日曜日午後11時のNHK海外ドラマの「女王ヴィクトリア 愛に生きる」を興味深く観ています。
全8回の連載ですが、20日日曜日に第4回が放映されてしまい、はや折り返しとなってしまいました。
ヴィクトリア女王は、わずか18歳で即位(1837年)しながら、63年7ヶ月(1901年まで)の長きにわたって国を治めました。(余談ながら、ヴィクトリアの玄孫に当たるエリザベス2世は、2015年9月9日に高祖母の在位記録を更新しています。)
大英帝国とは、イギリス王冠のもとに結合された植民地帝国の俗称です。エリザベス1世時代の海外探検に始りアメリカ植民地の独立にいたる期間の,北アメリカ,西インド諸島,インドへの植民地支配体制を第1次帝国と呼び,19世紀に入ってからの,カナダ,インド,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカなどの地域への支配を第2次帝国と称します。しばしばこの大英帝国には「太陽の没するところのない」との形容句がつけられています。
そういう意味では、女王ヴィクトリアは1877年に初代インド女帝に就き、この大英帝国の黄金期に英国のみならず英連邦を治めた「大英帝国の母」という呼び名にふさわしい女王です。
彼女の治世はそうした輝ける大英帝国の繁栄を讃えヴィクトリア朝と呼ばれます。政治・経済のみならず、文化・技術面でも優れた成果を上げました。この時代のものは、政治、外交、軍事、文学、科学、家具などいずれであれ、「ヴィクトリア朝の〜」と形容をされることでも有名です。
先に申し上げた通り、この時代、イギリスは世界各地を植民地化して、一大植民地帝国を築き上げました。その名残でヴィクトリア島(カナダ)、ヴィクトリア湖(ケニア・ウガンダ・タンザニア)、ヴィクトリア滝(ジンバブエ・ザンビア)、ヴィクトリア・ハーバー(香港)、ヴィクトリアランド(南極大陸)、ヴィクトリア(世界各地の都市名)、ヴィクトリア・パーク(世界各地の公園)など、女王の名にちなんだ命名も少なくありません。
私は、仕事の関係で1978年に8ヶ月香港に駐在しましたが、ホテルのすぐ近くにヴィクトリア・パークがあり、セントラルにあるヴィクトリア・ピークにトラムで登って、その頂上からヴィクトリア湾(ヴィクトリア・ハーバー)越しに九龍の街並みですが100万ドルの夜景と呼ばれるネオン輝く街並みをよく眺めていたことを思い出します。アヘン戦争の賠償としての英国が統治した香港にもヴィクトリア女王の名称が数多く残っていました。香港のホテルのガードマンにインド人が多いのも東インド会社からの名残ですね。インド国内の侵略戦争のみならずビルマ、マレー半島、シンガポール、香港等における主要軍事はベンガル地方出身のインド人傭兵(セポイ)で占められていました。
ドラマでも、ヴィクトリアの負けず嫌いの様子が多くのエピソードで語られています。ヴィクトリアは帝国主義政策においても最強硬派・主戦論者として政府に発破をかける役割を果たすことが多かったようです。その一方で、旧習を破って、「慈愛」を見せることも多かったようです。
ドラマでは、チャーチスト運動(選挙権が認められなかった都市の労働者階級による、普通選挙を議会に要求する請願運動。「人民憲章」(People's Charter)に普通選挙などの要求を盛り込んで誓願したので、彼らは憲章のチャーターからチャーティストと言われました。)の過激派が武装蜂起して捕縛され、打ち首(ギロチン)の刑に処されるところ、女王の一言でオーストラリアへの島流しへ減刑となるエピソードが語られていました。
ヴィクトリア女王の「大英帝国の母」の「母」という呼称にはこの「慈愛」の意味が込められています。そしてそのイメージは世界各地の植民地の臣民たちを一つに結び付け、大英帝国の維持・拡大に大きな礎となったようです。
これまた余談ながら、オーストラリアは、アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流罪植民地としてイギリス人の移民が始まっていました。1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進み、やがて1850年にゴールドラッシュを迎えます。オーストラリアは、ヴィクトリアの治世が終わる1901年に事実上の独立を果たしますがその後も英連邦の一員としてイギリス国王への忠誠を続けイギリスが参加した戦争には度々参加しています。
さらに余談ながら、英国の労働党の源流が先ほど述べたチャーチスト運動です。もちろんオーストラリアの労働党にもその流れは受け継がれています。反逆罪として多くの過激派チャーティストが島送りされましたから。極悪非道の犯罪者というより知的な政治犯?というイメージでしょうか?
ドラマは、若き日のヴィクトリアの愛の物語となっています。結構、偏屈な感じのアルバートですが、ヴィクトリアも偏屈な性格に描かれていますので、偏屈同士で仲がよくなるのでしょうね。しかし、この偏屈もの同士二人が結婚したら大変そう。国の統治(内政、外交)と家庭の差配(育児、教育)といろいろありますから。
(ちなみに、ヴィクトリアのお母さんがドイツ人です。イギリス王家の血にドイツ人の血が濃く混ざり合うことを忌み嫌って、イギリス人政府高官や王室関係者たちの多くは、ドイツ人のアルバートとヴィクトリアの婚姻を歓迎していません。幸せそうな二人を取巻く空気に不穏なものを感じつつ、物語は次週に続きます。)