これまで私が読んできた「辻原登」作品の全てがぎゅっと詰まった出来ばえです。「辻原登」作品を読んだことのない人に、迷うことなくこの「許されざる者」を薦めます。
「翔べ麒麟」のみずみずしさがあります。「ジャスミン」のミステリータッチの男と女の恋が香りたっています。「韃靼の馬」の大陸との彼我の歴史が語られています。
1つのエピソードが終わるかと思うとまた別のエピソードが持ち上がって、話が膨らんでいく様は、まさに万華鏡を覗いてその絵模様の変化のうねりのようで、思わず息を呑んでしまいます。これがなかなか面白く、いつまでたってもページをめくり続けることになるのです。
日露戦争前後の明治の時代を司馬遼太郎の「坂の上の雲」と違った視点で眺めることができます。
日露の戦争、左翼運動、医療問題、建築、鉄道事業等大きなできごとがどっしり存在感をもって語られていくのですが、ふわりと舞い降りたかのような自然さで包まれたイメージが広がるのは、きっとドクトル槇と永野夫人の大人の"わりなき”恋が、貶めようとする負の力に、支えようとする正の力(運、人の結びつき、想い等)が勝り、成就する喜びを読者も共に分かち合えるからだと思います。
恋の化学変化に、時間の物理的変化を上手く溶け合わせている物語でした。
「永野夫人と一夜を過ごした槇は、翌々日、汽車で大阪に戻った。~略~、二人が森宮に戻ると、再び何事もなかったかのように森宮の時間が、以前の速さで流れはじめたかのようにみえた。しかし、じつはもうひとつの新しい時間軸がその下に、あるいは傍に加わって、絶えず旧来の時間を衝き上げ、合流し、渦をつくり、呑み込もうとしていた。」
「この動き、このうねりはいったい何をもたらすのか。 新しい時間の流れが、ついに旧来の時間を食い破って奔出し、現実を呑みこんでしまうのではないか。そのまっただ中へ、永野夫人を迎えることになるのだ。」
この物語は、すみわたる青色の光で始まります。
大きな船がしずしずとインドで脚気の研究を重ねてきたドクトル槇を紀伊半島の南に位置する森宮(和歌山県新宮市がモデル)の港に運んできます。彼を迎えるかのように、海上に浮かんだのは二重の虹です。しかも、小さい虹と大きな虹の色の順序が逆なのです。広い紫の層、青から緑、そしてピンク・・・。
「虹の中へ入ってみたいわ」という千春の言葉に誘われて、私たちは虹の二層橋をくぐって物語のなかへはいり、至福の読書の世界を楽しく過ごすことになります。
そして、上巻冒頭で登場した「二重の虹」、「ふたつの虹」のイメージは、ラストでこんなふうに繰り返されています。
槇が旅立つ日、私たちは再び港の空に大小二重の鮮やかな虹をみることになるだろう。 ひとつは、内側が紫で広い層をなし、青から緑、黄、そして・・・・・。
叙事・叙情の描写が素晴らしく、まさに眼福の物語でした。 さすがに手練れのストーリーテラー辻原登ですねぇ。 彼の代表的作品としてお薦めの一冊です。