「中国化する日本」の副題に日中「文明の衝突」一千年史とありました。
中国の唐王朝が興ったのは、煬帝が暗殺されて隋が滅亡した618年です。マホメット(ムハンマド)がアラビア半島のメッカで神の啓示を受けてイスラム教を開いた時期にほぼ重なります。
唐は、755年安禄山と史思明による安史の乱と続く875年の黄巣の乱で衰退し、この混乱から台頭した朱全忠によって907年に滅亡します。
その後、十国・五代の分裂時代を経て、960年に宋が興ります。貴族が没落し、君主独裁的官僚制国家です。
960年から1126年の宋を北宋と言って、いったん金に滅ぼされます。1127年~1279年を南宋と呼んでいます。蒙古から興った元によって滅亡します。北宋が約260年+南宋が150年の合計で約410年の国家でした。
与那覇氏は、世界で最初に「近世」に入ったのが、ルネッサンス期のイタリアではなく、この宋だと言っています。
ただ「近世」の定義はまちまちです。歴史学における便宜上の時代区分ですから、「近世」に入ったのが早いからすぐれたシステムだということには必ずしも言い切れないのではないでしょうか。
西洋史では、東ローマ帝国滅亡からルネサンス・宗教改革・大航海時代(15世紀~16世紀前半)から市民革命・産業革命の前あたり(18世紀後半~19世紀初頭)とされているようです。
日本では、安土桃山時代+江戸時代を近世とし、明治政権は「近代」を欧米から買ったというような表現を使ったりします。
朝鮮半島は、李氏朝鮮の建国の1392年から1876年の日朝修好条規までです。
中国は、宋朝から明朝または清朝までとする説と中世から近世を経ずに近代へ繋がるという説の二つの考えがあって結論が出ていないというのが通説のようです。
与那覇氏の著書によれば、貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めたこと、経済や社会を徹底的に自由化する代わりに、政治の秩序は一極支配によって維持するシステムを構築したことが、この宋という王朝の画期的なポイントだそうです。
そしてこの中国社会の仕組みは基本的に現在に至るまで変わっていないのだそうです。
宋では、科挙という官僚採用試験が全面的に採用され、貴族による世襲政治が完全に廃止されます。 実はこの科挙という制度は隋や唐の時代からありました。
遣唐使として渡った阿倍仲麻呂がこの唐の科挙に合格しています。辻原登氏の小説「翔べ麒麟」に詳しく書かれています。 国籍を問わず優秀な人材の登用を認める唐という国を何ともグローバルなスケールだなと感じたことを覚えています。
儒学というか朱子学が確立されて、それが科挙に本格的に取り入れられたのは宋の時代からです。
採用された官僚は自分の出身地には赴任されず、数年ごとの次の任地に巡回する「郡県制」の下でキャリアを積みます。
そして農民に、貨幣使用を行きわたらせます。農民は国から貨幣で融資を受け、農作物を物納するのではなく、市場で販売し国に貨幣で返済することになったのです。
こうして自由市場ベースの経済発展が始まったとしています。
宋朝時代の中国では、世界で最初に(皇帝以外の)身分制や世襲制が撤廃され、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が広く行きわたり、科挙による登用の道も開けたため、「自由」と「機会の平等」がほぼ達成されたのです。
NHK大河で不人気でしたけど、平清盛の時代です。 平清盛は日宋貿易で巨万の富を蓄えました。宋銭(銅銭)も流通させていました。
平氏が源氏に敗れなければ、その後の日本もグローバル化した商業国家として発展したかもしれません。
与那覇氏にかかっては、鎌倉幕府も、江戸幕府も日本のガラパゴス化に拍車をかけただけのシステムだと言い切っています。
今更の、グローバリズムの先鞭は、中国の宋が約1,000年前につけているので、日本はやっとそういうレベルに遅れて追いつこうとしているという何ともショッキングな切り口でした。
ただ、奇異な感じは否めません。 宋という国のシステムがそれほどすぐれていたのでしょうか? 国のシステムの発展として、農本主義の江戸時代を経験した日本が、宋のシステムに追いつかなければならないという必然性はないと思います。
宋の後の元、明、清、中華人民共和国が宋のシステムを継承していて基本的には同じシステムだというのも、そうですかとしか言いようがありません。 共産主義と儒教は相いれないような気もするのですが・・・。
明治維新が朱子学的尊王攘夷思想が江戸時代の封建制を壊したものとすれば、そこには宋学の影響はあったかもしれませんが、日本が今、グローバリズムの大波にさらされていること自体が、1000年以上前の宋の時代にキャッチアップするかのような書き方は面白いけど、何か違うという感じがします。
農本主義といって過言ではない、鎌倉幕府、江戸幕府という政権を経由することによって、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史を日本はたどっただけのことだと思います。
江戸時代に入ってきた儒教(=宋学)も学問としてとらえられただけで、思想として展開していくことはありませんでした。 仏教も神道も儒教のどれ一つをとっても民衆の骨の髄まで染み渡るということはない社会が、今更、グローバリズムの流れひとつを誇張して、反江戸社会=中国(宋)化と言われても、ああそうですかと思いながらも心の底では納得させてもらえていないという感じです。
ただ、面白い切り口で、そもそもの仮定が間違っているのではないかと思うのですが、その過程が正しければという前提では、いろいろな現象を説明できる手法もあるのだな・・・とちょっと感心させられました。
そういう意味では、知的な刺激のある面白い本でした。