西原加純(ヤマダ電機)が日本選手権で2連覇を達成し、北京世界選手権代表入りを決めました。
6月26日のレースをなんで今更って感じですが、その女子10000mレースをYou Tubeで観て、ブログ記事にまとめてみたくなりました。
クレバーなレース展開でした。 参加選手20人中、常に7~10位くらいの位置取りで8000m頃までしのぎ、最後の1周の鐘を聞いてから、ギヤチェンジでトップに躍り出ると、そのままスルスルと逃げ切りました。
デンソー高島が猛追をみせましたが、西原の逃げ足を捉えることはできませんでした。
1位西原加純(ヤマダ電機)32.06.48
2位高島由香(デンソー)32.07.91
3位小原怜(天満屋)32.08.59
4位萩原歩美(ユニクロ)32.10.11
西原の逃げと高島の猛追を見て、佛教大時代の西原の逃げと、立命館大の小島一恵の猛追のシーンを思い出しました。
女子大学駅伝の立命大、佛教大という同じ京都ながら全国大会二強時代の目玉がこの小島と西原のエース区間での戦いでした。 3年間に渡って1年に2回あった戦いで5~6回の対決があったと思います。
私にとっては宮本武蔵 対 佐々木小次郎といった名勝負で、手に汗握って見入っていました。
パターンは決まって、佛教大が先行し、立命大が追いかけるパターンでした。この区間で立命小島が追いつくか、逆転した年は立命大が優勝し、逆に西原がセーフティリードを守り逃げ切ったときは佛教大が優勝していました。
毛を逆立てて真っ赤な形相で追いかけるは金太郎のような小島一恵の力強い追い脚、逃げるは、因幡の白ウサギのような白い肌に怯えを現す瞳を見開いて流れるような上下動の無い静かな走りの西原加純の好対照図でした。
女子大学駅伝で京都出身の立命大と佛教大の二強時代のレースのエース区間での勝負のクライマックスは1年先輩の小島一恵が卒業するまで3年間続いたのです。
西原の逃げ足の速さと粘りは、ライバル立命館大の小島一恵との鍔迫り合いから生まれたものに間違いありません。
ですから、高島の猛追は、大学時代の小島によって磨き抜かれた西原の逃げ足にとっては何でもない余裕さえ感じられましたよ。
西原は佛教大3年(2009年)のとき、ユニバーシアードで5000m銀、10000m金メダルを獲得しています。その実績をもった彼女もはや26歳です。26歳にして再び世界に挑戦する切符を手にしました。 遅咲きの大輪が8月22日から始まる北京世界選手権で咲くことを祈っています。