
NHKの連続ドラマで「わろてんか」で「お笑い天国」吉本興業創業者の吉本せいをモデルとしたドラマが放映されていますが、実は1966年にも1年に渡って吉本せいをモデルとしたドラマがNHKで放映され、同年映画化にもなりました。 山崎豊子の直木賞受賞作「花のれん」が原作で、テレビも映画も船場を流れる東西の川を総称した「横堀川」でした。吉本せいをモデルとした主人公多加には、映画は倍賞千恵子、ドラマは南田洋子でした。
最近、その原作である「花のれん」を読みましたが、解説で山本健吉が面白いことを言っていました。 大阪弁は商業語、商人言葉として驚くほど複雑豊富なニュアンスを持っている一方、ラブシーンの会話には不向きだというのです。
確かに大阪弁にはそのような感じは否めません。 ただ、厳密に言うと、大阪弁と船場言葉は別の言葉ですね。 船場言葉には、昔、御所御用達の老舗が多かったことから、明らかに京都の御所言葉が入り込んでいます。 語尾の「おます」とか「だす」がそれです。 普通の大阪弁で「見なはれ」というところを「見ておみやす」と持って回った言い方をするのもその名残です。
嫉妬(しっと)のことを「へんにし」と言ったり、お尻のことを「おいど」、「おしゃれ」のことを「やつし」と言って、「あの人やつしでおますなあ」というのもたぶん船場言葉でしょう。 はっさいという言葉もあります。小利口で浮気っぽい蓮っ葉な女という意味ではっさいな女(おなご)と言います。
「わろてんか」の主人公もてんごの「てんちゃん」って呼ばれていますね。 このてんごも京言葉の名残がありますが、大阪でも普通にいたずらとか悪さの意味で使われます。 船場風に言うと京言葉と同様なニュアンスになりますね。「そないなてんごしんといておくれやす~ぅ!」でしょうか?
「花のれん」でも多加が船場言葉を駆使して寄席小屋や果ては通天閣まで値切って買う交渉事のシーンが満載ですが、私は「女の勲章」で洋裁学校の銀四郎が、自分と別れたがっている主人公の式子とのせめぎ合いの会話が強烈な印象に残っています。 女との関係も船場言葉ではそろばん勘定の話にドライに置き換わるところが凄いです。
「先生(式子)の最もお嫌いな銭(ぜに)の話になって恐縮だすが、式子さんは今や僕のかけがいのない財産でっさかい、簡単に譲れまへん、勘定の合う清算をしてもらわん限り、きれいに引っ込めまへんから、先生もそのおつもりで、お考えをしておくれやす。」
「月謝収入だけでも1ヶ月270万円の水揚げをする京阪神一の大きな学校に仕上げたのは、式子さんの力でっか、そうやおまへんでっしゃろ、それだけにそんなはした金の分け前では引き下がれまへんわ」
あざといいやらしい会話ですが、標準語ではとてもここまでさらりとはいかんでしょうね。 「でっか」で問いかけ、「でっしゃろ」で断定し、柔らかく持って回わりながら理詰めで相手に畳みかけていくのにこの船場の商人言葉は最強の力を発揮しています。
ラブシーンには、しかし、このような理詰めのそろばん勘定はそぐわないですね。 非日常の感情に日常の下世話言葉は不要だということでしょう。
さて、最後に「花のれん」の解説で山本健吉氏が紹介していた船場言葉による主人公多加の虚々実々の商談会話の抜き書きを紹介いたしましょう。
「ところで、お多加はん、今度はちょっと高うおまっせえ」
「いきなり女なぶりは、きつうおます、なんし、後家の細腕一本でっさかい、気張って、まけておくれやす」
「後家はん云うたかて、あんたはたいした後家や、女や思うて甘うみてるうちに、ちゃんとした一本立ちの座主になって、こうしてわいにも買いに出てはる。 わいも寄席(こや)を手離すからには、もう歳だすし、あとは貸家業でもして楽隠居する気やさかい、まとまった銭を握らして貰いまっさ」
「まあ、そない、気忙しゅう切り出しはって、フ、フ・・・・」
「いや、この勘定次第で、酒の味まで違うて来まっさかいな」
「あんたも、なかなかしぶとい女(おなご)はんや、色気が無うても、顔にちゃんと金気が出てる。さあ、この辺が、もう、取引のきりだっせえ」
「ほんなら、2万1千円で手をうちまひょ、その代わり銀行で借りる金でっさかい、3回割払いということにしておくなはれ」
「それもあかん云うたら、親子ほど年の違う女の尻(けつ)の穴までしゃぶりよったということになるやろ、お多加はん、あんたはえらい女の大阪商人や、値切られへん思うたら、せめて銀行利子だけでも浮かしたろいう根性やな、よっしゃ色つけて3回払いにしまひょ」
「おおきに、金沢亭を譲って貰うたうえに、女の大阪商人やとまでいうて戴いたら、わてなりののれんを、この寄席(こや)に捧げさしてもらいます」
商業弁としての大阪弁、いや船場言葉の妙味を発揮した会話ですね。どちらも単刀直入に言いながら、真剣勝負をしているて迫力ももちながら、言葉の上では円滑に交渉が進行していることがわかります。船場言葉の柔らかさの中にゼニ勘定の欲得の剣が包まれていて、しれっと言いにくいことを波風たてずに言い切ってしまう交渉ごとに向いた言葉だということがよくわかります。