渋谷の宮益坂上のシアター・イメージフォーラムで観ました。
ナントもやりきれない映画でした。
1人のドイツ人将校がロワール州の大西洋に近いナントの地でフランス共産党員に暗殺されたこと(ナント事件)に対する報復のため、ヒトラーが要求したフランス人の生贄の数は150人でした。
パリのドイツ軍司令部は、フランス人たちのドイツに対する反感が高まることを恐れながらも、ドイツ本国からの圧力もあって、暗殺犯が捕まらないことを理由に、ロワール州の大西洋に近いナントの北のシャトーブリアンにある収容所から任意の27人を銃殺したのです。(他にもナントで16名、パリで5名銃殺されました。)
シャトーブリアン収容所に収容されていたいたのは、ドイツ占領軍に抵抗した人々でした。そして、銃殺リストの中には、17歳の少年ギイや銃殺日が釈放日であったにもかかわらずリストに載っていたため銃殺されてしまった大学生も含まれていました。
シャトーブリアンの女子収容所にいた17歳のオデット・ネリスもギイに恋心をもっていましたが、映画の題名は、彼女が銃殺される前にギイから渡された手紙にちなんだものです。彼女は90歳近くで今も健在のようです。
物語は「ナント事件」前日から銃殺に至る4日間を描いたものです。ヒトラーの命令に悩むドイツ軍司令部、処刑リストの作成をためらう県(ロワール=アトランティック県)副知事等の姿が映し出されます。
ギイはこの死と最後の手紙によってレジスタンスの象徴となりました。1946年にパリの地下鉄の駅のひとつに彼の名前がつけられたそうです。10月22日が命日のギイ・モケはフランスの伝説となりました。
メガホンをとったのは、「ブリキの太鼓」の名匠シュレンドルフです。
なお、余談ながら、よく知られる「シャトーブリアン・ステーキ」は、畜産物の集積地であったこの映画の収容所のあったシャトーブリアン郡の地名をとったという説とこの地方の伯爵で19世紀初頭の政治家として、また作家としても有名な「フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン」が料理人に命じて作らせたという説ががあります。