29日日曜日の大阪・ヤンマースタジアム長居発着の大阪国際女子マラソンでロンドン五輪代表の重友梨佐(29歳、天満屋)が初出場した2012年の同大会以来5年ぶりの栄冠を手にしました。 優勝タイムは2時間24秒22秒でした。 2位には2時間25分44秒でノーリツの堀江美里でした。 (堀江は2大会連続の2位)
重友は、8月の世界陸上選手権の代表選考を兼ねていたこの大会の優勝で、陸連の派遣設定記録の2時間22分30秒にも自身の2012年の同大会の優勝記録2時間23分23秒にも及びませんでしたが、代表入りに大きく前進しました。
岡山県の天満屋といえば、2000年のシドニーオリンピック代表の山口衛里、2004年のアテネオリンピック代表の坂本直子、2008年の北京オリンピック代表の中村友梨香、そして2012年のロンドンオリンピック代表の重友梨佐と、女子マラソンの種目において、4大会連続で五輪代表選手を送り込んでいました。
ところが、2016年のリオ五輪のマラソン代表争いでは、ロンドンに続いて二大会連続の五輪代表を狙った重友梨佐も新鋭小原怜も敗れて、天満屋陸上部からの五輪マラソン代表入りの5大会連続の夢は潰えました。
まず伊藤舞が7位入賞で早々と内定第1号になった2015年8月30日の世界陸上北京大会の女子マラソンに出場した重友は、33Km地点辺り迄は集団の先頭で引っ張る積極性も見せたものの、その後スパートをかけられたトップ集団の選手に対応出来ずに後退し、メダルどころか入賞争いからも脱落し、結局日本女子では3番手の14位に終わってしまいました。(伊藤舞が7位入賞、前田彩里が13位)
続く2016年1月31日のリオ五輪女子マラソン選考会を兼ねた第35回大阪国際女子マラソン大会に出場した重友梨佐は、4年前のロンドン五輪選考会時と同様福士加代子との一騎討ちが注目されました(4年前は27km付近で福士を振り切った重友が独走態勢を維持し初優勝)。 しかしこの大会では15Km過ぎに福士らのハイペースから徐々に離脱を余儀なくされ、レース後半は大きく失速してしまいました。 結果、優勝した福士とは約8分差で2時間30分台の5位に終わり、2大会連続の五輪女子マラソン日本代表入りはなりませんでした。
また、リオデジャネイロ五輪女子マラソン代表の最終選考会を兼ねた2016年の名古屋ウィメンズマラソンでは、天満屋の小原怜(25)は日本勢トップの2位に入った田中智美(28)=第一生命と1秒差の2時間23分20秒で3位で、天満屋勢として5大会連続のマラソン五輪代表が成就できませんでした。 たった1秒、されど1秒に泣きました。
東京五輪まで残り3年半となった今、まず重友梨佐が復活の走りを見せてくれました。 小原怜も3月12日の名古屋ウィミンズマラソンで去年の1秒を取り戻すために走ります。 2020年の東京五輪では、リオ五輪の倍返しで、天満屋から代表が2人出るかもしれませんね。
その前哨戦として、今年8月のロンドンの世界陸上への代表入りに重友と小原が名乗りを上げて欲しいですね。 小原の3月の走りも期待です。(ちなみに小原怜は、大阪国際女子マラソンのハーフマラソンの部で優勝していました。このハーフマラソンには豊田自動織機の小島一恵も参加していました。25位でした。)
重友は、2012年のロンドン五輪で後半失速して11位に沈んだリベンジを今年のロンドン世界陸上で果たしてもらいたいです。
今回の重友は、前半抑え気味の走りで、ペースメーカーにもつけず序盤で遅れましたが19キロ付近で4位集団に追いついて、堀江美里(29=ノーリツ)らの先頭集団を追いました。 4位集団から抜け出した重友はペースアップして29キロ付近で2位加藤岬(25=九電工)をとらえると、その後もスピードを緩めず35キロ過ぎでトップを独走していた堀江を一気にかわして先頭に立ち、そのまま逃げきりました。 長らく不調にあえいだ重友梨佐の見事な復活の走りを目撃させてもらいました。
先行逃げ切り型で優勝した2012年の大阪とは、まったく異なる後半追い上げ型で優勝した2017年の大阪のレース展開に新生重友梨佐を見せてもらいました。
余談ながら、岡山の興譲館高校出身で、新谷仁美とは同期でした。2005年の全国高校駅伝での優勝チームのメンバーの1人でした。 それも今は昔、重友梨佐は29歳になってしまいました。このときの優勝メンバーに新谷、重友とならんで、去年デンソーから資生堂に移った高島由香(新谷、重友より1学年下)もいました。