109シネマズ木場で観ました。
映画冒頭のナレーションで司馬遼太郎氏が引用していたヘンリー・ミラーの言葉が妙に心に残りました。 これって原作の「関ケ原(上)」のP.2(文庫版)にありますね。
”いま、関ケ原という、とほうもない人間喜劇もしくは「悲劇」をかくにあたって、どこから手をつけてよいものか、ぼんやり苦慮していると、私の少年のころのこういう情景が、昼寝の夢のようにうかびあがった。
ヘンリー・ミラーは、「いま君は何かを思っている。その思いついたところから書き出すとよい。」といったそうだ。”
私もその方式でこのブログを書き進めます。
いきなり余談から入ります。
9月1日の日経夕刊に、英軍が1815年にナポレオンを破った古戦場「ワーテルロー」と関ケ原が「姉妹古戦場」の協定を締結したニュースが掲載されていました。
岐阜県の古田知事が2015年の「ワーテルローの戦い200年」イベントに感銘を受け、関ケ原の合戦から420年となる2020年に向けてのイベント開催への取り組みの参考にしたいと思ったことがきっかけだったそうです。意外ですが、我々日本人が思っている以上に「関ケ原」は欧州の人々に知れ渡っているようです。
このあたりの岐阜県知事の取組は今に始まったことではありません。1998年に著した司馬遼太郎氏の「歴史と風土」に「関ケ原私感」を書かれています。その「関ケ原私感」に岐阜県の知事さんや県庁の方々がウォーターロー(ワーテルロー)まで行かれて関ケ原保存の研究をされているエピソードが紹介されています。ということは、岐阜県知事や関ケ原町長さんの努力も筋金入りですね。少なく見積もっても20年以上は続いています。
閑話休題
この映画「関ケ原」は、司馬遼太郎の同名小説を原作にしています。ただ、意外だったのが、司馬遼太郎原作の映画化は1999年公開の中井貴一主演の「梟の城」以来18年振りなのだそうです。司馬遼太郎原作のNHK大河ドラマがあまりに多いものですから映画化作品がそこまで少ないと思いませんでした。確かに司馬氏の大作は2時間前後の映画で描き切るのは至難の技かもしれません。
そのような難題に、司馬遼太郎氏の小説が愛読書という原田眞人監督が取り組んでくれました。20数年暖めた構想の中、主人公を島左近にしようか、徳川家康にしようかとさんざん迷った末、石田三成に決めたそうです。
そういう構想の迷走ぶりを反映してか、私には映画の中の島左近や徳川家康の方が石田三成より輝きを放っているように思えました。
三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕えた島左近は、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材でした。映画では三顧の礼ではなく竹藪でいきなりのヘッドハンティングでした。
その島左近は筒井順慶に仕えていた時期がありましたが、そのときの同僚が柳生石舟斎宗厳です。
映画ではその同僚同士で語らい合うシーンがあって、私には印象に残ったエピソードでした。島左近が石田三成の家臣になることを伝えると、柳生宗厳は二人の息子(兄宗章_五郎右衛門、弟宗矩)を徳川家に仕えさせると言います。
余談ながら、やがて島左近の娘・珠(たま)は、柳生宗厳(石舟斎)の長男・柳生厳勝の子柳生利厳と結ばれることになっています。島左近の血は徳川家に仕える柳生家の子孫の中に流れ込んでいくのです。
それはさておき、この映画には、徳川家に仕官することになった柳生兄弟の兄宗章(五郎右衛門)が、家康の命によって小早川秀秋に元に仕えることになったことも描かれています。剣術指南役兼護衛といったところでしょうか。
その家康の配慮は、小早川秀秋が朝鮮の役での失態を責められ、秀吉によって筑前30万石から越前15万石に転封させられるときに行われました。柳生宗章を譲るだけでなく機会があれば元の30万石所領の復帰を約束しています。映画では語られていませんでしたが、家康は口約束のままにせず、秀吉亡き後、実際に秀秋の筑前30万石の復帰に骨を折っています。
家康はさらに秀秋と高台院(寧々)を訪ね尾張派(三成や淀気味の近江派に対して)の結束を固めることまでしていましたね。ちなみに小早川秀秋は高台院の兄の木下何某の子で高台院の甥っ子になります。秀秋が豊臣家の養子になれた裏には高台院との関係や口利きがあったことは言うまでもありません。
家康も、役所広司が演じるとどこか滑稽ですね。人の悪い狸親父というよりも秀吉流の人を誑し込む術策を律儀に踏襲する努力家ぶりがうまく演出されていました。
原作を読んでも、映画でも、西軍小早川秀秋への裏切り勧誘工作は万全のように思えるのですが、実際の戦争ってすんなりと(家康の)思い描いたようにはならないのですね。小説では、家康が小早川陣に鉄砲を撃ちかけて、恐怖心をあおって裏切りに加担させたという筋立が語られていましたが、私は個人的には原田監督が描いたように小早川秀秋の決断というより家康の(元)家臣五郎右衛門(柳生宗章)が秀秋の躊躇を無視して暴走した仕業とした方が説得力があると思いました。それにしては関ケ原の後の柳生宗章の処遇に目を見張るものがないという難点もありますけれど。
この関ケ原での戦いのサイド・ストーリーとしての三成と初芽の恋物語もよかったですね。 原作では初芽は伊賀者ではありませんでした。私は、断然原作のストーリーの方が好きです。
原作では、初芽の実家が藤堂高虎の家来筋だったことから、高虎に「淀殿にさまざまの告げ口をし、光成とのあいだを割くように」と命ぜられ、そのために淀殿のそばに送り込まれたという設定でした。
藤堂高虎は秀吉子飼いの大名でありながら江戸内府(徳川家康)の走狗となっていることで有名です。
その後、初芽は淀殿の許しを得て、光成の屋敷に奉公するという運びになりますが、そのうち高虎の意に反して、光成の人となりを存外気に入っていく様が年頃の女の無敵の直感力として微笑ましく語られていました。
司馬遼太郎に女心を語らせたら絶品ですね。これほど女心の機微をうまくとらえる作家を他に知りません。(藤沢周平がいました!)
