昔、といっても約2年位前ですが、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を楽しむため原作を、長編、短編を問わず、読み漁ったことがありました。
安倍龍太郎の「風の如く、水の如く」、坂口安吾の「二流の人」、吉川栄治の「黒田如水」、松本清張の「軍師の境遇」、葉室麟の「風渡る」等です。
これらの著者・著作が束になってかかっても敵わぬ逸品がありました。 司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」全四巻です。
このとき類書10冊読むよりも、司馬遼太郎氏の著作を2回読むほうがよいとつくづく思いました。
昔、好きな歴史小説家の1人に池宮彰一郎という作家がいました。
彼の著作「遁げろ家康」(朝日新聞社)で司馬遼太郎氏の「覇王の家」との類似点を指摘され、2002年12月25日に絶版・回収となった後、半年も経たないうちに、同じく「島津奔る」(新潮社)でも司馬氏の「関ヶ原」との類似の問題で、2003年4月3日に絶版・回収となっってしまいました。
小説の世界にも、自動車やその他製品同様、リコール回収のようなことがあるもんだと感心したことを覚えています。
これ以降、池宮氏は筆を折り、執筆活動を全面的に停止し、失意のうちに2007年5月に他界されました。享年83でした。
プロの小説家でも、司馬遼太郎の作品を読めば、その取材、構成、文章の完璧さに圧倒されてしまうのだという1つの例証として捉えていいと思います。 いわんや読者においてをやって心境です。
私は、「島津奔る」を持っていて、「関ケ原」と比べ読みしましたが、かの清須会議で秀吉の膝に抱かれた三法師、織田秀信の居城が福島正則に攻め落とされる関ケ原の前哨戦から、関ケ原の初戦の先陣争いでの福島正則の物頭可児才蔵と家康の四男松平忠吉井伊直政の後見役の味方同士の牽制・掛け合いの下りにいたるまで、物語の展開・構成がほぼ同じで、言葉を微妙に書き直したり、書き加えたりはしていますが、あきらかに盗作と言われても申し開きできないように思えました。
井伊直政の名がでたついでに言うと、来年の大河ドラマ「女城主・直虎」は、徳川四天王と呼ばれた井伊直政(他は、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政)の養母井伊直虎の物語です。柴崎コウが演じます。
大河ドラマ「真田丸」では、関ケ原の戦闘シーンはカットされ、佐助が真田幸村、信繁(幸村)に、結果を報告するだけの十数秒で関ケ原の戦いを終結させてしまいました。 おいおい!
実際でも、たった一日で決着しています。
それを司馬氏は、前哨戦から、本戦、本戦後の時間軸に沿って、各武将のおかれた立場から丁寧に武将の行動を織り込まれ、見事な絵巻物のような「関ケ原」の物語を完成しました。
関ケ原の戦いに関しては誰もこれ以上のものは書けないのではないかと思ってしまいます。 まだ読んでいない人にはお勧めの「関ケ原(上)(中)(下)」三巻です。
この天下分け目の戦い以前に、政略でほぼ勝利を収めていた家康が、実は一番戦争は水物ということを理解していたような印象を持ちました。 そのあたりの心理描写と分析が上手いですね、司馬遼太郎は。