宮部みゆきの原作「ソロモンの偽証」の映画化作品をTOHOシネマズ六本木で観ました。
多かれ少なかれ観客の多くは、学校という事なかれ主義のシステムの経験者でしょう。
集団教育そのものが、ある程度、個性を伸ばすこと、個性に目を配ることを犠牲にして、平均的な生徒に無難な学校教育を施そうとすることはやむを得ないと思います。 学校運営もできるだけ波風はたてずに、平均的な大多数の生徒が平均的に学び、生活を送れるよう、いわば護送船団方式のような運営にならざるを得ないと思います。
平時はいいのですが、問題はそうした学校の護送船団方式が、護送船団方式ゆえに有事対応が後手後手に回ってしまい、マスコミの餌食になってかえって「隠蔽」を糾弾されてしまうという、どこの学校でも事の大小は別としてありそうな事例として目に写りました。
また同時に社会経験をある程度経験していると、映画の中での学校の校長や警察の対応を現実的なものとして理解してします。
いじめの真相からできれば目をそらして不作為という選択のなかで波風はできるだけたてたくないのです。
そうした疾しさからか、子供がストレートな反応をすると、それを先生に対する反発、反抗とみなして、内申書の評価者であることをほのめかしながら自分たち大人の欺瞞の中に子供を囲い込もうとします。
藤野亮子に思わず体罰を加えた女性教師に対する、子供たちの冷静な態度に、感情移入して拍手喝さいを送った観客は決して私一人ではなかったかと思います。
推測で人を断罪して面白おかしく報道することが招いた悲劇も観客は目撃することになります。
今の日本社会が抱える様々な問題に、敢然と立ち向かおうとする中学生たちがフィクションだとわかっていてもまぶしい映画でした。 中学生たちも10,000人近いオーディションを勝ち抜いた精鋭だけあってしっかりとした演技をみせてくれています。 前田兄弟のお兄ちゃんもオーディションを受けたらしいですよ。
中途半端に一部の生徒を気遣って臭いものに蓋をするという大人の知恵にダメ出しをし、「真実を知りたい、私たちの心もずたずたなの」と悲痛な彼らの叫びがまぶしい映画でした。
学校で裁判なんて教育委員会や文部省の管理下に置かれた学校側で許可するわけはないのでしょうが、そこはフィクションだと目をつむって素直にこの物語を楽しみたいと思います。 自分の中学生生活を思い起こしながら、その3年間が瞬時に過ぎ去って、自分が置き忘れてきたものの多さを想わざるを得ません。また学校教育、学校の有事対応の在り方に関しても示唆に富んでいます。
1人の観客として、学校教育の在り方に思いを巡らすことができました。
中学校を卒業して約50年、思えば遠くに来たもんだ!