獄医立花登控え(二)になります。
突然ですが、歴史小説と時代小説の違いはなんでしょう。時代小説はまったくの作り話で歴史小説は史実に忠実でなければならないという制約があるということで説明がつくかもしれません。
読者として私はあまり気にしていません。吉川英治の「三国志」が歴史小説で、「水滸伝」が時代小説なのかなという程度です。どちらも私には面白いです。 歴史・時代小説という括りでいいのではないでしょうか。
一般には、司馬遼太郎の作品が歴史小説で、藤沢周平の作品が時代小説ということで通っているのでしょう。
藤沢周平作品は、この「獄医立花登控え」をはじめとして、歴史上有名な人物を扱うのではなく架空の人物をとりあげ、市井の人々の生活を活写している作品が多いようです。
しかし、それもその時代についての資料等は相当調べて書いておられるようで、まったくの作り話とは言い切れない時代考証があるように思われます。この「獄医立花登控え」シリーズも資料の読み込みの深さと内容の厚みを感じ取ることができます。それに加えて抑制の利いた清冽な文章が、精密に考え抜かれた構成に乗っかって、一つ一つの短編を形造っているのです。
「風雪の檻」では、相変わらず個別に事件解決話の短編物語に、徐々に登と従妹のおちえの距離が近まってくる様子が散りばめられていました。この隠し味がいいのです。四巻の獄医を主人公とした捕物短編集を読んだご褒美にこの隠れ恋愛物語の四巻を通しての別ストーリーの完結も楽しめるのです。
まさに、一粒で二度美味しいというやつですね。
「風雪の檻」の短編の二編めの「幻の女」に散りばめられていたワンシーンを紹介します。
「歩いていく登の前を、目立つほど姿のいい娘がいた。米沢町の路地から出てきて、御門のほうに歩いていく。そう思って歩きながら見送っていると、娘が振り向いてにやりと笑った。従妹のおちえだった。
「何だおまえか」 興ざめして登が言うと、追いつくのを待っていたおちえは膨れづらになった。
「何だとはなによ。誰と間違えたのよ?」
「まあ怒るな・・・・」
最終編の「処刑の日」では、おちえの目撃が事件解決の糸口となります。
「おまえのおかげで、人間の命がひとつ助かった」
「ごほうびをくれないの」
「ほうび?」
登はおちえの顔を見た。おちえは手を袖に入れて柱に寄りかかっている。登の胸にいたずらな気持ちがわいた。
「ほうびはこれだぞ」
登はおちえの身体をすっぽり抱えると軽く口を吸った。きゃっと叫んで逃げるかと思ったら、おちえは動かなかった。目を閉じてじっとしている。登が初めて見る、酒に酔ったような顔色になった。
「湯屋に行ってくる」
登はあわてふためいて身体をはなすと、玄関に向かった。
う~ん、少しづつ進展していますというか、登も読者の私も少しづつ「おちえ」にからめ捕られています。
入院中の暇つぶしには、心和む、いい小説です。