ヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。 この映画館は、私の職場の大崎駅からの通勤路線途中である山手線の有楽町駅から歩いて1分くらいのところにあり便利です。
隣国にいながら、自分の朝鮮半島の歴史の知識のなさに唖然としましたが、逆にいえばこの映画によって学ぶことが多くあり、新鮮でした。
韓国で歴代2位となる観客動員数1410万人を記録した大ヒット作です。前作「TSUNAMI ツナミ」でも1132万人動員という記録を打ち立てたユン・ジェギュン監督が、釜山の国際市場を主舞台に、激動の時代を家族のために生きたひとりの男の生涯を描いた大河ドラマを紡いでくれました。
朝鮮戦争で父と末の妹と離れ離れになり、母と残された2人の妹とともに避難民として釜山で育った主人公ドクスの20代~70代をファン・ジョンミンが演じました。
彼は父親代わりとして一家を支えるため西ドイツへ炭鉱夫として出稼ぎにいき生き埋めの危機にさらされ、時代は変わってベトナム戦争でも兵站(後方支援活動)の出稼ぎ仕事をします。ベトナムでも生死の瀬戸際に立たされ、脚に銃弾を受ける大怪我をします。
ことほど左様にドクスは過酷な人生を歩みますが、それでも家族への愛情と笑顔を絶やさず、時代の荒波を生き抜いていきます。
ファン・ジョンミンはこの大ヒットの映画で、今や韓国国民の父親のシンボルとなったようです。米人気ドラマ「LOST」で知られるキム・ユンジンが、ドクスの妻ヨンジャを演じるほか、「東方神起」ユンホもベトナム戦争参戦の韓国兵士役で出演していました。 ベトナム戦争って、米国とベトナムの戦争と思っていましたが、隣国韓国では自軍の兵士を出兵していたということを知り、今更ながら自分の無知さに驚きました。
1960年代~1980年代の懐かしい時代を中心にしたドラマという意味では、主役のドクスは、なんとなく邦画の「三丁目の夕日」の堤真一の父親像と重なるイメージがありました。
1960年代に韓国の多くの若者が西ドイツに出稼ぎに行っていた事実(ドクスはこの地で妻ヨンジャと出会います。恋がいわゆる生きる希望になりますが、西ドイツでの彼らの労働の過酷さは目を覆うばかりです。 ヨンジャは病院勤めの看護師見習いでもっぱら死体洗浄とかをしていました。)、1970年代にベトナム戦争の地にも出稼ぎに行っていた事実を今さらですが突きつけられました。このあたりのドクスのエピソードは、「フォレストガンプ」のトム・ハンクスが演じた主役を彷彿とさせました。
この映画の主人公の家族は北朝鮮領土の興南波止場でしたが、中国軍の猛攻にあって、米軍部隊の撤収の中、父妹と離散してしまいます。父から家族を守ることを託された少年ドクスは、父の妹が切り盛りしている釜山の国際市場にある「コップンの店」を頼って避難していくのです。
1980年代の韓国では、国を挙げて、マスメディアを通じた南北離散家族の再会キャンペーンを打っていたという事実もこの映画で初めて知りました。
韓国での観客動員数が物語っているように、韓国人にとっては感情移入がしやすい出来事が時系列にならんだ物語になっていたと思います。
この映画で、近くて遠い隣国韓国の近代史・生活史を体感することができますよ。
日本の歴史の授業で、日本だけでなく近隣諸国のこうした現代史をきちんと教えるべきだとつくづく思いました。
2025年くらいの開始をメドに、日本史と世界史を合体させた「近代史」という科目を新設してこうした要望に文部省が対応しようとしているようですが・・・・・・。 近隣諸国との歴史認識の問題等もあって教科書1つ作るのにも随分時間をかけるようです。