2017年のNHK大河「おんな城主・直虎」の原作?です。
ストーリーには、ちょっとファンタジー入っていました。 主人公「香(かぐ)、後の女城主直虎 」には不幸な未来を象徴する黒霞が見えるという設定になっているのです。 ただ具体的にそれが天変地異なのか政争に明け暮れる人事によってもたらされるのかが不明なのです。 特殊能力といえばそうなのですが、それでも小説自体は史実に忠実に描かれていたように思えました。
今川、武田、徳川の勢力に囲まれた浜名湖の北に位置する井伊谷(いいのや)の山間と平地の結節地域を拠点とする井伊家の存亡に女城主直虎が関わって、井伊家内部での派閥争いを抑え、今川追従から徳川従属に方針を変え、後に徳川四天王となる伊井直政にバトンを繋ぐ話でした。
割とこじんまりとまとまった小説でしたが、もう少し時代背景を応仁の乱あたりまで広げたほうが面白い小説になったのではと思いました。
ただ、家康が井伊直政を見たとき、驚くほど、長男の信康(母瀬名姫と共に武田に通じたとして、信長の命令により切腹)に似ていたという下りは面白く読みました。 瀬名姫は、井伊直虎の曽祖父井伊直平が今川家に人質として差し出した娘の佐名と今川家の重臣関口氏の娘で、今川館に人質として預けられていた松平元康(徳川家康)の正室となったのです。 ですから徳川信康の血には井伊家の血も混ざり、徳川家康も伊井家の直政の端正な顔や大きな瞳に、亡き嫡男の元康の姿を重ねたようです。
来年と言ってももう二週間後ですから、NHK大河「おんな城主 なおとら」を語ります。
これまでの大河ドラマの制作パターンからすると、戦国モノと明治維新モノが交互だったので、2016年の真田丸から、続いて群雄割拠の下剋上の井伊家のしのぎを女城主直虎を主人公に仕立てたというのはパターン崩しであり、何故なんだろうとちょっと考えさせられました。(ちなみに、来年のNHK大河は西郷隆盛を扱った「西郷(せご)どん」です。
したたかなエリツィンのロシア、先の読めないトランプの米国、習近平の舵取りが気になる隣の中国、そうした大国に囲まれた日本を考えると、武田、今川、徳川に囲まれた風前の灯のような井伊家の存続に思いを重ねやすいですね。 外交の舵取りが微妙で難しくなった今の国際パワーバランスに重ねてみれば時代性も相まって興味深く観れるかもしれません。
このドラマが国民に受け入れられる頃には日本でカリスマ女性の首相誕生ということもありやなしやとまで想像は膨らみます。
この物語の舞台は遠江(とおとうみ、旧国名で静岡県の西の浜名湖周辺)の北に位置する井伊谷(いいのや)です。
司馬遼太郎が「街道をゆく」の1巻で説明していましたが、琵琶湖の近江(おうみ、近淡海とも)に対し、都から遠い浜名湖は遠淡海(遠江)と呼ばれました。 遠江の国府は磐田市にあり、中世には斯波氏が守護でしたが、戦国時代は今川に侵攻され支配されました。 その巨大な勢力を誇った今川家も桶狭間の戦いの後は、勢いが衰え、やがて徳川家康が台頭し領有することになります。
今川氏親が斯波義達を遠江の引間城で破ったのが1517年です。 このとき井伊家は斯波氏に味方しましたが、井伊直平の軍は今川方の朝比奈奏以(やすもち)に破れてしまいました。 そこで今川家に臣従するため人質を出したのが先程述べた瀬名姫の母です。
井伊家はなんとか存続することができましたが、義元に家督が移った今川家は領土拡大方針をかかげ、三河・松平氏に隣接する井伊家を先方隊として酷使します。 義元は、三河の地にありながら(西三河で渥美半島の付け根近くの)喉に刺さった魚の骨のような織田方支配の田原城を攻めます。 1542年のことです。
城主は戸田宗光でした。 軍配は今川軍にあがりましたが、直平から家督を受け継いで当主となった井伊直宗(直虎の祖父)は激しい戦いの中、戦死してしまいます。
その後の1547年、大国今川家と隣接する新興勢力織田家に挟まれた三河松平家は、今川家に臣従する決意を固め竹千代(後の徳川家康)を人質に出すことを決意します。 記憶間違いでなければ、この時の竹千代は6歳でした。
ところが、護送係に任じられた戸田康光は、田原城の戦いの意趣返しとばかり、寝返って竹千代を織田信秀の下に送ってしまったのです。
その後、尾張で台頭した織田信秀(信長の父)が、1548年に今川氏・松平氏連合と岡崎城近くの小豆坂で2度めの戦いを行いました。(1回目は1542年) この戦いで織田軍の先鋒を務めた織田信弘が今川軍に捕らえられたため、竹千代は人質交換に使われ、今川家へ送られるのです。
そして井伊家に衝撃が走った桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのが1560年です。井伊直宗の子の直盛が先陣を切りましたが、まさかの敗戦で、一族の多くと共に戦死してしまいました。 このとき隠居していた直平爺ちゃんはまだ存命だったので、直平が井伊家の棟梁に返り咲きます。
直平爺ちゃんの息子、孫等の重なる戦死の他、井伊家家老小野和泉守讒言で井伊直宗の弟、直満、直義が死にいたらしめられ、直満の子の直親(直政の父)も小野和泉守の息子の小野但馬守の讒言で今川家によって殺されました。
直平爺ちゃんは、井伊一族の長老兼玄孫(やしゃご)井伊直政の後見人として頑張っていましたが1563年に急死してしまいます。 このとき井伊家菩提寺の龍潭寺の和尚(ドラマでは小林薫)が出家していた次郎法師(ドラマでは柴崎コウ演じるおとわ)を呼び戻し井伊家の当主に据えたのです。名も井伊直虎と改めここに女城主・直虎が誕生しました。
井伊家の存続を誓って、直政の養母兼後見として井伊家の家督を継いだのは1565年のことです。 直虎は直盛の娘で、直平爺ちゃんの曾孫にあたります。
一生、結婚することなく、仏門に入って、ひたすら井伊家存続のため知恵を絞った女城主直虎にイギリスのエリザベス一世の生涯が重なります。
井伊直虎(1535~1582)、エリザベス一世(1533~1603)。
なお、武田信玄と上杉信玄の間で行われた川中島の合戦は1553年~1564年の12年で計5回行われています。 この間に桶狭間の戦いがあり、直虎が女城主となった直後に、上杉と最後の川中島の戦いを終えた武田軍が、それまでの北条、今川、武田の三国同盟を反故にし、徳川と連合して今川家を攻めます。
今川義元の氏真は、北条家を頼って逃れ、桶狭間の戦いから8年後の1568年に今川家は滅亡してしまいます。 駿河は武田家が、遠江は徳川家が領有することになりました。
この激動の戦時下に、女城主・直虎がどのように手をうって井伊家の存亡の危機を脱したのか、今からドラマの展開を楽しみとしましょう。