話しが変わるわけではありませんが、司馬遼太郎氏の「戦雲の夢」という長曾我部盛親を主人公にした小説があります。ちょうど関ケ原の戦いから大坂夏の陣あたりの時代を描いた小説です。
盛親が関ケ原の西軍に就くか東軍に就くか去就に迷って、京を下見しているときに河原の乞食に混ざっていた百々(どど)雲兵衛という伊賀ものが自分を売り込むシーンがありました。
映画で初芽役の有村架純が光成へ語る「犬と思うてくだされ(人間としての扱い無用)」という台詞そのものはこの「百々雲兵衛」が盛親へ言った台詞でした。「拙者を人とは思うてくださるな。このさきもおなじことでござる。放ち飼うてさえくだされば、いずれに寝ぐらをとろうと、犬は自在でござるでな。」
それにこの「戦雲の夢」で、長曽我部盛親の下に秀頼の密書を送った石田三成配下の山伏は甲賀ものでした。甲賀忍者と言えば近江甲賀郷ですね。光成は甲賀ものを使って全国各地の武将に西軍(秀頼)の味方を募っていました。
東軍の徳川家康が伊賀もの、西軍の石田三成が甲賀ものという構図だったと思っていたのですが、映画「関ケ原」では、初芽をはじめ、赤耳と名乗る伊賀ものが光成の下で働いていましたね。徳川家康の側に仕える阿茶の局が蛇白という伊賀の忍びの女だという設定は面白いと思いました。伊藤歩が演じていました。
岡田准一氏が、2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に主演した際には、黒田官兵衛役として石田三成(田中圭)と対立し、三成を小馬鹿にしていたような印象でした。秀吉の側に仕える軍師対小姓という感じで確執がありましたね。大風呂敷の軍略家「官兵衛」役からが小まめな官僚「三成」役に転身したというイメージが邪魔してか、あまりにも個性豊かに演じられた島左近(平岳大)と徳川家康(役所広司)の毒気にあてられてか、岡田准一の存在が薄く感じられました。
「独竜の毒をもって毒蛇どもの毒を制した」と自画自賛する三成の「窮鳥懐に入れば猟師もも殺さず」シーンが皮肉に思えましたね。役所広司の毒気に圧倒されていましたよ。徳川家康の造型が面白すぎてそちらに注意が囚われがちでした。
案外、島左近や小早川秀秋を主人公に据えた方が映画としてはまとめやすかったかもしれません。戦後安芸広島と備後鞆49万8,000石を得た 福島正則目線での「関ケ原」の物語も面白いかもしれません。
東出昌大が演じているのでピンとこないかもしれませんが、小早川秀秋はこの関ケ原の合戦時はまだ満18歳でした。関ケ原勝利の後、戦功により徳川家康より岡山55万石を賜ります。元、宇喜多秀家の所領ですね。しかし関ケ原の2年後の1602年に20歳の若さあっけなく死んでしまいました。アルコール中毒による内臓疾患が原因だそうです。
跡継ぎがいないので岡山55万石の小早川家はお取り潰しというかお家断絶になってしまいました。江戸幕府の創設は翌1603年なのですが、世継ぎがいないとお家断絶という徳川幕府の以後の方針を決定づけたモデルはこの小早川秀秋のケースでした。小早川秀秋の家臣も敗れた西軍の武士同様、相当苦労したのではないかと思われます。そんな家臣の目線から俯瞰した関ケ原の合戦を2020年に向けて書き上げてはどうでしょうか。 ついでにワーテルローの戦いに言及しながら岐阜県知事や関ケ原町長あたりの国際的な活動にも言及されれば相乗効果のある宣伝になると思います。
いずれにせよ、忖度できない官僚型というか監査の仕事にぴったりの頭でっかちの三成が、政治家型の人心収攬の技を秀吉から実戦で学び取ってきた海千山千の家康と戦っても、経験値の違いが大きすぎて勝負にならなかった「天下分け目」の合戦でした。結果論ですが、戦う前から勝負はついていましたね。